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南海キャンディーズ・山ちゃんが天才と評されるワケ

南海キャンディーズの山ちゃん。

言わずと知れた売れっ子である。近年は人気女優との結婚も果たし、芸人としての格もトップクラスまで上がったという見方さえある。

そのすごさを素人が評したところで伝わりきらない。真実味を得るには本人が執筆したエッセイと、山ちゃんと同じぐらい売れている同業者からの評価から読み解くのが一番だろう。

オードリーの若林は、山ちゃんの類稀なるワードセンスを「誰にも真似できない」と絶賛している。言葉選びのセンスは山ちゃん以前、以後に分けられるとまで語っているのだ。自身もそれらしいことは言えるものの、山ちゃんほど笑いを生むことができていないと。

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このコメントは、山ちゃんの自叙伝的エッセイ『天才はあきらめた』のあとがきに寄せられたものである。

『天才はあきらめた』では、山ちゃんが芸人を志し、吉本興業の門を叩いて今日に至るまでの軌跡があけっぴろげに語られている。

等身大の芸人像が生々しく綴られているので面白い。天才芸人のサクセスストーリーであると同時に、クズ芸人の裏アカウントでもある。

当の本人が否定しているのでそれに乗っかるならば、彼は天才ではない。実際にトントン拍子の順風満帆ではないことは本書を読めば分かる。

一定のセンスは最初から持ち合わせていたのだと思う。

だが、そのセンスを比類なきレベルまで高めたのは、間違いなく彼の圧倒的な努力によるものだ。お笑いのPDCAサイクルともいうべき効果検証を徹底的にまわし続けている。

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とにかく戦略的だ。怠らない分析とトライ&エラーの数からはとてつもない執念を感じる。自分に向けられた誹謗中傷も本人の言葉を借りれば「すべてガソリン」へと変えている。

ネタのことはもちろん、個人的な恨み嫉み、目標まで常にノートへと書き殴っている。尋常じゃないノートの数とシミュレーションの数。そして人並みを超越した反骨精神が今の売れっ子・山里亮太を形成したのだろう。

反骨精神については、オードリー若林が「山ちゃんは根がヤンキー」と評していたので腑に落ちる。

センスがある程度では厳しいお笑いの世界で長く突き抜けた活躍はできない。センスにあぐらをかいて短命に終わった芸人は星の数ほどいるはずだ。

山ちゃんは持ち前のセンスに加え、しつこいぐらいの努力を重ね、戦略的に仕事に立ち向かっていった。これもまた書いていたが「人との出会いに恵まれた」ことも大きかったと思う。しずちゃんとの出会いや片山マネージャーとの出会いがその象徴。あと根っこが恐ろしくタフで負けず嫌い。

これだけの要素があって初めて今のポジションを確立できるのだろうし、人気女優を嫁にもらうことができるのだろう。

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漠然と仕事をこなすだけでは突き抜けた成功を手にできないのは会社員も同じだ。努力も苦手ならせめて戦略的に生きたい。それは打算的とは異なる。

戦略的な生き方とは、大局を捉えながら局地的に最善の一手を打っていく生き方であり、日々ひとつの無駄も作らないリテラシーのことだと思う。

山ちゃんの芸人半生がよく分かるエッセイ『天才はあきらめた』はビジネスマンが読んでも学べる点が多々あるので大変オススメ。

天才であるかどうかは結局のところ断定できない。とはいえ、多くの人から天才と評されるにふさわしいほどの努力をし、ひとが容易にマネできないセンスを保有しているのは間違いない。

天才のように見える働きができるのも、いわば天才なのかもしれない。

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