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愛と科学の狭間で物語を語るということ

 私も大好きなあるSFアニメがツイッタランドで話題になっていた。

 詳細は上記のまとめを見ていただければと思う。大学教員という職業で、科学者や研究者というカテゴリーで生きていれば、たまに似たようなことを思うこともある(口にするかどうかは置いておいて)。本件について、何か深い議論をするつもりは一切ない。

ーーーただ、ツイッタランドで議論を眺めていて、昔々に嫁さんと喧嘩というか熱い熱い議論をした日々を思い出したのだ。


 前提条件として、私はバリバリの理系で研究者だが、嫁さんはバリバリの文系で僅かな時間さえあれば小説を読むことを好む。自宅で料理をしながら、キャンプ場で焚き火を囲みながら、とにかくどこでも時間さえあれば小説を読むのが好きだ。

 私達は学生時代から交際していたが、私が超ド急の田舎の大学キャンパスで採用されたので、私は縁もゆかりもない、この超ド田舎に先に越してきた。山や川や野原はあれど、都会的な遊び場は一切なく、ずっと研究室で過ごしていた。文字通り、家には寝に帰るだけの研究オンリーの生活をしていた。やがて嫁さんと結婚して、嫁さんと(大学の官舎で)新婚生活が始まった。幸いなことに嫁さんもアウトドア好きだったので、キャンプにいったり旅行に出たりで楽しく過ごしていた。

 しかしド田舎で困ったのは、とにかく文化的なものから離れてしまうことだった。展覧会なぞ来ないし、イベントもこない。本屋はかろうじて町内にあったが品揃えは良いとはいえず、嫁さんはもっぱら田舎によくある寂れた古本屋で小説を漁って活字欲を満たしていた。映画を見にいくのはちょっとしたイベントレベルの出来事で、あらかじめ計画を立てる必要があった。越してきた当初は近所にあったレンタルビデオ屋の品揃えも悪く(後に閉店する)、遠くにあるツタヤまで通っていた。私も嫁さんも映画やドラマも好きだったので、とにかく映像的なものへの飢えが夫婦で積もっていった。

 そこでスカパーを契約して、スカパーのチャンネルを色々と契約した。衛星放送ってすごい、と当時は本当に感動した。こんなド田舎にいても映画やらコンサートが見られると。いや本当に嬉しかった。そんな中で、夫婦でハマったのが「LOST」だった。

 第1シーズンを見てドハマりした。夫婦でワクワクしながら、次のシーズンを待っていたのを思い出す。内容を知らない人のために、ここではネタバレは書かない。ネタバレしてしまったら見るのが面白くなくなってしまう(なのであえて英語版ページをリンクにしておきます)。私はLOSTで、この監督にはまった。J. J. エイブラムスは天才だと私は思っている。最近は有名映画の監督やら製作総指揮ばかりだけれども、LOSTの様な好き放題やるTVシリーズをまた監督として、いつかやって欲しいと個人的には願っている。

 さて、このドラマの凄いところは、とにかく「伏線」が優秀なのだ。J. J. エイブラムスの真骨頂だと思う。このドラマの楽しいところは、シーズンとシーズンの間に、

「あれは、どうなるの?どういうこと?」
「あれは、こういうことじゃないの?」
「いやいや、あれは、こういう意味でしょ!」

 といった会話を楽しむことにある。リアルタイムで見ていた視聴者は、きっと、この楽しみを存分に経験したはずだ。アマプラやレンタルの一気見では、この楽しさを経験できない。シーズンの間に半年あってこそ、だ。その半年こそが至福の時間だったのだ。時間をかけて、ゆっくりと謎解きをするような感覚だ。我々夫婦も最初はリアルタイムではなかったものの、スカパーでのシーズンの合間にあれやこれやと、想像をして楽しんだ。それこそ、熱狂的にハマったといっていい。私の人生ではER以来の本当に熱狂したアメリカドラマだった。やがてスカパーのシーズン初回放送に追いついて、いよいよ最終シーズンを迎えた。二人の期待はとてもとても高まっていた。

 ところが、、、だ。このドラマをGoogleで検索しようとすると「LOST 意味が分からない」とサジェスチョンが出る。気持ちは分かる。我が家でも、このLOSTの結末について、夫婦喧嘩というか、議論というか論争になった。つまみと酒を用意して万全の体制で望んだ最終話。終わった後の嫁さんの顔が「?」になっていたのを思い出す。

 いわゆる「伏線の投げっぱなしジャーマン」を許容出来るか否か?である。シーズン間を楽しむための伏線のいくつかは放棄された(ように見える)。いや、深読みすれば回収されている。でも検索のサジェスチョンが言うように「意味が分からない」という感想を持つ方もおられるというのは理解できる。なぜなら、うちの嫁さんもそうだったからだ。「?」の状態が、だんだんと「怒り」に変わっていく。ハマっただけに、終わり方に納得がいかなかったのだろう。何度も何度も

 「結局、アレはなんだったの?」

 と繰り返す。うん、気持ちは分かる。分かる。そのやりとりの課程で、私が出した例が悪かった。

 「でもさ、ドラえもんのポケットについて「アレはなんなの?」とは誰もきかないじゃん。アレはあーいうものなんだよ。物語の設定なんだよ」

 と返したら喧嘩というか、納得のいかない嫁さんと凄い議論になったのだ。ここで二人の関係を振り返りたいのだが、私は理系で科学者で、嫁さんは文系で小説好きだ。LOSTの「あれが何なのか」を怒る役は本来であれば私のはずだ。ところが普段から小説を好んで読む嫁さんが怒って、私がなだめるという、逆の展開が生じたのだ。

 ここで嫁さんとの議論を蒸し返すことが目的じゃない。ただ、これこそが「LOST」の、そして「J.J.エイブラムス」の凄いところだと思うのだ。つまり、うちの奥さんはLOSTが物語であってSFであることを忘れる程に、作品世界にのめり込んだということだ。何度も「あれの謎」が空かされていない、納得いかない、と繰り返す程に作品世界に見事にハマった訳だ。

 ・・・これって凄いことだと思いませんか?

 この怒りを生むほどに作品世界にどっぷりと、底なし沼に引きずりこまれたのだ。これはJ.J.エイブラムスの勝ちでしょう。凄いよ、本当に。でも、あの作り方は、まだゆったりした時間が(ド田舎に)残っていた、あの時代だからこそ出来たのかもしれないとも思う。ファストな消費が好まれる、タイムパフォーマンスばかりを気にする今の時代では楽しめない手法かもしれない。シーズンとシーズンの間の半年、その期間に語り合う時間こそが作品世界の面白さを盛り上げていったのだと思う。あの感覚は次週のジャンプのドラゴンボールが待ちきれなかった子供の頃の感覚に近い。それぐらい楽しい時間だった。LOSTについて語り合う時間、私達夫婦はその物語を語りながら、その物語の中に間違いなくいたのだ。

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 ツイッタランドで話題になった作品だってそうだ。連載から20年を経て本職の方が怒るほどに、よく出来ていたのだ。本職も本職の、ど真ん中の研究者でもSFであるという前提条件を忘れる程に、物語が作り込まれていて、世間に受け入れられたのだ。これって、凄いことじゃないですか。そう思いませんか?こんなことを言うと安っぽいレビューみたいでアレなのだが、これは愛だ。愛としか言いようがないと思うのだ。科学を愛する気持ちと、物語を愛する気持ちと、作品を愛する気持ちがツイッタランドで複雑に絡み合っている。とても美しい現象だな、と私は思ったのだ。ツイッタランドも捨てたもんじゃないなと。

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 話をLOSTに戻そう。最終話を迎えて、その物語の中で、物語について語り合うべき時に、ドラえもんを例えに出した私は無粋でしかない。アホでしかない。馬鹿だと思う。嫁さんが怒るのも最もだ。今、こうやってツイッタランドを眺めていて改めて思い出す。本当に反省しかない。だから、ここに書き留めておこうと思う。あの時の私は馬鹿でした。作品に向かい合う愛は嫁さんの方が大きかったのだ。怒るほどに作品を愛していたのだ。あの時、私は最初に物語から出てしまった。嫁さんは物語の中から語っていたのだ。それが分からない私がアホだった。

 とにもかくにも、私はLOSTを通じてJ.J. エイブラムスが大好きになった。大好きというか、それを超越して感謝している。あの頃、ド田舎で映像的な文化物に飢えていた夫婦に、とてもとても楽しい時間をくれた。物語について喧嘩っぽくなるほどに熱い議論をして、あの時確かに物語の中で夫婦で楽しい時間を過ごした。友も知り合いもいない土地で、二人で本当に楽しい時間を過ごした。心から感謝している。

 そのうち、嫁さんにLOSTについて再び感想を聞いてみよう。あれから何年もたった。今度はドラえもんは出さない。まだ怒っていたら、一緒に怒ろうと思う。そしたらJ.J. エイブラムスは本当に偉大だと思う。うちの嫁さんをずっと作品世界に捉えたままなのだから。

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