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JBがいなかったらFunkもHiphopも生まれなかったと思う

『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
2014年 ‧ ドキュメンタリー/音楽ジャンル ‧ 115分
原題:Mr. Dynamite: The Rise of James Brown
監督:アレックス・ギブニー
製作:ミック・ジャガー
キャスト:
ジェームズ・ブラウン、ミック・ジャガー、アル・シャープトン、
メイシオ・パーカー、メルビン・パーカー、クライド・スタブルフィールド、ピー・ウィー・エリスアルフレッド、マーサ・ハイ、ダニー・レイ、
ブーツィー・コリンズ、フレッド・ウェズリー、チャックD
アミール・“クエストラブ”・トンプソン

■極貧かつ独りぼっちの幼少期

JBことジェームスブラウンは

1933年、まだ黒人の人権がきちんと認められていない時代、

アメリカ南部の貧民街で、掘っ立て小屋のような家で生まれた。

父はテレビン油用の樹液を採取する労働者だった。

(父は小学2年生までの教育しか受けていない)

4歳で母に捨てられ、6歳で父とふたりでジョージア州オーガスタまで64キロも歩いた。

9歳の時、叔母の家に預けられた。そこは売春宿だった

そこでジェームスは、売春宿の客引きをしていた。

それ以外に兵隊の前で踊って小銭を稼いでいた。

靴磨きもしていたが大して稼げず、いつも同じ服ばかり着ていた。

15歳の時、ジェームスは洋服を盗み、8年の実刑判決を受けた。

実は、彼がここまで極貧だったことはあまり知られていない。

事実、私もこのドキュメンタリー映画を観るまでは知らなかった。

「ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男」という別の映画も観たはずだったのだが、そこまで幼少期のことは触れられてなかったと思う。(単なる私の記憶違いだったら、スミマセン!)

■JBのピープル・ツリー

JBのことは、特に音楽好きでなくても、大抵の人は名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。(ない人は、今日、ここで覚えていってほしい)

それ位、歴史的人物、偉大なシンガーであり、マイケル・ジャクソンやプリンス、ミック・ジャガー等、沢山の有名アーティストに大影響を与えた人である。

以下、ツリー参照。

https://40.media.tumblr.com/0042b17280c463fade37874193ebda75/tumblr_nhvx5oDjVH1u506llo1_1280.jpg

映画内でも、このような人々(ジャネール・モネイ、ジャスティン・ティンバーレイク、カニエ・ウェスト、チャック・D、クエストラブ)本人が影響を受けたと話している。

■We are Black

JBが活躍し始めた時代は公民権運動真っ只中だったせいか、彼は政治的発言もしっかりしていた。

「それがブラックパワーさ」

「俺は自分が正しいと思うことをやる」

「自分たち黒人に何が必要か自覚しよう。それは所有権だ。
 財産を持ち、自らの意志で決める。
 まず最初に、低所得地域に住宅を。ごみの中で暮らさずに済む。
 資金調達できる独自の銀行も必要だ。自分たちのチカラでやろう」

「黒人解放運動のために髪を切った。
 個の違いがあっても 外見が似れば考えも似る。
 思考も大事だが、肌の色以外で自分たちのイメージというものがない。  
 アフリカでは皆 自我がある。
 まずアイデンティティを作る」

「何より人間らしくあるべきだ。”ニグロ”という言葉に興味はない。
 黒人はアイデンティティ。
 黒人は人間だ。
 経済的に自立し、人々と肩を並べたい
 活動家ではなく君たちは人間なんだ」

白人司会者:大学で起きている黒人革命を、どう思われますか?

白人コメンテーター(?):
状況は複雑だ。訪れた大学では黒人は分離主義者で白人と交流しない。食事の場所も寮も別にしたがる。分離主義の時代に逆戻りだ。

JB:待て。 自分のことはよく分かってる お前たちよりもずっと。
  俺は本当に人間か?
  税金を払い、国のために血と汗を流しても俺は三級市民扱いなんだぞ

白人コメンテーター(?):同等であるべきだが...

JB:あるべきじゃなく同等なんだ!

JB:違う。失望したんだ。現状を知らなさすぎる。
  大問題を笑いですり替えるな。
  食うに困り、盗みを働く子供たちがいるんだ。放置すれば国が滅びる。

白人コメンテーター(?):最新の調査で。。。

JB:数字より街を見ろ!

◆1968/4/4

キング牧師が暗殺された。

その翌日、予定されていたボストンでのライブをJBは決行した。

バンドメンバーは暴動の恐怖に怯えていたという。

そのライブでの一場面。

演奏中、高揚・興奮した観客の一部(黒人の子供や若者)が、

ひとりまたひとり無許可でステージに上がってきた。

その人達を、その場にいた警官や警備員が引きずりおろそうとした。

その時JBは言った。

「ちょっと待て 俺たちは黒人だろ!

 落ち着けよ 降りて 演奏の再開を

 黒人に悪印象が

 演奏させてくれ 降りてくれ

 黒人として誇れる行動を

 これじゃダメだ。フェアじゃない

 我々黒人に対して失礼だ!

 警官を制したのは君たちの敬意を信じたから

 そうだろう! 分かってくれるな

 よしやるぞ。」

JBは信じられないことに、ライブを中断して観客を説得した。

王さながらに観衆をなだめたといってもいい。

そのおかげか、ボストン中心部は放火の報復を受けず、騒動もわずかだったという記録がある。

あそこまで露骨に、人種問題に関して意見を述べたアーチストは、それ以前にはいなかったんじゃないか、と個人的には思っている。

JBが現れる前は、ブラックミュージックって言葉は、実はあまり使われていなかった。

(公民権運動前は、black musicは、race musicと呼ばれていたらしい)

その辺は、Wikipedia等を見てもらったら、よく分かる。

YouTubeのおかげで、50年代ぐらいのモノクロ動画も観ることができるわけだけど、

その中で私が気づいたのは「黒人シンガーはみなおどけて歌っている」ということ。

言葉は悪いけど、道化としてしか舞台に立てなかった黒人シンガー達。

もしかしたら、私の感性がおかしいのかもしれないけど、例えば、有名どころでいうと
キャブ・キャロウェイ や ルイ・アームストロングの昔の動画を観ると、私は、そういうことを感じてしまう。

そんなのは嫌だ!と反発した最初の黒人アーチストが

私は、マイルス・デイヴィスであり、そしてJBだろうと思っている。

マイルスはルイ・アームストロングを尊敬はしていたけれど、「黒人によるミンストレル・ショー」の名残が垣間見れる彼のパフォーマンスは、好ましい印象は抱いていなかったらしい。

※ミンストレル・ショーとは、顔を黒く塗った白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと

■映画を観てから新たに知ったJBのこと

私は、この映画を観るまで知らなかった事実がいくつかあったし、JBに対するイメージも少し変わったので、思いつくまま、それらを羅列していこうと思う。

◆JBは意識的に「Black」という言葉を多用した

余談だけど、私、黒人(Black)って言葉、口に出すの憚れる(憚れてしまう)。なんか失礼なんじゃないか?って気がして。今回は、アメリカ人のことを書いてるからアフリカ系アメリカ人でもいいかと思うんだけど。
でも、そうしたら、アメリカ人以外の場合はどう表現したらいいの?ってことにも気になって。African‐AmericanやAfro-Americanに匹敵するような呼称がないのか?調べてはみたんだけど、結局よく分からなかったので、Black people(黒人)という言葉を今回は使用してます。

◆おどけているのではなく、カッコイイ黒人像を作り上げた

◆Funkを作った。Hiphopを生み出す土壌を作った。

(これは以前からそうだろうとは思っていたが、確信に変わった)

◆バンドメンバーに自分のことを「ミスター・ブラウン」と呼ばせていた

メイシオが言っていた。

JBは作法に厳しかった。と。(例えば、時間厳守。敬称の使用。誇り。ポジティブであること)

◆バンドメンバーに嫌われていた

(尊敬はされてはいたが)

確か、メルビンが言っていた。

「まるで石だ 情に流される男じゃない」

「彼の前では強くいる 意識的にね
 彼のことは好きだった だが一度も心を許してない」

◆美的概念を変えた

黒人であることを、誇りに思うように、ライブやテレビ番組でも声高に訴えかけた。

黒人の中でも、今まで肌の濃さは薄い方が美しいという共通認識があったのに、JBが「本物の黒人こそが美しい」と発言したことから、一夜にして、肌の濃さは濃い方は実は美しいんだ。と人々に思わせたというエピソードもある。

◆きちんとした身なりにこだわった

キレいな靴と皺のないスーツを身に着けていた。1回の公演で2回着替えてた。(JBは山ほど、オーダースーツを所有していたらしい)

黒人だから、スラム育ちだから、なめられたくない。っていう強いおもいからきていると思うのだけれど、JBは自分は勿論、バンドメンバーにも皺があるようなシャツ・スーツ、汚い靴など身に着けることを許さなかった。

◆なんでもお金

バンドメンバーに対して
演奏を少しでも間違えたら罰金
(本番演奏中に罰金額を指で示す時もある)
身だしなみをきちんとしてなかったら罰金

自身が幼少期、極貧だったから、お金に執着してしまうのは仕方ないのかも。

◆でも身内からみたらクズ野郎

バンドメンバーには厳しすぎるし、ケチすぎるし、横柄だし、恐怖で支配していたようなことをしていたから、当然、嫌われていた。

付き合っていた恋人や奥さんにもDVはするし、ハラスメントの塊のような男で、みな離れていった。

仕方ないよね。
自分大好き。自慢大好き。謙虚さなんて、言葉はJBの辞書にはないから。

なんとなくだけど、世界を変えるような偉業を成し遂げる人って、家族や友人からクズだと思われてる人、多いと思う。

◆人を信じられない孤独な人

幼少期、JBは、森の中で独りで育ち(親も兄弟もそばにいなかった)売春宿でも独りだった。

母親も父親も叔母も、周りの大人達も信じられなかった。

だから、大人になり、成功の階段を登っている間もなお、バンドメンバー等周りの人間のことも信用できなかった。

おそらく、誰か人と親密になるということができなかったんだと思う。

だから、いたとしても、恋人だとか友達だとかは、一過性の関係でしかなかったのだと推測できる。

■JBの言葉(抜粋)

俺は母も父もいない
俺は叔母の元、売春宿で育った
教会の女性が来て、昼間は客を取り、夕方になると家に帰る
それが普通だった

ソウルが歌えるのは、”できない”の重み。
米国の黒人男性のソウル・ミュージックには重さがあるんだ。
つらい経験を抱えてるからね
”できない”と言われ続け、想いを歌に込めると、何というか、、、
少し激しさが増すんだ

規律が大事だ
常に気を抜くな。誰かに出くわすかもしれない

僕は昔からジミーと呼ばれてきた
それが嫌だった
ちゃんと名前を(ジェイムスと)言わないなら
誰がミスターと呼ぶ?
だが、僕と仕事をしたいと思うのなら
ミスターと呼ばせる
自分が、まず手本にならないと

成功は手にいれたが俺は貧民街出身だ。その事実からは逃げられない

■まとめ

たぶん、強烈な劣等感、カリスマ性、そして精神(生命)力の強さがなければ、JBはのし上がれなかった。

JBがいなかったら、公民権運動も敗北に終わっていたかもしれない。

JBがいなかったら、ファンクもヒップホップも存在しなかったはず。

JBは容姿に恵まれていない。性格も悪かった。

周りの人々から嫌われて当然の男だった。

でも、世界は彼を求めた。

不思議なものだ。

これこそTHE”人間の物語”だと思う。

余談だが、私はこの映画を、家で数回観ている間、なぜか猛烈な食欲が湧いてきた。

普段食べない丼物を、もりもり食べた(おかわりまでした)ことを覚えている。


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