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ヒコロヒー初のエッセイ『きれはし』感想/アラサー女芸人の取り繕う気ゼロの眼差し

ヒコロヒーという女性芸人のエッセイを手に取ることになるとは、1ヶ月前の時点ではにわかに信じ難いことだった。この1ヶ月の間に何が起こったというのか。

そもそもヒコロヒーとは、松竹芸能所属の世界観や台詞で魅せるコントを中心に活動するピン芸人である。これは本エッセイのカバーに記載されたプロフィールなので僕の主観ではない。

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ヒコロヒーを初めて認識したのはちょうど1年前ぐらい。『有吉の壁』に初登場した時だ。お笑いやバラエティ好きだと言い張りながら、その深度も守備範囲もミーハーの域を出ない僕はそれまで彼女の存在を知らなかった。

松竹芸能の芸人が壁に出演するのは初めてだったようで、その点にも触れながらの登場の仕方だったと思う。ポーカーフェイスでさらっと気の利いたことをいう芸風なのか「ああ、アンニュイなセンス系の人ね」という印象だった。

世界観やセンス系の芸人さんは好き嫌いが分かれる。個人的には感情の起伏が乏しめのセンスにあぐらをかいたタイプの芸人さんはちょっと苦手。

強く印象に残るでもなかった壁での初目撃以来、しばらくヒコロヒーを見る機会には恵まれなかった。いやテレビで見かけたこともあったのかもしれないが、少なくとも記憶には留まっていない。

その後、今年に入ってからゆるやかにテレビでの露出が増えたのか、徐々に彼女のキャラクターや芸風を以前より認知するようになっていた。

決定的だったのはテレ朝で4月からスタートしたバラエティ『キョコロヒー』だろう。日向坂46の齊藤京子とバディを組んだ深夜の20分番組である。

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オードリーがMCを務める日向坂のバラエティを一時期よく見ていたので、齊藤京子のことは人並みには知っていたものの「なぜこの2人で番組を?」というのが正直な所感だった。なので主体的に見ることは全然なかったのだが、Twitterでは番組の感想を呟く声がよく流れてきて、おおむね好評のようだった。

「キョコロヒーってそんなに面白いのか」
番組の存在感は自分の中で明らかに増していた。たいして興味のなかった女性が周りにチヤホヤされたり、その魅力の本質を見せるようになってから急にそわそわと気になり出す現象に近い。

決定的だったのは『キョコロヒー』がテレ朝のバラバラ大選挙でグランプリを勝ち取った際に寄せたヒコロヒーのコメントである。

【バラバラ大選挙とは】
個性もバラバラな「20分枠」×「14番組」のバラエティを放送するテレビ朝日の「バラバラ大作戦」。今春からリニューアルスタートした6番組を含む14番組から、最も面白い番組を選ぶ大イベントが「バラバラ大選挙」である。この第2回にて視聴者グランプリに輝いたのが『キョコロヒー』だった。ご褒美は特番の放送である。

僕が痺れたヒコロヒーの実際のコメントは以下の通り。

うっとうしいアイドルと偉そうな若手が変な言い合いをしているだけの番組が、視聴者の方に愛していただけたのだとしたら、毎回快くVTRに出演くださるユニークなダンサーさんたちや芸人の諸先輩方のお力を貸していただきながらのことだと感じています。
私は芸歴11年の中で諦めることがとても得意になってしまいました。今回の大選挙も期待をするとショックを受けるので、このチームで特番をやれればうれしいけれど、1位を取ると掲げることは怖くてできませんでした。
しかしガサツでうっとうしくワガママで人の話を全く聞かない生意気な横の女は向こう見ずに、未来を信じて前向きな希望をたくさん語っていました。きっと視聴者の皆さんにも、その明るい希望が届いたのかなと思います。視聴者の皆さんが好きになってくれた色を大切にしながら、より多くの方にも愛していただけるような、この番組らしい特番をお見せしたいです

わずかばかりにもヒコロヒーという芸人の素直でない諦観のかたまりのようなキャラクターと、齊藤京子のアイドルらしからぬなんともふてぶてしい男勝りな魅力を知っている身なら、このコメントの奥ゆかしさと心地の良いむず痒さは洗練された筆致込みでこの上ない豊かさで響くのだった。

僕がヒコロヒーのエッセイを手に取った理由は、彼女のネタが大好きになったからとか、『キョコロヒー』を実際に見てハマりにハマったとかでは無く、このコメントを読んだ事実1点に尽きる。

大袈裟かもしれないが、ほんとうにこのコメントだけで「ヒコロヒーの文章読みたい!好き!」と思い立ったのだ。

すぐに本とか出していないのかな?と調べだし、するとAmazonで本書『きれはし』が検索トップに上がってきて、発売日が8/4と出ており迷うことなく購入を決めた次第である。僕は彼女がnoteに文章を書いてることも知らなかった。

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本書はネットではなく書店で購入した。手に取った時の率直な感想は「ちょっと薄くね」だった。

近くにあったずんの飯尾さんやハライチ岩井のエッセイは+30ページはあった。隣に積まれていたくりぃむしちゅー上田晋也の書籍に至っては+100ページはあるボリュームだった。いずれも価格差はほとんどない。

ケチくさいことを言っても仕方ないのだが、こういった正直な感想もネットの海に放っておくことは必要だろう。

読み出すと1日もかけずにあっという間に読み終えてしまった。

はっきりと断言する。すこぶる面白い。すこぶるなんて副詞を不慣れにも使うぐらい面白い。でも声を出して大笑いするとか、読み応えがたっぷりとか、なんか感動するとか、そんな類いとは少々違う。

彼女の生き方や人柄、感性が背伸びする気ゼロでノーガードのまま乗っかっており、味わい深さが半端じゃないのである。

もはや薄さなんて気にならないぐらい価格に見合った満足度は得られた。

ろくな取り繕い方をしてこなかったヒコロヒーというアラサー女性の視点を借りてみると、派手でも豊かでもない生活にもエピソードは転がってるのかもなと信じられる。いつか誰かひとりにでも語れるエピソードになりそうならそのオチは絶望でも希望でもいいし、なんならオチなしだっていいのかもしれない。

語るべきエピソードに時折り出合える人生なら、捨てたもんじゃない。自分で笑い話にできなくても、それを聞いて笑い飛ばしてくれる誰かがいるのなら、きっと幸せだ。

僕の感想はボキャブラリーが貧弱なのだが、ヒコロヒーの文章には期待してもらって問題ない。

もっと書評を詳細にといきたいところだが、書評でもない序盤でだいぶ文字数を消費してしまったので、ここらで幕引きとさせてほしい。ページ数に文句を言ってた人間が、文字数の壁を前にあっさり降伏である。豊かな文章をつらつらと書ける人にはやっぱり惹かれてしまう。

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