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還咲

 2019年の今日、「ネリネ」という作品を投稿した。「カンパニュラ」という名前で、活動を始めて間もない初夏のことだった。

 この曲は元々、曲作りや楽曲制作ソフトの基本的な操作もまだ分かってなかった時分の僕が一人で楽曲を書き、不慣れだったギターを演奏して録音した。完成したそれをインターネットを通じて知り合い、何度か作品を一緒に制作させてもらっていた、当時は顔も知らなかったれいんさんに映像をお願いした。曲作りだけでなく、誰かとの制作においてもおそらく分かっていない部分が多かった。右往左往しながらとにかく制作を進め、出来上がった作品の、あまりの熱量の高さに圧倒され、そのままの勢いで動画投稿サイトに投稿したことを覚えている。
 その当時は僕が一人で楽曲を制作して投稿し、投稿した作品を通じてまた友達ができ、その友達が作品作りに関わってくれるようになり、また新しく制作して投稿し、それで結果的に多少なりとも僕の作品を聴いてくれる人が増えるということ、その全てが面白くて仕方がなかった。現実世界の絶望的な状況や、生活の不自由さや圧倒的な虚無感を、この活動のことを考えている時は瞬間忘れることもできた。

 頭の中で音楽が花火のように開く瞬間がある。突如開いたその花火を起点にして曲を書くとき、偶然か必然か長く聴いてもらえる作品になることが多い。この曲も、そうやって書いた。ネリネをモチーフに、死に際を自覚した人と、その傍で彼を直向きに愛する人のことを「ただそこにある現実」として、悲観も楽観も込めず、書いた。今もおそらく全く分かっていないけれど、特にこの頃は楽曲制作のなんたるかを、それこそまるで分かっていなかった。ただ、ここに書いた詩に関しては、その時感じていた色々な気持ちを、捻くれず素直に入れることができたという点で、手前味噌ながらよく書けたな、と思っている。

 やがて、この作品を好いてくれる人がたくさん出来た。
 ある人はインターネット上の配信で何度も演奏をしてくれた。
 ある人はこの楽曲をモチーフにイラストを描いて、葉書にしてくれた。
 ある人は車のカーステレオでこの曲を流して、自分の子供たちの前で楽曲を褒めてくれた。
 ある人はご自身の職場でこの曲を歌ってくれて、教え子である何も知らない子供達に聴かせてくれた(その場にいた子供達はこの曲をとても褒めてくれたらしい。こんな僥倖はない)。
 独りよがりな僕の音楽制作と活動が、外の世界とつながった瞬間を何度も感じた。人の死を描いた歌で、僕は多分、生きている実感を何度も得ている。この曲にまつわる全てに、大袈裟ではなく何度も救われている。決して僕自身ではなく、周りの人たちがこの作品を特別なものにしてくれたという意識が、厳然と僕の中にある。

 今日で、あれから4年。その間に僕は歳ばかりを一丁前にとり、それなりに色々な出会いと、お別れがあった。
 絶望的な状況も、涙が出るほど温かい幸福も、全部ひっくるめてカンパニュラという変わりものの花とお茶をしていることで生まれたことなんだな、などと思う。不思議な感覚だ。と同時に、この曲をもっと綺麗に飾ってあげたいと、いつからか思うようにもなっていた。作った当時に足りなかったものを補い、美しい形にして、もう一回送り出してあげたい。4年前と比べて、多少は僕も色々なことを学んだ。何より、僕の周りにいてくれる人たちが、驚くほど増えた。
 そんな時、れいんさんから「この作品の映像を、今持っているものでリメイクしたい」とお申し出をいただいた。願ってもない話だった。タイミングとして、ここでやらなければもう機会は来ないのではないかと思い、ネリネという作品を、今できる最大限のことをして、ちゃんと綺麗にしてあげることに決めた。

 ネリネは、花の名前である。
 カンパニュラも花の名前である。
 隣り合って咲いているのだろうか。それは、幸せな光景だと思う。

 花には花言葉がある。一体それは、誰が決めたものなのだろう。
 ネリネという花にある花言葉に託した気持ちは、還咲でもそのまま生きているのだろう。本リメイクに協力してくれたアルケロさん、グピコさん、僕にきっかけをくれた発起人のれいんさん、この作品を愛してくれた全ての方に、心からのお礼と、この花の花言葉を贈る。

「また会える日を、楽しみに」

2023年6月25日 かんせーなタウンにて
カンパニュラ


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