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さよならだけが人生ならば

悪い予感が当たってしまった。

noteを始めて少し経ち、とりあえずのんびり継続して書いてみようと思っていた矢先、一緒に働いてきた料理人が辞めることになって、メニューやオペレーションの練り直しに追われることとなり、呑気に構えていられなくなった。

うすうす、そんな気がしていたけど。

幸い、替わりに入ってくれる子が見つかり、一安心。私一人じゃ何も出来ないから。

人の入れ替わりの多い仕事だ。出逢いと別れを繰り返し、別れることにも慣れているつもりだった。

でも、有り難いことに料理人はそれなりに続けてくれる人達に巡り会えてはいた。やっぱり、安定して何年も組んできたのに辞められるのは、寂しい。


でもまぁ、それぞれの夢、それぞれの道だから。お互い頑張りましょう。


私もいくつかの店を歩いてきたし、色んな人とも働いてきた。辞める時の態度が悪い人もいるし、辞めると言った瞬間に手のひらを返したように冷たくなる上司もいる。

動揺して変な態度になってしまうのはそれだけ期待していたことの裏返しだったりするし、単純に見切られたということもあるだろう。いつもと同じ様に笑って、なんて、無理した演技か、本当はどうでもよかったから気にしていないか、なんじゃないか。

別れって、それくらい心身ともにダメージを受ける気がする。


井伏鱒二は『勧酒』という詩の世界を

ー花に嵐のたとえもあるぞ   さよならだけが人生だ


という名訳を残したのは有名な話。

一期一会、愛別離苦の人生、

別れは仕方ない、受け入れて生きていこう

というもの。でも、なんか寂しいなぁ。

対して、寺山修司は『幸福が遠すぎたら』の中で、

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう
さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう
さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません。

と謳う。さよならだけが人生なんて、そんな諦めきった人生は辛すぎるじゃないか、と。

明るい未来を前向きに夢見ていないとやっていけないでしょう、と。

別れは仕方ないものだけど、前を向いて、さらなる高みを目指したい。

『星影のワルツ』が聴こえるようだな。

時代も人も移り変わるけれど、私は郷酒の厨房に立ち続け、今日も明日も料理や食材と向き合い、スタッフを、お客さんを元気に笑顔でお迎えしたい。

美味しいご飯でもてなしてみんなを送り出したい、背中を押したい。と願っている。

山形だしレシピ

…これからパートナーを組んでくれる山形の子のソウルフード

ナス、キュウリ、みょうが、大葉、オクラ、納豆昆布などを細かく切って、めんつゆかだし醤油に漬ける。とうふや冷たい麺類、ご飯などにかけて。






おいでくださりありがとうございます。 不器用な料理人、たぬき女将が季節の食材、料理、方言にまつわるよもやま話を綴っています。おまけレシピもありますよ。