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君の弟が生まれた日

病室の白い天井を見つめていると、思い出すのは娘のことだった。

破水したのはまだ夜の明けない午前3時。
異変を感じて布団から飛び起き、トイレで確認すると案の定、下着がぐっしょりと濡れていた。
慌てて病院に電話すると、朗らかなスタッフさんの声が受話器越しに聞こえてきて少しほっとする。予想通り、すぐに病院に来て欲しいとのこと。

玄関を開けると、外は暗闇だ。
夫の運転で病院に向かう。彼が出産予定の病院に行くのはその日が初めてのことだった。というのも、出産予定日はまだ2週間先。夫が私の地元に来たのは、ほんの2日前のことだったのだ。
夜道を走りながら、二人ともどこか興奮しながら「早かったね」と言い合った。

「あ!」
夫が声をあげるのと、フロントガラスの向こうに大きな黒い塊が見えるのがほぼ同時だった。
ゆっくりと動くその塊の正体は、鹿だった。
角の立派な雄鹿が、ゆっくりと道路を横断している。夫は慌ててスピードを緩める。
鹿は逃げる様子は全くなく、そのまま悠然と歩き去った。
珍しいものを見たものだ。とは言え、この田舎町では決して珍しいものではないのかもしれないけれど。
鹿の姿を見たことで、出産への緊張がいつの間にかどこかへ行ってしまった。

病院へ着くと、すぐに病棟のベットに寝かされた。そしてお腹の子の心拍を測定する機械をつけ、点滴が始まる。
2年前の光景がよみがえる。そのときはもっと緊張で震えていたっけ。
そのとき生まれた娘は、現在2歳になった。

出産までは時間がかかりそうなので、夫は、一旦帰宅した。
私は病室にひとりきりになる。
ひとりきり、というのは久しぶりの感覚だった。
壁にかけられた飾り気のない時計を眺めたり、白い天井を意味もなく眺めることに飽きると、思いはいつの間にか自分の娘のことになる。
目が覚めたとき、母がいないと知って泣くだろうか。
娘とは、彼女が生まれてからこのかた、丸一日以上離れていたことがほとんどない。

妊娠がわかってからの日々にも、そばにはいつも娘がいた。
妊娠初期、ひどいつわりはなかったけれど、その代わり眠気が酷くていつも寝てばかりいた。ふと目が覚めると、布団の側で娘が一人遊びをしていたりする。
ときには「起きて、起きて」と叫ぶ声に起こされた。

だんだんお腹が大きくなると、娘を抱っこすることができなくなった。
以前は何か不安になったり、悲しいことがあると、両手を広げて「抱っこ」と言いながら寄ってきたものだった。
「お腹に赤ちゃんがいるから抱っこはできないの」
そう言って言い聞かせるうちに、娘から抱っこを求めることがいつの間にかなくなった。

大きくなったお腹の中に、「赤ちゃん」がいることを、娘なりに少しずつ理解してきたのだろうか。
勝手に本棚の中から私の育児書を取り出して、赤ちゃんの写真を飽きずに眺めていることもあった。出産が近くなり、「もうすぐ赤ちゃんが生まれるよ」と話すと、「今日生まれる?」と毎日のように聞いていた。

お腹に赤ちゃんがいるからね
お腹の赤ちゃんを見に病院に行こうね
赤ちゃんがいるから、お母さん休ませてね

妊娠したことで、娘に我慢させたこともたくさんあったかもしれない。
遊びたい盛りのときに、私は家で寝てばかり。
夏の暑い盛りのときでも、どうしても外で遊びたくてごねたこともある。
私の苦労もわかってくれよと、当たってもしょうがない娘に対して当たってしまったり。

いよいよ、君の弟が生まれるよ。
君は、私の妊娠を共に乗り越えてくれた同志なのだ。
君が生まれてくれて、私も夫も、今まで想像もしなかった喜びをもらった。
新しい家族がやってくると、君もまた、楽しい日々が始まるよ。

出産後、10分だけ許された面会の日に、夫が娘を連れてやってきた。
娘はどこか不安そうにこわばった顔をしている。
「ほら、赤ちゃんだよ」
小さなベットに寝かされた赤ちゃんを、娘は食い入るように見ている。
「触ってみる?」と聞いて見ても、見るだけで触れようとはしない。

「弟だよ」
そう教えてやると、「弟!」と意味がわかったわけでもないだろうけれど、嬉しそうに繰り返した。

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