予言が教えてくれること

○母の予言

幼い頃、お母さんに「そんなところで遊んでたら怪我するよ!」と言われても、構わず友達たちと遊んでると、言われた通りに怪我をして泣いて帰ったというような記憶は誰にでもあるかと思います。

これはいわゆる「母の予言」ですね(笑)そんな大そうな、という方もいらっしゃるかと思いますが、本質的にはそう遠くはないものだと思います。

予言と言えば20世紀末の「ノストラダムスの大予言」や2012年の「マヤ暦」の予言ですね。これらの予言も先に書いた「母の予言」に並べてみれば、こういうことが言えると思います。

○ノストラダムスの言いたかったこと

▷ 母の予言
「そんな危ないところで遊べば怪我をする、ってあんたたちにはわからないのだろうけど、よく考えなさい!もっと賢くありなさい!わかるはずよ!」

▷ノストラダムスの予言
「この状態のまま、人類が突き進めばこのような結果がくるよ、それを思いなさい。今のあなたたちでは難しい問題かもしれないが最も大切なことは何なのかを見極めなさい」

こんな感じでしょうか。

結局、お母さんもノストラダムスも「そんなことしてたら怪我するから怪我をする前に気がつきなさい」と同じことを言っているのです。

仏教では因果応報と呼ばれ、「自分で蒔いたタネは自分で刈り取る」や現代ではブーメランとも言われる[結果には必ず原因がある]という法則は法則ゆえに誰にでも関わってくるものですね。

○大きなコミュニティ単位の因果応報

例えば学校のクラスでみんなが騒いで勉強に集中できない雰囲気だと結果としてクラス全体の成績が下がるでしょう。真面目に授業を受けている生徒さんも集中できず成績は振るわないはずです。これはクラスという単位で原因がありある時期になるとその結果が訪れるという例です。

人類に置き換えれば戦争をしている国もしていない国も「地球人」という単位で結果がブーメランとして返ってくると言えると思います。
ノストラダムスの予言した終末の予言はあたかも人類滅亡を思わせるものだったかもしれません、大地震や大津波、干魃、異常気象などを連想します。いわゆる天変地異と言われるものです。

20世紀末ノストラダムスの大予言がブームになっていた頃の人々は感じとっていたのかもしれません。
ソドムとゴモラの逸話のように人々が享楽的に生き自分さえ良ければ良いとエゴイスティックでバイオレンスな生活をしていれば天変地異によって滅びてしまう、とかアトランティスやムーやレムリアなどの伝説の大陸が沈む様をノストラダムスの予言から人々は感じ取って恐怖していたのかもしれません。

あらゆることには原因があり、必ず時期が来て結果がやってくる。このことを人々は潜在的に知っているからこそ恐るのでしょう。

しかし、顕在的にはどうでしょうか?
悪いことが起きれば「偶然」だ、「あいつのせいだ」「環境のせいだ」と他に責任をなすりつけ、良いことがあれば「俺のおかげだ」と都合よく使っていないだろうか。

なので、予言というものは幼い頃の母の言葉のように悪い結果を教えて良い原因を作るように導いてくれているものなのです。

○ノストラダムスの予言は継続している

今現在も世界中で天変地異と取れる災害が頻発しています。これは予言ではなく事実です。ノストラダムスの予言は1999年で終わっていたのではなく、今も引き続き継続されているようです。なぜ地震が起きるのか?なぜ気候変動になっているのか?この結果から表面的なことではなく、根本的な「原因」を究明し解決しなければそれは対処療法でしかありません。虫歯でいうところの痛み止めで一時的に痛みを止めて、虫歯や不摂生な生活はそのまま、という表面的に痛みを取ろうとせず根本治療をする時が来ています。

予言が当たった外れたというのも確かに面白い見方ですが、因果の法則を自分本位に都合よく使うのではなく、人類としての原因を真摯に受け止め、反省し、謙虚にその予言の中にある隠れたメッセージに気づく必要があると思うのです。


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