悪しからず。

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出鱈目島の阿呆蛇羅男

  糞戯けの俺が放つき歩き、碌でもない事ばかりを繰り返し途方に暮れたり暮れなかったりしながら日々を垂々としていた。日銭をこさえては酒を喰らい、駅の改札付近で自らの陰毛を燃やしたりしてゲラゲラ笑っていた。  ふと振り返ってみると、碌でもない事の数々が其処彼処に散らばり絶望の眼差しで此方を睨んでいた。確かに見えたその光景を見なかった事にしてまた放つき歩いた。  くだらない毎日を歩いていると商店街の隙間から蛙がポコペンと現れた。蛙は弱っているみたいだった。それでも蛙は少しずつポ

    • 入院したり、手術したり

      もうそれは十年以上も前から症状は現れていたのだけど、原因が全く分からなかった。腹痛である。腹痛つっても軽いものじゃなくて、それが始まると立って居られなくなるくらいの激痛。キューンと締め付けられるような痛みで悶絶する。横になると少し楽になり、翌朝には噓みたいに良くなっている。その頻度も一年に一度か二度だったものだから、そんなに気にしてはいなかった。 それがアータ、昨年の11月頃からひと月に2、3度になって、オイオイオイオイとなっても翌朝とか、やもすれば30分程横になって

      • 追い剥ぎ街道

        この集落から隣の集落へ行くには遠回りをして険しい山肌を進むか、高い船賃を払って海へ出て更に先の集落から戻ってくるか、この道を通るかの三つの選択肢がある。 この道を行けば一里もない距離だからなんて事はないのだけど、殆んどの者は険しい山肌を危険と背中合わせで行く。よっぽど裕福でない限り海からは行く事は出来ない。 なら、何故人々はこの道を通らないのか。 この道は昼間でも日光が射し込む事は無い。暗く、空気も澱んでいる。道を覆い尽くすように不気味な木々が生え散らかし、その木

        • ライブをやった!

          今月11日、つまりは2024年2月11日(日)に東京立川ハートビートにてライブをね、やってきた。 DISHARGEとしてはなんと約7年ぶりとな!DISHARGEはメンバーが住んでるとこがバラバラやから頻繁に集まってリハなど出来ない。ヴォーカルとギターは東京在住、ドラムは茨城(現在は単身赴任で埼玉)、で、わたくしが新潟県は佐渡島なもんやからライブ数日前から島を出てリハ(飲み会)をやりまくる。 今回も例の如くビールを何リッター飲んだか分かりゃしない。のだけど肝心のリハは、こ

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        出鱈目島の阿呆蛇羅男

          遺書を

           えーと、ヤバッ死んでまう!とか身体の具合悪すぎとか(今、ちょっとよろしくはないけど)、死神が見えるわ、あああもうアッカーンとか ではないのだけど、ほれ先の地震の事もあったわけやし、じゃなくても対向車線走っとった大型トレーラーが急に突っ込んで来たり、悟空が放ったカメハメ波が外れて、なんか知らんけど俺に命中したり、普通に雷の直撃を受けたりするかもしれませんやん?やし、そんなんで死んでまうかもしれんからチクとね遺書を、遺書みたいなもんを書いておこうかと、そういう寸法でございやす。

          ライブをやる!

           小説だけを書いているわけではなく、釣りだけが生き甲斐というわけでもない。実はバンドもやっている。 人は赴くままに何をやっても自由なのだ。 はい。わたくしのバンドdisharge(ディシャージ)が、ひっさびさにライブをやりまする!今年は音源も再び高円寺のレコード屋BASEへと納品して、こうバンドとしても、んぐんぐやってたとこにライブのオファーを頂き、んぐぐぐぐぐぐぅ!となり出演することとなりやした。  なんで、これ読んでしまったアナタは、はい、ライブへ足を運ぶ運命というこ

          ライブをやる!

          IDOL or DIE

           本当は何もかも最初からわかっていた。そんな事は言われなくても知っていた。  わたしが居るのは、一応事務所に所属しているアイドルグループで、二年前に雑誌のオーディション企画で誕生した。デビュー当初は、その雑誌のバックアップもあってそこそこ話題になったのだけど、特にシングルがヒットするわけでもなく、グラビアを飾る事もなく、当然テレビなんかにも出ることなく、今では自主興行なんかやっている地下アイドルの方が注目度が高いくらい。ホント嫌んなる。  憧れていた世界に入ったものの

          IDOL or DIE

          カミヲトコ

           申し訳なさそうに玄関を入ってきた津田君の半ズボンから生えている右足の太ももに、太めの輪ゴムを三連に束ね思いっきり引っ張り、躊躇なく弾く。津田君の表情は歪み、涙が見えた。そんなことじゃ僕の怒りはおさまらない。冷酷に言う。 「つぎ」 慎君は堂々と入ってきた。入ってきて悪びれる様子もなくいつもの声で言った。 「わるかった」 悪かったなんて感情は微塵も感じられなかった。その事は、更に僕の怒りを大きくした。僕は慎君のすぐ傍まで近付き、顔の前で輪ゴムを弾いた。左頬にあたり赤くなった。慎

          カミヲトコ

          蟹を

          蟹を食べるではありません。いや、食べるのだけど。 蟹をとる。なんだけど普通は。籠とかでね。 蟹を釣る そう、蟹を釣ったった。うぉりゃっつって。 蟹の種類は、毛ガニとかズワイガニとかではなくて、アオガニとかタイワンガザミと呼ばれているワタリガニ。 結構でかくて、所謂普通サイズのズワイガニくらいある。 釣るといっても、針でガシっと掛けて釣り上げるのではなくて、イメージとしてはザリガニ釣りみたいな感じで餌を掴ませ一気に海底から引き上げる。 ザリガニと違って海の中にいるアオガニは見

          i

          今頃になってようやくわかってきたのだけど自分というものの何という身勝手さ 結局は全ての事を自分がコントロールしないと気が済まないからそうなる 協調性など実は持ち合わせていない 俺はいったい何をやってるんだ?何をやってきたんだ? 関わって来た人達に なんて申し訳の無いことを繰り返してきたのだろうと厭んなる 今頃になってわかっても、もう遅いと思うのだけど 俺はひとりを好むという事、そして冬が嫌いだという事。 忘れた事など一時もない けど、何もやってあげら

          伯爵の子

           小学生の頃、同級生に伯爵の子がいた。名前を岡田ケンジといって、ある時期から自分は伯爵の子であると言い始めた。  伯爵の子はわりと同級生たちから嫌われていた。服装が煌びやかである、執事が高級車で送り迎えをする、人を見下している、給食を食べずに高級食材の詰まった弁当を持参する、頭脳がずば抜けて良く教師をタジタジにする、とかそんな事は全く無く、しかし、あまり好かれてはいなかった。  伯爵の子というのだから、親は伯爵の筈であるのだけど、岡田ケンジの父親は昼間っから酔っぱらっていた

          伯爵の子

          DISHARGE納品3タイトル

          我がパンクレーベルであるサンキューレコードカンパニー。 そう言えばっつって東京のレコードショップBASEのホームページを覗くと、うちのレーベルの作品が悉く売り切れていた。ウホっ。 DISHARGEのアルバム達、更に超パンクユニットdeStrOyed hONgE MaChiNEの1stまでもソールドなアウトになっていて焦る。 というわけでこの度DISHARGEのアルバム3タイトルを追加納品させて貰いました。 この数年変わったのはパンデミックもそうだけど、戦争も勃発した。

          DISHARGE納品3タイトル

          ニャンドル シュンの憂鬱

          「ニャンドルさん、ひと言お願いします」 概ねそういう事を口々にした記者に囲まれてしまった。心当りが無いと言えば嘘になるけど、触れて欲しくない。そもそもコイツらは、わたしの仕事であるニャンドルというものを理解していない。妻の事で面白おかしく騒ぎ立てているだけに過ぎない。 ニャンドル シュン、本名武田俊二はその業界を切り開いた男だ。動物、とりわけ猫に関してのプロデュースというか、テレビ番組、雑誌、映画にと動物が必要とされている現場は多々あったものの、動物ゆえに難しい事柄、

          ニャンドル シュンの憂鬱

          フィッシン

           あらすじ  幼少の頃、魚と会話した。あれはたしかに。  開発した新素材FKPEは想像を超えるポテンシャルを秘めていた。それなのに俺は、やらかしてもうた。終わった。と、思っていたらウハウハになった。FKPEサイコー!次々と契約が取れ、次々とプレゼンの依頼が来る。  それなのに俺は、またやらかしてもうた。アッカーン。終わった。そして俺は会社を首となった。しゃーないから久々に帰省した。地元の友人との酒の席で、そいつは妙な事を言った。 「なぁ、キャサリンて覚えとる?」 居酒屋を出た

          フィッシン

          1999年

          1999年に何を思っていましたか? ノストラさんがダムスさんが、予言なんてしてましたでしょ? 1999年なんて遠い未来のことだと思っていたらば、当たり前の事だけど1998年の翌年にシレっとやってきて それで 特に何がどうしたってのも無かったのだけれども 俺は自棄みたいなものをおこしていた。 1999年 ↓↓↓ https://ncode.syosetu.com/n4650ia/ 恐怖の大魔王ってなんやねん

          1999年

          文學界 四月号

          毎回買って読んでいる という訳ではないけど、年に何度か購入する文芸誌 文學界である 本などを読む時、わたくしは全部読む 頭から読み進め、全部読む 興味あるところからとか、途中のところからとか そんな事はしない ド頭から読み進め、裏表紙まで読む というスタイル 今号では特集が[作家とギター]という事もあり楽しみだった けど、それは百頁以上読み進めたところから始まるから ド頭からいく 先ずは巻頭のギターなんかの写真から目次を経て 松浦寿輝さんの「谷中」 フランス

          文學界 四月号