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月刊コグマ#9 S

最近、気づいたことなのだが、僕は自分の想像以上に鈍感らしい。

そのうえ不器用で
マイペースに生きようとしてしまう。

不器用はもうしょうがないことだとして、
マイペースなのは良くないことだと思う。

別に相手に興味がないとかそういう意味でも無いんだけどね…

というか、鈍感なことはそもそも直しようがないじゃないか。
実際はあったりするのかしら?

とりあえず、対処法求む。
鈍感さは仇となる~みたいなことを最近聞いた気がするし、直せるものなら直したい。

まぁ、そんなことは置いておいて。
月刊コグマ#9をどうぞ!



September

9月。それも現在は22日と個人的に決めているこの月刊の締め切り間近である。

そんな状況において、書き始めたのだが、どうしたものか。

何にも話が思いつかないのである。

これが俗にいうスランプというヤツなのだろうか。

ここ最近、特に、今年の6月号からは月刊を書いても、いつものような「書きたいことを書いたぞ!!」というすっきりとした気持ちはなかったような気がする。

だからと言って、それより前までは満足して書き上げていた、というわけでもないのだが。

先月の月刊8月号なんかは特にさぼってしまった気がするし、惰性でやっているような気持ちもあった。

しかし、今回は違う。
「書きたい」という欲が自分の中に起こっているのだ。

それには最近Netflixで観た、とあるライブが関係しているのだろう。

元々、Netflixに加入したのは、星野源さんと若林正恭さんの番組「LIGHT HOUSE」が観たかったからである。

この番組で両者が語っていた悩みとそれを中心として広がっていく各々の視点からの話には共感出来るものもあり、面白かった。

まだ、観ていない人はぜひ観てみてほしい。
今の僕のように何度もリピートしてしまうことだろう。

その後だ。
その番組を観るために加入したのは良いが、他に気になるものがあんまりないぞ。

そう思い、好きな芸能人の名前を検索してみると、バナナマンの作品が上がっていた。

考えてみると、好きな芸能人、とは言ってもバラエティーで活躍する彼らしか自分は知らない。
舞台の上で活躍している、芸人としての彼らを自分は知らないじゃないか!!

さっそく、一番上に表示されていた、「bananaman Live S」を観てみることに。

始めのコントから、自分の思うバナナマンらしさが爆発していて、その会話の一つ一つが面白かった。

幕間映像でのフリートーク的な部分ももちろん面白かったのだが、個人的には最後の話が印象に残っている。

後々観る人もいるのであまり語らないのだが、日村さんの役があまりにもかっこいいのだ。

始めはどこか抜けている妹想いの良いキャラだったのだが、終わりに近づくにつれて言動や行動は不思議と心に来る。

そしてエンディング後に来るどんでん返し。
このCパートは見逃しちゃいけない。

後になって調べると、この話は作家オークラさんが書いているらしく、知ったときは「凄いなぁ…」と口から漏れてしまった。

感動するコント、というのがこういうモノかと痛感した。

それを観てからというもの、どうしても何かを作りたいという欲に駆られている。
あんなに綺麗な話を僕も作ってみたいと。

誰も書いてないような、びっくり展開なお話を。

しかし、今思えば自分視点以外の話を僕はそもそも書いたことがない気がする。
こうやってエッセイにも満たないような、エッセイもどきを書いている間は。

そのためにはとりあえず、経験値が必要なんじゃないか?
どんなジャンルにせよ、経験値があれば、話にリアリティが出るだろうからな。

リアリティを突き詰めていけば、いつしか人の不思議な話に出くわしたり、怪異と対面したりもするだろう。

そうなればまさに僕は岸辺露伴じゃないか!!

そういえば「岸辺露伴ルーヴルへ行く」がAmazonprimeで配信されるそうですよ。

あれも作品の怪しさなどが鮮明に映し出されていて、とても面白かったですね。

…あぁ、9月かぁ。
もうすぐで9月も終わり。

10月になるまでの間、何回パソコンの前に座ることになるのだろうか。

別に嫌じゃないが、どんな話を書こうかと頭を悩ませる日々も少しきつい。

パソコンの前に座ったのはいいが、その後何時間も手が進まない、なんていうのはよくあることだ。

けど、これを書くのは不思議と楽しい。

これには、自分の手ずから生み出しているんだ!という感動がある。

それに、もう10月になるとはいっても、
まだまだ今年も2か月ある。

2か月も、だ。

その中でたくさんの経験をしていって、あの最後のコントのような話を書いてみたいと思う。

笑いあり涙ありを目指して。


Small appetite 

唐突にこんなことを言うのもあれだが、僕は小食だ。

例えば、蕎麦とミニ天丼セットが目の前にあったとしよう。

 僕は天ぷらが大好きなので、とりあえず、ミニ天丼から食べることにする。

海老天、イカ天、アスパラガスに舞茸の天ぷら。
牡蠣の天ぷらがあってもいいな。

それらを食べ終わり、さぁ蕎麦だと目の前に置くが、既に胃がいっぱいになっている感覚がある。

気持ちはまだ食べられる気分なのに、胃の中にたくさん詰まって入らないのだ。

結局その蕎麦は苦しんで食べるか、弟に食べてもらうことになる。

「おいしい」という気持ちのままに終わることが出来ないのが痛いところだ。

もっと身近なものを想像してみようか。

マクドナルドを想像して欲しい。
ちょうど今は月見バーガーの季節だ。

おいしそうだね

ハンバーガー、ポテト、ドリンク

これが王道のセットだろう。

始めに僕はハンバーガーを食べる。
メインを食べなくっちゃあ、食べるものも食べられない。

途中、ドリンクを飲みながらハンバーガーを完食する。
(ちなみに、ドリンクはファンタグレープかスプライトが好き)

すると、目の前にはあのサウンドが特徴のポテトと、半分くらい残ったドリンクが残る。

その状況で僕は、ドリンクは飲めるのにポテトが入っていかないのだ。

始めの数口は、良い感じの塩気と温かさで美味しく食べられるのだが、だんだんと苦しくなって、あとは惰性で食べ進めるしかなくなる。

そんなこんなで、最近気づいたのだが、僕は小食らしい。

なのに、気持ちだけは大きく、食べ物を選んでいるときはたくさん食べられる気分でいてしまう。

毎回そうだ。

回転寿司を食べに行った時も、後先考えず食べたいものをたくさん注文してしまうので、最後の方は苦しみながら食べることになるし、

修学旅行の時だって、おかずが美味しくってご飯が進んでしまったので、たくさんおかわりをしていたら、お腹がいっぱいになってしまい、デザートのチョコレートケーキを友達に挙げてしまった。

その後で、トイレで出してしまったのは秘密の話である。

これは性格に起因するものだとは思うのだが、だからといって、良い対処法があるとも思えない。

だって、食べ始める前は本当にお腹が空いてるし、たくさん食べられる気がするんだもの。

Youtubeでたくさん食べる動画を上げている人が羨ましい。
たくさん、美味しく食べている人が羨ましい。

そういえば、話は少し変わるが昔、そのような投稿者をたくさん見ていた時期がある。

それはYoutubeに限らず、ニコニコなどでも見ていたのだが、そこで一人良い食べっぷりの投稿者がいた。

先日、ニコニコでその人のアカウントを観たのだが、数年前から動画の更新がされていなかったので、やめてしまったのだろうか。

そう考えると少し寂しいものがある。
諸行無常というか、なんというか。

今もおいしそうにご飯を食べているといいのだが。

まぁ、そんな心配は置いておいて、

とりあえず、僕は自分で頼んだものは全部美味しく食べられるようにならなくちゃいけないな。



Step In Time な成長を。

どうも、こんにちは。

突然のことで申し訳ないのだが、子供と大人の境目についてを考えてみようと思う。

単純に、何をどうすれば、どうなれば精神的に大人になれるのか。
それを突き詰めてみようと思う。

なぜ、そんなことを急に考え始めたのか。
それが気になる人もいるだろう。

ちょうど先日の話のことだ。
久しぶりに、BRADIOというバンドの過去の曲を聴いていた。

彼らの曲の中に「Step In Time」という曲がある。

この曲の歌詞は個人的に、成人になったばかりの男が調子にノっている曲という印象を受ける。

それにプラスして、「迷ってちゃもったいない」というようなメッセージも感じる。

そんなこの曲の中に出てくる主人公は、曖昧な大人と子供が混じったような人間なのだ。

そこから、それはどこにあるのか気になっていた。

大人と子供の大きな違いはどこなのか。

とりあえず、「落ち着いているのか・いないのか」 はその判断基準になるだろう。

心穏やかに生きている人ほど、良い大人な雰囲気をまとっている気がする。
自分の今を理解している感じがあるというか、客観的に見ることが出来ているイメージを感じる。

もちろん日々を生きていると腹が立つこともたくさんあるし、それ以上に理不尽な結果に苛まれることも多いだろう。

そんな時、穏やかにというよりも、冷静に対処できている人はやっぱりカッコいい。

僕が当時、高校生の事。

後輩の一人が譜面台を忘れてしまったらしく、その子の友人と一緒に悩んで話している様子を見つけた。

どうして困っているのかの内容を聞いた直属の後輩は、即座に自分のカバンまで戻っていき、彼のスペアを渡していた。

その様子が本当にスマートでかっこよくって、大人だなぁ…と感心してしまった。

この感動を彼に何度も話しているのだが、彼は全然普通ですよと謙遜して、鼻を伸ばしてくれない。

これもその大人っぽさやかっこよさに足る理由なのかもしれない。

人に好かれる人はどちらかというと、落ち着いた穏やかな人よりもやんちゃで活発な人の方が好かれる傾向にあると思う。

単純に考えて、そっちの方が一緒にいたときに楽しそうだし一緒に笑いあっえたら嬉しいと思う。

でも、それが大人なのかと言われれば、少し違う気がする。

理想はどちらも持っていることで、一緒に楽しんで穏やかに生きて、毎日を繰り返すことが重要なんじゃないか。

僕はそれが出来ているのかな。
もし理想に近づいたら、もっと世界は開けて見えるのかな。

んー…

ここまで書きてきて何だが、それもそれで違う気がしてきた。

結局、自分に「らしさ」が付いてくるかどうかは自分じゃ分からない。

他人に見てもらえれば~ なんていうのはもちろんだけどそもそも僕のことを見てくれる人自体居るかどうかも怪しい。

ならまずはやりたいように生きる他無いのかもしれない。

あんまり賞賛されたものではないが、
「なるようになる」の生き方がもしかするとその「らしさ」がついてくるかもしれない。

いつか楽しく、汚れていない夜遊びが出来るような人生を送れるようになってみたい。

今はまだ見えない輝く未来へ向けて。

話は変わるが、なぜこんな話になってしまったのだろうか。

月刊を書いていると、いつもこうやってうだうだやっている気がする。

自分の中にいつも押さえつけているものが出てくるように漏れ出してきているのかもしれない。

もっと明るい話が書きたいのになぁ…

なんなら、次の話はステレオタイプの話と、この「らしさ」を掛け合わせた話にしようかとも考えているんだから。

暗いなぁ…

向こう側が明るいよ。

インスタグラムで色んな写真を上げてるあっち側が。

僕は夏休み中、ずっとゴロゴロして昼寝までしちゃってたんだぞ。

何が幸せなのか分からない。
だから、その「らしさ」を追い求めているのかもなぁ。

はぁ…。

すこし自分が見えてきた気がする。
これも成長なのかしら。

もっと自分を覗くためにも月刊はやめられないな。



Super Wonderful!

あー…褒められたい。

なんにせよ頑張ったことは頑張ったんだから、社交辞令的な感じじゃなくて心から褒められたい。

年を重ねていくにつれて、褒められる回数が減っている気がするぞ。

どんな褒め方でもいいとは言わない。
なんなら、心のこもった、

「すごい!!」とか「よく頑張ったね!」とか。
「おつかれさま」が聞きたい。

それだけでも、毎日の生きる活になる気がする。
だって、そう言われるのを想像しただけで、少しにやけてしまうんだから。

このにやけ顔は他の人には見せられないな。
たぶん気持ちの悪い笑顔になっていると思う。

これを今読んでる皆さんも想像してみてほしい。
この努力が報われたような気分になる瞬間を。

そもそもの話、こうやって褒められたいと考えるようになったのには理由がある。

始めは高校生のあの夏の野球応援のこと。

もちろん頑張っているのは僕だけではなく、他の部員も一所懸命にやっているし、主役は僕らではなく野球部だ。
もしくは応援指導部。

けれど、炎天下で演奏をした後の疲労感といったら半端じゃない。

腕や首は日焼けして痛いし、
スーザフォンを担いでいたりミニチューバを持ったりしているので疲れるのも当たり前だ。

けれども周りは褒めてもくれない。
「おつかれさま」の「お」の字もない。

そんな毎年だったので、異常にその言葉に飢えているのかもしれない。

今働いているバイトの職場でもそうだ。

もう働き始めて2か月以上経っているので、仕事は大体覚えてきたが、夏休み中にはワンオペの時もあった。

夜のスーパーでのバイトなのでお客さんは昼と比べるとそこそこなのだが、

それでも中の清掃と外の値下げの両方をやらなくてはいけなかったので本当に大変だったことを覚えている。

なんにでも初めてやることは大変なのだ。

社会人として働いている人たちがこれを見たら、
「何を言っているんだコイツは」となるのかもしれない。

「そんなことは日常茶飯事だぞ」と。
「そんなことで褒めてもらえると思うなよ」と。

けれど、許してほしい。
それを想像して、気持ちの悪いにやけ顔をさらすことを。
想像して良い気分になってるんだからさ。

…ふと思ったのだが、
周りが褒めてくれないなら僕がみんなを褒める役に回ったらいいんじゃないのか?

そうすれば少なくとも僕の周りの人たちは、
「自分の頑張りが認められた」という気持ちで満たされるだろう。
そうなってくれるといいな。

でも、たぶん僕が言うんじゃ意味がないんだろうな。

これを読んでるみんなの中には、自分を褒めてほしい明確な相手がいるんじゃないのかな。

「誰でもいいから」なんて言うのは建前で。
たぶん、自分を見てほしい相手がいるんじゃないかな。

恥ずかしい話だが、僕にももちろんいる。

その人に言ってもらえたら嬉しいなぁ。
とか、
その人に言えたら良いのになぁ。
とか、

想っちゃったりしている。

他の人に心から言ってもらえるのも嬉しいが、
その人に言ってもらえれば喜びも倍増なんだろうなぁと。

自分を見てもらえたような、
認めてもらえた感じがしてさ。

まぁ、そんなことは夢のまた夢な気もするので、
ただ想像してにやける位が性に合っているのだろう。

あー…褒められたい!!!



Something to say

これを読んでいる皆様へ。

とりあえずこれを言わせてほしい。

毎日、おつかれさまです。
色んな環境ごとに立場は変わるだろうけど、身体的にも精神的にもたぶんすり減っているだろうから。
おつかれさま。

あなたの心の内は読めないから、想像にはなるが、
職場から家に帰った後、シャワーを浴びながらむなしい気分になっているのかもしれない。

一人の部屋で、毎日何やってるんだろうなと独り言ちているのかもしれない。

僕はそんなあなたを知っている
わけではないが、気持ちは十分に分かる。

もし自分が、「あなたの気持ち、わかるよ」と言われても、
「僕と違うおまえに何が分かるんだよ、エスパーか?」と思ってしまうが、あなたの気持ちは十分知っている。

浴槽に浸かって、体育座りしながらため息を吐くその様子も。
自分の良いところが浮かばない~なんて嘆いている様子も。

なぜなら、それは僕もおんなじだから。
おんなじように悩んでいるから。

他の人は知らないが、少なくとも僕はそう。
ずっと悩んでいる。

友達と話しながら、歩きながら悩んでいる。
お風呂に入っているときも
ウンコをしているときも
悩んでいる。

本当に今のままでいいのか、と。

あなたはどうですか?

僕は「人並み外れた」という言葉と一番かけ離れた人間だという自負があるからこそこう言う。

どこにでもいる見飽きたような男だから言う。

あなたも同じだろ、と。

だからこそ、一緒に分かち合おう!!
この胸に巣食う、どことない寂しさを。

そんでもって、そんな悩みを抱えながら生活しているあなたはすごいと思う。
向き合っているあなたはカッコいいと思う。

僕はそんなあなたが大好きだ。



ついでに言うなら、この言葉とともに僕のことを。
この月刊を覚えてもらえると嬉しい。

ここでこじんまりと、おんなじ悩みを抱えた男が悩みを無化するため色々な話をしていたな、と。

ウンコをひねり出しながら、悩んでいたやつがいたなと笑ってほしい。

本音を言えば、この9月号だけじゃなくって、今までの月刊のお話も読んでほしいし、これからの僕を見守っていてほしい。

そして、僕のことを好きになってほしい。
いつか、モテモテになることを夢見てるからさ。

そんな僕でゲッカンです。
以後、お見知りおきを。



Sub Story も続く(まとめ)

今生きてる道は線路の地続きで、線路は続くから僕も進む。

みたいな話を去年ごろにしていた気がする。

でもふと考えると、僕の(僕らの?)歩みは必ずしも真っ直ぐばかりじゃなくって、どちらかと言えば寄り道の連続だ。

その寄り道は、今後の線路じんせいに実は重要なことだったりするし、もちろん意味のない寄り道もある。

だからこそ、そんな意味のない寄り道も気づいたら大切なものになっていると嬉しい。

例えば、大学の階段と踊り場で意味もなく踊りだしてみたり。
新宿歌舞伎町にたむろしている学生をYoutubeライブカメラで眺めてみたり。
毎日を出来るだけ楽しんでみたり。

そんなこんながいつか輝くものになっているかもしれないというのだから面白い。

これは見方を変えれば、
一種のわらしべ長者的なものなのかもしれないな。

わらしべ長者で思いだしたのだが、バイトで溜まったお金を最近、色々なものに使い始めた。

個人的な趣味であるCDやDVD。おもちゃにゲーム、本。
たくさんのものが集まっている。

自分で稼いだお金を自分のために使うことってこんなに達成感があるんだなぁと感慨深い気持ちになっています。

けれど、それと同時に、著名人の極貧生活を聞いて今の生活で大丈夫か?と危機を覚えたりもしている。

そんな今日この頃。

もう9月も終わり。

最近になって急に外の空気が寒くなってきて嬉しいやら辛いやら、ここでも色々と混ざり合っている。

過去の月刊で話をした気がするが、僕はこの季節の寒さが大好きだ。

肌寒い感覚というか、体の周りだけが寒い状態がどこか懐かしい感じがして好きだ。

次は10月。

今年もしっかりと、毎年恒例のアレをやっていきたいと思っているので、そこのところよろしくお願いします。

だから、来月は2本!!

やると決めたし僕はやるぞ!!

誰に褒められるでもないけど、やりたいからやるんだ。
というこの熱い気持ちを胸に、自分を精一杯祝いたいと思う。

この線路はどこまでもつづく
寄り道もつづく

そして、その寄り道はSub Storyサブストーリーとなり、
今後も僕の(僕らの?)後ろで輝くことだろう。

それではまた来月。
2つの月刊でお会いしましょう。

さようなら!!

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