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【何が本質?】中間の立場はつらいよ

仕事において、立場により重視する点は違う。しかしながらもっとも重要な点はお客様に価値をお渡しできるか、につきる、という話

現在、とある案件で事態が錯綜している。

①大手管理会社、②元請、③下請け業者(私たち)という構図の中で、①がはじめに手配した段取りでどうやらお客様になにかしらやらかしてしまったらしい。



そんな経緯もあり、そのやらかしのシワ寄せをくらっているが②である元請の担当者。かなりの圧を①からかけられているとあって、③である私たち末端の業者に無理な要求をしてくる始末。

高圧的な態度や強気な姿勢であれば、立派なパワハラのようなパワーバランスが生まれるのだが、元請の担当者はまじめで気が弱いことから、一人でテンパっている模様。



様々な無理な要求が①からの影響であることに気がついた私は、話はわかるが受け入れることはできないと突っぱねると、さらに元請担当者のテンパり具合は加速、最後には「何でもいいから進めて欲しい」と泣きそうな事態にまで発展してしまうのであった。

ここで感じたのは、この経緯や結果を誰が望んでいるのだろう?ということ。最終的な依頼者であるお客様は「何でもいい」仕事は望んではいないはず。



すでに一度何かしらやらかしている①に対し、これ以上の適当な対応は命取りになるといってもいいのではないかと思うのだ。

この件で感じるのは、責任を負う立場である①がその覚悟を持っていない点がそもそもの発端である。何をやらかしたかは知らないが、迷惑をかけてしまったお客様に対して誠意ある対応を心がけるなら、取るべき行動は一つしかないはず。



しかしながら、自己保身ばかりを優先し、対応を②になすりつける。それも難易度の高い仕事にもかかわらず、詳細はすっ飛ばし「なんとかせい!」は大事故の可能性を高めるだけ。

私なんかはなぜ頭を下げてお客様に理解を求めないのか不思議でしょうがない。怒っているから、というはわかるが、それでもこの事案をより良い方向に導くために必要な要素であれば、それはその立場役割りであると思うだ。



この構図を逆算していくと、最終的にお客様がよろこべば関係する各立場の人間の面子を保たれる。であるならば、その経緯で怒られようが仕事がうまくいく可能性が高いルートでことを進めるのが正攻法なのだ。

私が①に説教をたれる機会など訪れるわけはないので、事態が好転することはないが、私の立場では「できないことはできない」と主張し、②の元請担当者に理解を求めつつ、彼のメンタルが崩壊しないように注視することしかないのだろう。

自身の役割りを最終的に価値を渡す存在に集中することで「何をすべきか」は見えてくる


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