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繊細な天才が語る世の中との隔たり/ふかわりょう『世の中と足並みがそろわない』

ふかわりょうという人は僕の中で、ずっと好感度ランキングの定位置にいる人だ。上過ぎず、下でもなく、真ん中よりちょっと上ぐらい。テレビで見ても不快になることはないし、「うわ、ふかわじゃん」と思ってチャンネルを替えることもしない。いつもクスッと笑わせてくれてホッとする。

芸人やDJとして活躍する、ふかわさんの最新エッセイを読み終えた。

彼が白いターバンを巻き、シュールなあるあるネタを言ってブレイクしたことや、笑っていいとものレギュラーだったことは、子供の頃のおぼろげな記憶として残っている。内Pのイメージもある。

ここ数年で印象が強いのはやはり東京MXの『5時に夢中!』MCの姿。平日の毎日午後5時から放送している東京ローカルのこの番組は、曜日ごとコメンテーターが異なり、月曜日はマツコ・デラックスなどが務める。僕も前任のMC・逸見太郎の時から平日休みであればよく見ていた。

先の有吉さんのラジオに関するネットのコメントに「ふかわは受け身の天才」とあった。たしかに自分から相手の襟首を掴んで派手に技をかけていくイメージはない。

しかし、受け身を取らせたらこんなに綺麗に、そして面白く受け身をとる人もいない。『5時に夢中!』では個性の強いコメンテーター陣が揃い、好き勝手な物言いをすることも珍しくない。生放送のそういったシーンで荒れた場を中和させるふかわさんのスキルは抜きん出ている。

すべてを受け止めるわけではなく、かといって軽く流すでもなく、もちろん反発するでもない。絶妙に濾過させ、簡潔に着地させる。

ラジオのトークでも有吉さんが次から次へとふかわさんに投げ技から絞め技までかけにいくところ、抜群の受け身を披露して笑いに変えていた。有吉さんもそれを信頼し、面白くなると分かっているから歯止めをかけずに襟首を掴みまくっていた。サラッとカウンターで入れるふかわさんの一言もまた絶品で、ゲラゲラと笑った。さすが長年の付き合いである。

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ふかわりょうは感度の高い人だ。
ふつうの人が電波1本ぐらいで生きているところを、おそらくこの人は4〜5本立てて暮らしている。場の空気、言葉の真意、何気なく耳目に入る情報から世の中の些細な変化まで。

生まれ持った高い感度は芸能界に入ってさらに研かれたようだ。結果的にそれは自身を衛る防具となり、同時に防具の重さに苦しめられてる感じも見受けられる。

生きづらい世の中になった。
なんて言うけれど、別にここ数年で言われはじめたわけじゃないはずだ。おそらく随分前から言われているのに、声は誰かに届いちゃいなかった。

今は徐々に他人の生きづらさが可視化されてきた時代だ。

ふかわさんもAbemaの番組で共演していた無頼の変人・プロ奢ラレヤーが、自著で興味深いことを言っていた。

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「隣の芝生は青い」という言葉があるが、インターネットの登場により、隣の人がめちゃくちゃ増えた。どこもかしこも芝生が青すぎる状態だと。比較対象が増え、芝生を覗き込む回数も増えたから、落ち込む回数も増えた。それが生きづらさを感じる一つの要因。

たしかこんな感じの内容だった。

かつては隣の芝生なんて同級生や会社のコミュニティ、同じ地域に住むリアルな隣人に過ぎなかったと思う。それがいまやインターネット、SNSの普及で遠くの芝生まで覗き放題である。つい影響を受けてしまう生き方や、比較してしんどくなる対象も増えてしまった。

生きづらい世の中だと、悩める多くの現代人がそう言い切れるようになってしまったのは、ネットを通して社会全体における自分のポジションがより鮮明に、浮き彫りになってしまったからなのかもしれない。せっかくぼやけていたのに、世界とピントが合ってしまった。

とはいえ功罪両方ある。

可視化されたことで、自分と同じような生きづらさを抱える同志がいることも分かったからだ。会ったこともないその人たちと瞬時につながることができるようにもなった。

つまり、生きづらい世の中にはなったのかもしれないが、同時にそれを独りで抱え込まなくてもいい世界にもなったということだ。

エッセイのなかで語られている「生きるうえでの違和感や隔たり」に共感する人は多いはずだ。ふかわさんのように人よりも多くのアンテナを立てて日々を生きる人なら感じ取る「腑に落ちなさ」への共鳴は生まれると思う。

僕らみたいな繊細な凡夫が抱えるモヤモヤを、繊細である以上に天才のふかわさんは、感性豊かに言語化してくれている。歪んでいるのはきっと僕らじゃない、世界のほうだ。そんなふうに背中をさすってくれる(背中は押さない。さすってくれるイメージ)

エッセイは、タモリさんとの興味深いエピソードが明かされる「浮力の神様」、失敗や未知の部分こそがスパイスだと分かる「わからないままでいい」、タイトル候補にもなっていたという「溺れる羊」など、どれも読み応えのある章ばかりで構成されている。

購入してからは二日もかけずに読み切ってしまった。ロケットマンのようなスピードで文字に夢中!になった。

有吉さんが以前『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレ朝)の放送内で、ふかわさんについて、「神経質なバカ」などといつもの口調で罵ったあと、すぐに真顔で「でも悪い人間じゃないよ」と言い切っていたのが印象的だ。

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ふかわさんは優しい人なんだと思う。一部偏ってはいながらも、慈愛というか博愛というか、そんな精神性をこの人は持っている。それゆえ許せなかったり、必要以上に傷付いたりする領域も出てきてしまうのだろう。

でもきっと自己愛も強い人だから、根っこも強い。おそらく斎藤工さん(なぜ斎藤工かは本書にて)のことも本当は羨ましいとも、ああなりたいとも思っていない。

僕は読む前よりは、ふかわりょうという人のことを理解できたと思う。好感度ランキングもちょっとだけ上昇したかもしれない。まあ本人の言葉を借りるなら「簡単に分かられてたまるか」なのだろうけど、人のことは分かった気になってるぐらいがちょうどいい。

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ふかわりょう
1974年8月19日生まれ。神奈川県横浜市出身。
慶應義塾大学在学中の1994年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。
「シュールの貴公子」から「いじられ芸人」を経て、現在は「5時に夢中!」のMCや「ひるおび!」のコメンテーターを務めるほか、ROCKETMAN(ロケットマン)として全国各地のクラブでDJをする傍ら、楽曲提供やアルバムを多数リリースするなど活動は多岐にわたる。

サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います