見出し画像

高校生のわたしの遺書

私は今日、鬱漫画を読みました。
現実で生きていて私が気にしちゃうけど、きっと周りでスタスタ歩いて行く馬鹿たちは気づかないだろうなっていうことを綿密に、ちゃんと問題として感じている主人公のお話でした。
私は苦しかったです。
私はこの漫画を読む前からちゃんとこんなに嫌な鬱な気持ちだったのか心配になりました。
こんなことを気にしている私も格好だけなんだろうなと思いました。
それがとても嫌でした。

私は「周りでスタスタ歩いて行く馬鹿たち」と言いましたが、本当に彼らは馬鹿なのでしょうか。
馬鹿なのは私かもしれないのです。
考え足らずなのを馬鹿と言うなら彼らが馬鹿です。
自分から生きづらく、めんどくさくして、社会に対する知識が足りないのを馬鹿と言うなら私が馬鹿です。
書き出すと私が馬鹿な気がします。

彼らは素晴らしく生きやすい。
彼らは生きているだけだったら全てが普通に感じているのです。
夜景を綺麗と恋人や好きな人と観て、朝6時は早すぎると文句を言い、お昼時に目が覚めて笑って友達に連絡し、二度寝を楽しみ、人混みの中で散財して遊ぶ。
スマホで撮ってSNSで遊ぶ。
私はそれができない。
したいと思えないようになりたいのです。
夜景は一つ一つの光に人がいて何かしていて私のことは全く知らずに死んでいくと思うと怖い、6時に起きると6時より前の景色や朝焼けを見れなかったことが怖い、お昼時に目が覚めたら絶望するしかない「1日が、また、短くなってしまった…。」、二度寝なんて寝てるにできることができなくて何が起こったのかわからないのが見れないのが怖い、人混みで一人一人今何か考えていると思うと怖い、疲れた。
SNSは私たちを寂しくさせる、豊かじゃない人間となる。
怖い。
私は生きていると怖いことだらけです。
馬鹿だからでしょうか。

どうしようね私たち。
ここまで怖がっているのに生きることだけに必死になれるわけじゃあありませんでした。
生きているだけで必死な人も羨ましいです。
目標が生きることにあれば、私は簡単に死んでいたのに。
誰よりも中途半端な私と言ったら、、、。
死んだ方が楽という考えは持ち合わせてないのでした。
くそっ!けち神め
と。
私はこのまま、本当に中途半端に思想を巡らせ続けるのか。
自然に「普通でない」人になりたくて、こんな考えを巡らして苦しいのは普通ではないのに、「普通になりたくない」って考えに至らないほど普通の女の子に生まれたかったと思う。
これからもどうしようばかりでずっと中途半端なのでしょうか。
「大丈夫!生きているだけで偉いよ!何か目標を持って、夢を持って成し遂げれば、必ず人生に意味を見出せるよ!頑張って!!」



命令形で応援されても。
馬鹿な私は、その言葉を言えるあなたがが羨ましい。

ふつつかだみ子

この記事が参加している募集

やってみた

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?