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アイリッシュマ男は友情に熱いのか

アル・パチーノが出ているセント・オブ・ウーマンの感想を書いています。ヘッダ画像をお借りしています。セント・オブ・ウーマンというよりかはアル・パチーノに対する想いを書いている感じがする。

セント・オブ・ウーマンの感想

アル・パチーノが主演……主演でいいんですよね?セント・オブ・ウーマン/夢の香りは、いきなりアルが出てくるわけじゃない。

で前回「序盤ですでに3つぐらいある」みたいに挙げたセント・オブ・ウーマンのクリティカルなシーンはすべてアルに関するものでした。

つまり初登場シーンから強い。アルは目が見えない役でした。

目が見えないってことをアルに会いに来た人はアルが目見えないって説明されてないところが恐ろしい。映画の話の中で表現しようとしたんですね。

といいますか……アルと初めて会うことになったのはアルの家族外の人なんだけど、それまでにその家族を介して会うことになるのに、当該家族はアルについての情報を「サーと呼んじゃダメ」ぐらいしか教えてやらない。しかも別にサーと呼んでもそこまで起こるわけじゃない。

アイリッシュマン、フェイクのアル

ぼくが見たアルは前回の通りアイリッシュマンとフェイクでした。どちらも、アルが出ているから見た節が強い。前者はそれ以外にもマーティン・スコセッシが監督でありむしろアルがスコセッシの知り合いの中からすれば外側に位置する人みたいな感じだったらしいと後からわかった。

ぼくはアイリッシュマンを観た後に、関係者が語るアイリッシュマンみたいなものを2回も見てしまった。これはアイリッシュマンとは別に用意された20分ぐらいの広報解説的な短いムービーです。

アルの話を知りたかったのもあるけどオフショットのロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、マーティン・スコセッシをそれぞれ見たかったのもあった。映画の撮影方法とかの会話がメインだからオフショットってわけじゃないかも知れないけど、演技してない3人を観る機会なんて初めてだったので貴重だった。

足りてなくて友情がある男

セント・オブ・ウーマンを途中までしか見てないからまだまだ浅いんだろうけど、前回述べたようにぼくはアルに対して孤高で欠点がない感じのイメージを持っていた。

だけど蓋を開けると、これまで書いた映画の中ではアルは決して「完璧な人間」など演じていなかった。逆に言うとアルが演じたのはどうしよもねえ男でしかなく、完璧で落ち度のない人間では決してなかった。

そして血も涙もなさそうな割によくわからない情を隠し持っている。得てしてその情は多分アルが演じている人物からすればいきなり相手に見せるべきではないから隠したのでしょう。

アイリッシュマンのアルは労働組合の八方美人みたいな人だったけど権力者ということはイコール偉い人で、序盤はそれなりに人望がある。でアイリッシュマンであるロバート・デ・ニーロにだんだん心を開き、ドアを開けておき、あのようなことになる。

フェイクのアルも最初は心の防壁が高く設定されていたように思う。

マフィアの地方ボス的な面倒な立ち位置にいて、恐ろしくて強いのかなと思えば部下にしたばかりのジョニー・デップに金の無心したり、むしろ最初のデップとの出会いすらデップに画策されていたり、どんどんもっと面倒な立場になってぼろぼろになるけど、そもそもアルを潰そうとしていたデップにすら同情されて本来のデップの役割を果たしたくなくなるほどの友情が書かれている。

書かれているといいますか、この二人がそれをうまく演技して映画の中に書いていると言う方が正しそうだ。フェイクについて話しているとそれだけで字が溢れてしまう。

そしてセント・オブ・ウーマンのアルも最強の軍人みたいに思えるけど、最初に述べたようにいくつかのクリティカルなシーンでそれが覆される。

現代で普通に使い回されるような「ギャップ萌え」みたいな感じじゃなくて、じわじわ書かれるのが何か不思議な感じがする。

じわじわ書かれてしまうと、ギャップに思えなくなりそうなものだけど……そのアルのキャラクタを受け入れる土壌が視聴者の中に完成した時に、アルが突然(別に脚本にそう書いてあるんだからそうするしかないんだろうけど)起こすそれぞれの行動が、舞台上で演じている人々の集中力を最大限に掻き乱し、視聴者の心を釘付けにする。

次回はその名場面についてお話しましょう。

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