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南瓜とマヨネーズ


Amazon primeで見ました。
ずっと見たかった映画の一つでした。

最近仲野太賀の仕上がり具合に驚いてます。
作品毎に魅力を増してる気がして
面白くて3枚目の雰囲気の癖に
独特の雰囲気があってエロくて脆い

ぐちゃぐちゃな泣き顔や
整えない不格好さが
リアルでよく似合う素敵な俳優さんです。


無駄のない間と音

内容がとてもリアルで
感情の大きな起伏や展開があるわけではない
マーベルとか好きな人は
確実に物足りないと感じると思うような
本当にリアルな映画です。

でも無駄は一切ない。

描かれる挙動の一つ一つが大切で
主人公ツチダの、せいちゃんの
ハギオの、それぞれの関係を
表現する上で大切な一挙手一投足でした。

バックにBGMなんて流れない。

ぺたぺたと歩くサンダルの音。
ゴソゴソと漁る鞄の音。
唇がくっついて、離れる音。

やけに際立って聞こえる環境音や
動作音がこの映画をより素晴らしくて
深いものにしてると思いました。

ベースはツチダの、心の声のナレーションとか
気持ちとかそういうので進んでいくので
この「音」がないと
単調なよくあるナレベ(ナレーションベース)映画になりがち。

この「音」がどれだけ大事で
どれだけツチダやせいちゃんやハギオの
要素になっているか
一度見た人はもう一度そこを注目してみてほしいです。


そして最後の、本当に最高な
せいちゃんがやっと書き上げた歌。
この映画のために書き下ろされたそうです。

「深い意味はないから、気楽に」
と言ってツチダに聴かせたせいちゃんだったけど
あれは絶対に、ツチダのことを歌っていると思いました。

そしてそれ故により際立つ「エンドロールでの無音」

あの歌を聞いて、これまでの物語を噛み締めて
劇場で見てたらきっと泣いてる私たちの
余韻をしっかり伸ばしてくれる
むしろ伸ばせと言われているかのような無音。

エンドロールは主題歌が流れる、が
最近の鉄板だけど
無音の絶大さを初めて知りました。

音がないことで生み出さられる効果
もちろんそれまでの音で作られた伏線は必要不可欠ですが
無音の生み出す効果って、映画にとってとても重要だと思いました。


迷子の誰かさん

前述したように、最後のせいちゃんが歌った歌は
絶対にツチダのことを歌ってると思いました。

「迷子の 迷子の 迷子の誰かさん」は
ツチダのことをさしてる。

ツチダみたいな相手ありきの恋愛に
自己満足して本来の「好き」とか「愛」という感情を
見失ってしまった"迷子"さんって
結構現代に多いと思います。

相手に依存してしまう傾向にある我々の
相手本位の恋愛。
身に覚えがある方もいるのではないでしょうか。
現に私はあります。笑

ツチダは、過去の私を少し盛って描いたくらいの女でした。笑

ハギオみたいな人ともせいちゃんみたいな人とも
付き合ったことあるなぁと思う。
せいちゃんみたいな人って、
ダメなところと愛しいところが
あまりにも紙一重で捨てるに捨て切れないんだよねえ。

ハギオみたいな人は
ハギオも決して悪人ではないと思うけど
やっぱり罪な男だよね。笑

ああいう男との思い出が捨てきれないのは
ハギオを愛した自分を捨てたくないからなんだと私は解釈しています。
間違いなく一生懸命駆け抜けたハギオとの日々を
無かったことにはしたくないし、出来ない。
あの時の私を認めてあげたいから、
あなたを愛したことも私は否定しない
という感情なのではないかと。
長年の研究を重ねて分かってきました。笑


恋愛ってほんとは派手ではなくて
でも個々人に物語がある
本当はこういうことなんじゃないかとさえ思いました。

この映画ってもしかして、恋愛そのものなのではと。


お尻。

大学の時、等身大の偽りの一つもない映画を作りたいと思ったことがあり
それって日常に当たり前に出てくる
エロスの部分もなるべくオブラートに包まず表現したいってことなんです。

私おっぱいじゃなくて、お尻を愛おしく映画で描写できる人は
嘘のない映画作れる人だと思います。笑
めちゃくちゃ自論ですが。笑


白田さんのお尻は、せいちゃんがツチダを好きになった理由のわかるようなお尻でした。
いや、いやらしい意味じゃなくて。

だってあのバンドのボーカルの女の子
MVの中の水着姿のお尻と
ツチダのお尻、全然違ったでしょ?!

つりんぷりんとしたお尻より
パンツの端から覗いたゆるっとお尻を
せいちゃんは愛してたってことなのよ。
それって物凄くせいちゃんの人となりを
表現する要素だと思いませんか?

そういうところにも私は胸を打たれたりしてました。


この映画が「過去」な理由

わかんないですよ、今真っ只中な
20代前半とか10代とかの人もいるかもしれないですけど。

でも大人って、特に女性って
歳重ねるにつれてきっとツチダみたいな気持ちになることを
自制できるように自分を鍛えていくんだと思うんです。

てか私は鍛えてかなきゃダメだった。
恋愛や男に揉まれる度に、歳重ねる度に
ああいう恋愛はできなくなるし
一個一個が蓋をする理由になるんですよね。

この映画は過去の若かった私
って大半が思ってると思う。

だから淡くて、若くて、眩しくて
痛々しくて、愛おしい映画なんだと思いました。


余談

太賀の歌声優しすぎませんか?
せいちゃんの歌声と歌ってる時の
ちらっとツチダを見る優しい目は
どうしようもない馬鹿な過去の私にも
向けてくれてるような気になりました。



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