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無敵になんかなれなくていいよ

いいねを押した。スキをした。スタンプを押した。既読にした。誰かのコメントをリツイートした。誰かの意見をコピペした。予測変換で出てきた言葉をそのまま使った。

これはただ便利になっただけで、誰ひとり雄弁になったわけじゃない。

感謝や感想をオリジナルで捻り出すことに、ゆくゆくは僕らは難儀するかもしれないね。

ボキャブラリーを鍛えるには気に入った同じ著者の本を何冊も読むといいそうだ。著者ごと文体の呼吸のようなものは必ずあって、それを浴びることでその著者の語彙が自然と自分のものになる。新たな視座の獲得や価値観の洗練にも繋がる。

日々に追いかけられ、余裕がなくなると生活に感想が持てなくなる。

冷静になった途端、目の前に横たわる現実の解像度が上がり、直視したくないグラフィックが浮かび上がる。だから努めて冷静でいないようにする。ある種の防衛本能だ。

見えすぎると緊張したり疲れたりするからと、視力が悪いのにあえて裸眼で生活する人もいると聞く。核心を避け、日常を円滑に進めようと意識することは、逃げでも狡さでも何でもない。
知恵だ。

仕事でも失恋でも、自分がハードな状況にある時それ自体が苦しいというよりも、その状況に理解者がいないことのほうが苦しい。そんなケースは多々ある。理解者を失った人から厭世観を覚え、生きることを諦めやすくなる。ひとりで抱えるには現実はあまりにも重い。

俗にいう"無敵の人"も理解者を失った人間の成れの果てなんじゃないか。現実の重さを受け止めきれずに手を離した。電車で刃物とサラダ油を振り回す男や、駅で硫酸をかける男。見えない敵と戦うのに精一杯なご時世なのに、目に見えるモンスターとエンカウントして終わりってパターンもありえるなんて勘弁だ。

門脇麦ちゃんのドラマ、めちゃくちゃいいよ。

誰かの寂しさを埋めるのは、きっとまた別の誰かの寂しさだ。

大切な人の存在をシュノーケル代わりにして今日もなんとか溺れず生きている。

無敵の人にならなくていい。なれなくていい。
傷付いて、敵に怯えて、弱さを突き付けられて、たいしたことのない自分を知ってゆく。

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サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います