「よお！　待たせたな、ノビタ！」
　白い野獣が空中でホバリングするヒッチハイカーに対して厳しい顔を向けたまま、目だけ伸田のびたの方に向けて人間の男性の声で言った。

「せ、千寿せんじゅさん。無事だったんですね…」

　伸田のびたは地面から拾い上げた自動拳銃のベレッタを右手にしっかりと握りしめたまま、今にも泣き出しそうな顔をして言った。

「何だ、その情けない顔は？　当り前の事を言うな。
　満月期の俺は、ゴキブリ以上にしぶとくってな。殺されたって死なんさ。
　それにしても、俺専用の『ウインドライダーシステム』を使って空まで飛べるようになったくせに、まだこんなトンボ野郎に手こずってやがったのか？　しょうがないヤツだな。
まだまだだな、お前は…」

　今は変身して白虎びゃっこに姿を変えている、自称『風俗探偵ふうぞくたんてい』こと千寿 理せんじゅ おさむの厳しい言葉が伸田のびたの胸に突き刺さる。

「で、どうするんだ？　さすがの俺も空は飛べん。
　その『ウインドライダーシステム』を俺に返して、お前は愛するシズちゃんの傍そばにいてやるか？」

　白虎が伸田のびたに向けて放った言葉には、嫌味いやみやからかいの響きは全くなかった。彼の言葉に、驚異的な怪物であるヒッチハイカーとここまで戦った伸田のびたに対する称賛と心からの友情が込められていたのが明らかだった。
　その優しさに溢あふれた白虎の気持ちは伸田のびたの心に温あたたかく沁しみ通って来た。
　伸田のびたも白虎に対して感謝の気持ちを込めた真剣な口調で答えた。

「いえ…お気持ちはありがたいですが、これは僕が終わらせなければならない戦いです。ヤツは僕が倒します。」

　伸田のびたの表情に浮かんだ真剣で固い決意を読み取った白虎の返事は、実にあっさりとしたものだった。

「そうか…　それじゃあ、お前さんが最後までやり遂とげな。
　それに、俺も別の用事が出来ちまったようだ。やっかいな野郎どもが性懲しょうこりもなく現れやがった。
ヒッチハイカーは任まかせたぜ、相棒。
　だが、その『式神弾しきがみだん』一発ぽっちじゃ、今のヤツ相手にハンデがあり過ぎるな…
これは俺からの餞別せんべつだ！」

そう言った次の瞬間には、白虎の姿が突然消失した。

「ぐぎゃあっ！」

　次の瞬間、上空で突然ヒッチハイカーの叫び声が上がったかと思うと、そのトンボと人間を合わせた様な怪物の身体が地面へと落下して来た。

「ズダーンッ！」
「ぐわあああっ！　お、俺の翅はねがあっ！」

　高度10mほどの空中から地面に落下し、喚わめきながら転ころげまわるヒッチハイカーの背中には、空を自由自在に飛び回るために高速で羽ばたいていた翅はねが４枚とも付け根から無くなっていた。
　白虎は眼にも止まらない速さで上に向けて跳躍すると、10mほどの高度でホバリングし続けていたヒッチハイカーの背中に生えていた４枚の翅を一瞬で噛かみ千切ちぎってしまったのだった。

「それじゃな、頑張がんばれよ。」

　空中から再び大地に音も無く静かに降り立った白虎は、咥くわえていた４枚の翅を口から吐き出してそう言ったかと思うと、猫族のしなやかな身ごなしで伸田のびたに背を向けて歩み去って行った。

　自分とヒッチハイカーに背を向けて白虎が向かった先に、いったい何者がいるというのだろうか？　伸田のびたは、すでに吹雪で姿の見えなくなった白虎の向かった彼方かなたを見つめながら思った。

「白虎さんはやっかいな野郎どもって言ってたけど、『疑似結界ぎじけっかい』ドームが消えた後に上空で起こった３回の爆発と何か関係があるんだろうか…？」
　そうつぶやいた伸田のびたは、つい先ほどまで喚わめきながら地面を転ころげまわっていた筈はずのヒッチハイカーに目を戻した。

　４枚の翅を千切ちぎられた苦痛で、喚わめき散らしながら地面を転げまわっていたヒッチハイカーの声はいつの間にか静まり、転げまわる動きも治まっていた。怪物は腹這はらばいの姿勢で地面に蹲うずくまっていた。
　凍いてついた地面に蹲うずくまった背中にも次第しだいに雪が降り積もっていくヒッチハイカーの身体は、痙攣けいれんを起こしたかの様に小刻こきざみにブルブルと震ふるえ始めていた。

　ヒッチハイカーの震える背中には、白虎に食い千切られた翅はねの根元だった部分が４箇所残っていたが、その各断面は神獣白虎の『聖なる牙●●●●』で与えられた傷口から青白い炎を発し、白い煙を上げながら消滅が徐々に進行し始めていた

　そうなのだ。すでに肉体が魔界の存在と化したヒッチハイカーにとって、天敵ともいえる存在である神獣の牙や爪によって付けられた傷は、肉体全てがこの世からの完全なる消滅へと至る傷となるのだった。その傷から徐々に肉体の消滅が始まり、それは健康な部分にまで広がっていき、ついには肉体は真っ白な灰と化していく…
　やがて全身にまで及んだ時、その魔物の存在はこの世から完全に消滅する。

　不死身の肉体を誇ほこる怪物ミノタウロスであるバリーが、左の角つのに加えて右手首と右足首をそれぞれ再生修復する事無く失ってしまったのも、神獣白虎の『聖なる牙●●●●』によって付けられた傷が原因だったのだ。

　だが、バリーが現在も元気でライラと共に行動しているのは承知の通りである。
　魔界の存在が神獣に加えられた傷から生き抜くために取るべき方法はたった一つしか無かったが、今夜繰くり広げられた戦闘で同様の効果を持つ伸田のびたの放った『式神弾しきがみだん』で受けた傷の効果から、すでにヒッチハイカーは経験し学習済みだった。

「ズバッ！」
「ぐぎゃあああーっ！」

　蹲うずくまりながら震えていたヒッチハイカーは意を決したのか、ためらいも無く先端が鋭利な刃と化した左腕の触手を一閃いっせんさせると、消滅しつつあった４枚の翅の根元部分を含んだ自分の背中の肉ごとスパッと、えぐり取ってしまったのだ。

「ベシャッ！」

　自分自身によって切り捨てられたヒッチハイカーの背中の肉片は、気味の悪い音を立てて凍てついた地面に落下した。
　その血まみれの肉片は、地面に落下し雪にまみれながらも止とどまる事なく消滅し続けていた。それはやがて、この世から文字通り完全に消えて無くなるだろう。だが、本体であるヒッチハイカーはどうなのか…？

　この一連の異様な光景を目まの当たりに見た伸田のびたは、これまでのヒッチハイカーとの戦闘の経験から胸に言いようのない不安湧わき上がって来た。
　彼は油断しない様に気を付けながらも、怪物との距離を取るべく後ろ向きのままジリジリと後退した。

「ぐううぅっ！　ぐわおおおうっ！」
「ビキッ！　グチュッ！　グジュルルルーッ！」

　突然ヒッチハイカーの口から上がった苦しそうな絶叫と共に、トンボの胴体に似て細かった彼の下半身が異様に膨ふくらみ始め、伸田のびたの見ている前でラグビーボールの様にどんどん肥大化ひだいかしていく。

　目の前で起こりつつある、この奇妙な光景は伸田のびたにとって昨夜からの戦いにおいて既視感きしかんを伴うものだといえた。
　伸田のびたは、それまでゆっくりと後退あとずさっていた動きを止め、後うしろを振り返ると同時に一気に駆け出し、全力疾走で一目散にヒッチハイカーから遠ざかった。
　あまりの恐怖のために、その時の彼には背中の『ウインドライダーシステム』の６基のプロペラを総動員で回転させて飛ぶ事を思い浮かべる余裕さえ無かったのだ。

　十分に遠ざかってから振り返った伸田のびたが見たヒッチハイカーのタマゴ型の形状をした黒い剛毛だらけの下半身部分は、いつの間にか軽自動車ほどもある大きさへと成長していた。

「あの形…　見覚えがあるぞ…　それも今夜だ。」

　そう伸田のびたが蒼白な顔で呟つぶやいた途端とたん、タマゴ型をした下半身の剛毛に覆われた側面部分の表面を内部から突然突き破って飛び出して来た、やはり剛毛に覆おおわれた太さが電柱ほどもある８本の脚がニョキニョキと伸び始めたのだ。
「メキメキメキッ！　バキバキバキーッ！」
８本の脚は、見る見るうちに伸びていった。

「蜘蛛くもだ！　ヤツはまた、蜘蛛型の身体に変身する気だ！」

　伸田のびたはそう叫びながら、伸びていく８本の脚に支えられて上昇していくヒッチハイカーの巨大な身体に向けて右手に持ったベレッタを構えた。

「ヤツはトンボの身体に見切りをつけて蜘蛛の形態に逆戻りしたんだ！
しまった！　ヤツにとどめを刺す絶好のチャンスだったのにっ！」

　伸田のびたは地団太じだんだを踏ふむように悔しがった。変身を開始する前の、地面に蹲うずくまっていたヒッチハイカーの背中に『式神弾しきがみだん』を一発撃ち込むだけで怪物にとどめを刺せたのだ。
　しかし、その絶好の機会は失われてしまった。
　今ではもう、その全身を針金のような硬い剛毛に覆われた蜘蛛に似た姿をした怪物の、唯一の急所部分ともいえる人間の形状を保ったままの頭部や上半身は、地面に立つ伸田のびたから手を伸ばしても届かない高さにまで遠ざかってしまっていた。

　ついに真っ黒な剛毛に覆われた８本の脚で大地に力強く立ち上がった怪物の姿は全長10数ｍにも及び、曲げた脚の一本だけでも伸ばせば10ｍを優に越すだろう。
　もう目の前のヒッチハイカーは、怪物というよりも怪獣と呼ぶ方が相応ふさわしい巨大でおぞましい姿の存在へと変化していたのだった。

　ベレッタを右手に構えたまま後退した伸田のびたは、呆然ぼうぜんとした顔で巨大な蜘蛛の姿に似た怪物を見上げた。

「く、蜘蛛のバケモノ…　前よりも巨大化してる。
　い、いくら魔物に有効で必殺の威力がある『式神弾しきがみだん』と言ったって、たった一発の９ｍｍパラベラム弾で、こんな怪獣を本当に倒せるのか…？」
　強い吹雪の吹き荒れる厳冬の山中にも関わらず、伸田のびたは自分の全身からねっとりとした汗が噴ふき出してくるのを感じながら、心中の不安を口にせずにはいられなかった。

　巨大な蜘蛛の頭に当たる部分から、まるで生えたかの様な人間の形状を保ったままのヒッチハイカーの上半身が、胎児の様に丸まっていた姿勢からゆっくりと起き上がった。

「ふふふふ…　たしかに空を飛ぶのも悪くは無かったが、やっぱり大地をしっかりと踏みしめる方が俺の性しょうに合ってるな。
こっちの方が断然いいぜ。」
　そう言いながらヒッチハイカーは、たった今生はえそろったばかりの８本の長く巨大な脚をシャカシャカと素早く自在に動かして、凍てついた大地で足踏みをした。

「ノビタよお！　白トラ野郎がいなくても俺に勝てると思ってるのか？
舐なめんじゃねえぞ、小僧！」

　足を広げた大きさが20ｍはあろうかというヒッチハイカーが、今では30ｍ程も距離を開けていた伸田のびたに向かって巨大な身体を意識させないほどの素早さで一気に走り寄ったかと思うと、右最前部の脚で伸田のびたを串刺しにしようと振り下ろした。

「ビシュッ！」

　それまで怪物の姿に呆然としていた伸田のびたは我に返ると、瞬時に『ウインドライダーシステム』に対して「右後方にジャンプ！」と念じた。

「グサッ！」

　ヒッチハイカーの振り下ろした巨大な右前脚は、凍いてついた地面に数十cmも突き刺さった。
　だが、伸田のびたの身体は文字通りの間一髪で怪物の脚を躱かわし、軽かろやかに十数ｍ後方へと飛び退すさっていた。
　それを見たヒッチハイカーは巨大な身体にも拘かかわらず、本物の蜘蛛の様な素早い動きで伸田のびたを追った。

　こうなれば、伸田のびたとヒッチハイカーの追いかけ合いであった。『ウインドライダーシステム』のバックパックに装備された６基のプロペラを自在に操りピョンピョンと軽やかに舞う様に逃げる伸田のびたを、あきらめる事無く執拗しつようにどこまでもヒッチハイカーの巨体が追いかける。
　吹雪の中に繰り広げられる二者の戦いは、まるで京の都の『五条大橋』で繰り広げられた『牛若丸と弁慶』の一騎打ちを見ている様だった。

　疲れを知らぬ怪物ヒッチハイカーの攻撃は前脚だけでは無く、左腕の伸縮自在の触手も加わって激しさを増していく。
「ヒャッハー！　これならどうだ！」
　ヒッチハイカーは垂直に振り下ろす前脚による攻撃と同時に、鎖ガマの様な触手の水平方向の二段構えの攻撃を放はなった。

　垂直攻撃を躱かわした伸田のびたに対し、鋭い刃やいばと化した触手の水平方向の攻撃が容赦なく襲いかかる。

「くっ！　疑似結界ぎじけっかいシールド！」

　瞬時に判断した伸田のびたは、背中に装備した『ウインドライダーシステム』のバックパックから放射する超音波と電磁波をシンクロさせて発生させる『疑似結界』を応用した盾たてともいえる障壁シールドを展開した。
　『疑似結界シールド』は触手の鋭利な刃やいばを見事に弾はじき返した。

「ガッキーン！」

　すでに魔物と化したヒッチハイカーの攻撃は、機械的に作り出されたとは言っても『結界けっかい』と同じ作用を有する『疑似結界シールド』を突き抜ける事は不可能だった。

　圧倒的なパワーで繰り出されるヒッチハイカーの凄すさまじい攻撃も、すでに『ウインドライダーシステム』を完璧なまでに使いこなし、文字通りの『風に乗る者ウインドライダー』と化した伸田のびたを捉える事は出来なかった。

「くっそお！　何で当たらないっ!?」
　自分の攻撃が虚むなしく空を切り、あるいは弾き返される事に事に、ヒッチハイカーは激しい焦あせりを感じた。

「よし、いけるぞ！」
　焦あせるヒッチハイカーとは逆に、自分の『ウインドライダー』の能力に酔い始めていた伸田のびたに油断が生じた。

　追いかけ合いを続けていた二人の周辺は、表面の凍結しているアスファルト舗装された国道の路面から、表面の土が固く凍り付いた地面にいたるまで、ヒッチハイカーの硬く鋭い足先によって穿うがたれた穴だらけと化していたのだった。

「うっ！」

　ヒッチハイカーの脚の攻撃を避よけて見事に躱かわした伸田のびただったが、飛び退すさって着地した彼の左足が、地面に開いていた穴の一つにズボっとはまってしまったのだ。

「しまった！　左足がっ！」

　左足がはまり込んだ伸田のびたはバランスを崩くずし、グラっとよろけた。

「へっへー！　マヌケえ！」

　ヒッチハイカーの上げる罵声ばせいと共に、伸田のびたの身体に何かが猛然とした勢いで叩たたきつけられてきた。
　必殺の一撃を喰くらったかと思い、一瞬目を閉じた伸田のびただったが、感触から自分の身体に当たったのが怪物の鋭い足先や硬質化した触手の鋭利な刃やいばでは無かったのを覚さとった。
　それは、ネバネバとした粘液に包まれてた梱包こんぽう用のナイロン紐ひもに似た白い繊維せんい状の物質で、伸田のびたが着たSITのボディーアーマーにしっかりとへばり付いた。

「くっ！」
　
　目を開けた伸田のびたが見た自分の身体をしっかりと捕らえたモノの正体は、ヒッチハイカーが吐き出した白い蜘蛛の糸だったのだ。それは静香 しずかを拘束し、彼女の身体を『夕霧橋』の中央付近の鉄骨から吊つるしていた蜘蛛の糸と同一のものだった。
　その蜘蛛の糸は伸田のびたがどんなに力を入れてみても、引き剥はがす事が出来ない。

　『ウインドライダーシステム』の背部バックパックに装備された６基のプロペラの回転を全開にして逃れようとした伸田のびただったが、彼を捕らえた強靭な蜘蛛の糸から逃げる事は叶かなわなかった。

「ひゃっはー！　ついにブンブン飛び回るハエ野郎を捕まえたぞ！」
ヒッチハイカーが嬉しそうな叫び声を上げた。

「でも、これなら『ヒヒイロカネの剣つるぎ』で切断出来る！」
　静香 しずかを救い出した時の状況を思い出した伸田のびたは、蜘蛛の糸を切断するために左手に握っていた剣を振るおうとした。

「させるかよ！」
「ガキーンッ！」

　金属同士をぶつけ合う様な鋭く甲高かんだかい音と共に、『ヒヒイロカネの剣』は伸田のびたの左手から弾はじき飛ばされてしまった。

「しまったあっ！」

　『ヒヒイロカネの剣』を撥ね飛ばしたのは、ヒッチハイカーの左腕から伸びた触手の先端が硬質化した刃やいばだった。『ヒヒイロカネの剣』は伸田のびたから数ｍ離れた地面に落ち、囚とらわれの身となった彼から届く術すべも無かった。
　右手に握られたベレッタには必殺の『式神弾』が込められてはいたが、残弾はわずか一発…
　蜘蛛の糸に囚われた伸田のびたの今の体勢からでは、ヒッチハイカーに致命傷を負わせる部位に確実に当てる事は絶望的だった。
　伸田のびたにとって、まさに絶体絶命の危機ピンチだった。

「ノビタ…　やっと、テメエにとどめを刺せそうだな。
　シズちゃんの目の前で身体をバラバラにしてやろうと思ってたが、もうテメエの顔を見るのはうんざりだ。
　喜びな、切断したテメエの首をシズちゃんへのプレゼントにしてやるよ。
死ね！」

　残忍に笑ったヒッチハイカーが右前脚を伸田のびたに突き刺そうと振り上げた時だった。
「ガアアアアアーッ！」
「ドッガアアーンッ！」

　突然、吹雪の中から猛スピードで突っ込んできた巨大な物体の激しい衝突によって、巨大なヒッチハイカーの身体が右斜め前方へと吹っ飛んだのだ。
　伸田のびたを仕留める事に夢中になっていたヒッチハイカーは全くの無防備だったと言ってもよかった。
　完全に不意を突かれた怪物に特攻を仕掛けて来たのは、重機運搬用の巨大なトレーラーだった。

　さすがの怪物も、時速100kmを越していたと思われる大型トレーラーの追突でぶつけられた左側の脚を３本へし折られ、剛毛に覆われた巨大な卵型の腹部に大きく陥没かんぼつして開いた穴から体液を盛大に撒まき散らしながら空中を吹っ飛んでいった。

　もちろん、猛スピードで激突して来た大型トレーラー側も無事では済まなかった。
　前部が大きく損傷したトレーラーは、激突の衝撃で跳ね返った車体が凍てついた地面をスリップし続け、近くの崖に二度目の激突をしてようやく停止した。
　黒煙を上げるトレーラーの運転席のドアを開け、一人の男がよろめきながら降りて来た。
　
　その男を遠目とおめに見た伸田のびたは驚いた。破損したトレーラーから地面に降り立った男が身に着けていたのは、見覚えのあるSITの隊員服とボディーアーマーだったのだ。

「あれは…SITの隊員？　誰だ…？　ひょっとして安田巡査か？」

　そんなに数多くのSIT隊員を伸田のびたが知っている訳ではない。だが、彼の頭に真っ先に浮かんだのは、図体ずうたいが大柄おおがらで頑丈がんじょうな力持ちのくせに気は優しい安田巡査の顔だった。

「あの人のおかげで、僕は間一髪で助かったんだ。
　もう一瞬、あのトレーラー衝突が遅かったら…僕は間違いなく、ヒッチハイカーの脚に串刺しにされていた…」

　伸田のびたは、ガチガチと歯の根が合わないほどに自分の身体が震えるのをどうしようもなかった。
　それは吹雪による寒さのせいではなく、間一髪の自分の危機が他人のおかげで危うくも乗り切れた幸運と、一歩間違えれば死んでいた命運の分かれ道を思い返してゾッとせずにはいられなかったのだ。

「でも、巨大蜘蛛になったヒッチハイカーは、あの巨大トレーラーの激突で今度こそ死んだんだろうか…？」
　そうつぶやく伸田のびたの方に向かって、トレーラーの運転をしていたSIT隊員がふらつきながら近づいて来た。

「おおい、そこの君！　君の方は無事か？」
　自分こそふらついているくせに、他人を心配しながら呼びかけてきた特徴のある低い声に伸田のびたは聞き覚えがあった。

「その声は…長谷川警部！　長谷川隊長、僕です。伸田のびたです！」

　それは皆元 静香みなもと しずか救出作戦で、製材所で別れたままとなっていたSIT隊長の長谷川警部だった。
　伸田のびたは間一髪で自分を救ってくれた命の恩人が思いがけなくも長谷川警部だった事を知り、感激と共に深く感謝した。

　長谷川が吹雪の中でも互いの顔が分かるほどの距離まで伸田のびたに近づいた。

「おお、本当に伸田のびた君だ。君が無事で何よりだよ。」

「長谷川隊長、助かりました。今度こそ死ぬかと、あきらめかけたところでした。本当にありがとうございます。」
　伸田のびたは心からの感謝を込めて長谷川に礼を言った。

「いや、市民を守るのが私の仕事だ。気にしなくていい。
　それよりも伸田のびた君、君の他に生存者は？　それに、君のその格好かっこうは…？」
　長谷川はヒッチハイカーとの衝突で首を痛めたのだろうか、傾けた首をさすりながら伸田のびたに問いかけた。

「この格好は…　説明すると長くなります。あれから、いろいろとあって…
　鳳おおとりさんに島警部補、それに静香さんも無事です。ただ、安田さんが…」

　説明の最後の部分で伸田のびたは、眉間みけんに深い皺しわを刻きざむと言葉に詰まってしまった。彼は製材所横の空き地に意識不明のまま残して来た安田巡査の安否あんぴが不明なのが心配でならなかったのだ。

　長谷川がニヤリと笑いながら伸田のびたに答えた。
「なあに、安田の事なら心配はいらん。あいつは見た通りの頑丈がんじょうでタフな奴だからね。
　それよりも、伸田のびた君…　君を捕らえているその繊維状の物質は、あの怪物が吐き出したものか？」
　そう言って、長谷川がヒッチハイカーの吐いた糸を指さしながら伸田のびたに問いかける。

「そうです。僕を逃がさないために、ヤツが蜘蛛くもの糸で磔はりつけにしたんです。長谷川さん、そこに転ころがっている剣を取ってもらえませんか。この糸は、その剣でしか切断出来ないんです。」

　長谷川は伸田のびたの指差した先に落ちていた銀色の『ヒヒイロカネの剣』を拾い上げ、伸田のびたを縛いましめているヒッチハイカーの糸を切断しようとした時だった。

「ドッカアーンッ！」

　突然、辺あたり一面を揺ゆるがすような爆発が起こった。ヒッチハイカーに激突した後、崖に衝突したまま停車し炎上していたトレーラーが爆発したのだった。
　
　
＊＊＊＊＊＊＊＊
　
　
「おや…何かが爆発したようだね。これは軽油が燃える匂においだ。トラックか何かが爆発したのかしら？」
　そう言いいながら隣となりを歩く相棒のバリーを振り返ったのは、容姿こそスーパーモデルの様に美しいが性格は残忍で獰猛どうもうな女殺し屋のライラだった。

　この二人組の殺し屋コンビは自分達の乗っていたヘリ『ブラックホーク』から飛び降りた後、目標のヒッチハイカーがいると思われる『夕霧橋ゆうぎりばし』の方へ向かって吹雪の中を徒歩で移動中だったのだ。

「バリー、ごらんよ。あそこに懐なつかしい車がいるじゃないか。
　まあ、ずいぶんとポンコツになっちまってるようだけど…　暗号名コードネーム『ヒッチハイカー』に手ひどくやられちまったみたいだね。」

　『黒鉄の翼』に撃墜された『ブラックホーク』から飛び降り、『夕霧橋ゆうぎりばし』付近まで徒歩でたどり着いたライラとバリーだったが、前方に停車中の大破した『ロシナンテ』を見つけたライラがニヤニヤ笑いながらバリーに言った。

「ブ？　ブモオオーッ！」
　自分でも『ロシナンテ』を目にしたバリーが突然興奮し、雄叫おたけびを上げた。

「ふふふ…　バリー、気持ちは分かるけど興奮するんじゃないよ。たしかにあんたにとっては、あのポンコツ車は以前に自分の腹に穴を開けやがった小憎らしい車だろうけどさ。
　どうやら、『ヒッチハイカー』にだいぶやられちまったようだね。」

そうなのだ。
　以前、ライラとバリーの二人組が白虎である千寿 理せんじゅ おさむと初めて戦った際さい、瀕死ひんしの危機に陥おちいった千寿せんじゅの救出に現れた風祭 聖子かざまつり せいこが遠隔操縦する『ロシナンテ』が、今回のヒッチハイカー戦と同様にPSキャノンの30mm徹甲弾てっこうだんの三連バースト砲撃で、さすがのバリーの誇る鋼の筋肉も貫つらぬかれ腹に大穴を開けられたのだ。
　その結果、立ち直って獣人化した千寿せんじゅにバリーは逆転負けを喫きっし、文字通りに首から上の頭部だけの存在となってしまったのだった。
　『ロシナンテ』は、バリーにとっては恨うらんで余りある車なのだった。

「あんた、あのポンコツ車をブチ壊すってのかい？　まあいいか…　アタシ達のヘリも撃墜されたんだ。あの車も、あのカザマツリって女が作ったんだってんなら、いいから思う存分ぶち壊してやりな。
　中に人が乗ってるってんなら、構わないから、そいつらごとやっちまいな。」

　ライラが美しい顔に似合わない物騒な言葉で、相棒であるミノタウロスのバリーに『ロシナンテ』の破壊を命じた。

「ブッフッフ」
　相棒のライラから正式に攻撃と破壊のお許しを得たバリーは、灰色をした水牛の顔に嬉うれしそうな表情を浮かべた。
　
　
＊＊＊＊＊＊＊＊
　
　
「警告！　右前方２時の方向より正体不明の二人組が接近中！　現在『ロシナンテ』からの距離、約200m！」

　突然、『ロシナンテ』に搭載されている完全自立思考型人工知能AIの『ロシーナ』が良く通る女性の声で警告を発した。

「何だ？」

　ヒッチハイカーに破壊された『ロシナンテ』の屋根を、応急処置として常備されていた防水シートで覆おおう作業をしていた島警部補が『ロシーナ』の指摘した方角に目を凝こらしたが、10ｍ以上先の視界は吹き荒れる吹雪のために目視不可能だった。

　屋根の補修は車外からは島警部補が担当し、車内側からは鳳 成治おおとり せいじと皆元 静香みなもと しずかが協力して作業していたのだ。

「二人組だと？　今頃、吹雪の中をこんな場所に何者だ…？　敵か…味方か？
『ロシーナ』、もっと詳しく分からないのか？」
　運転席で防水シートを内側からテープで貼り付けていた鳳おおとりが『ロシーナ』に問い質ただした。

　運転席と後部座席の10インチ液晶モニタに、温度分布を表わすカラフルなサーモグラフィーで描出された動画が映し出された。
「超望遠カメラによるサーモグラフィー画像です。
　画像解析したところ、一人は体型から見て身長約175㎝の女性。もう一人は、人解とは思われないほど異常に筋骨の発達した男性…こちらの身長は約270㎝。頭部の２本のツノも入れると、およそ300㎝…」

「に、270㎝っ!?　それに頭にツノ？」
　３人の口からほぼ同時に驚きの声が上がったが、当然の反応だろう。恐らく世界中を捜したところで、そんなに巨大な人間はいない筈はずだからだ。

「み、見て下さい！　あ、あの男、本当に頭に２本のツノがある…」
　『ロシナンテ』の車内に戻った島が、サーモグラフィーの画像を指さして喉のどがつかえた様な声で言った。
　温度の分布を色で表あらわすサーモグラフィー画像では、表示された色によって頭の角ツノが作り物の飾りなのか、生物としての肉体の一部なのかは一目瞭然いちもくりょうぜんなのだ。
　だが、不思議な事に…頭の右側に生えたツノはオレンジ色の体温分布を示しているが、左側のツノこそ作り物なのだろうか…？
　その部分の色は、温度が低い事を表わすブルーだったのである。

「二人組…　男と女…　大男の方は頭にツノ…　ま、まさか！　ヤツらか!?
　さ、殺戮さつりくのライラ＆バリー！」

　普段はクールな鳳おおとりが珍しく慌あわてている様子を見て、後部座席に座る島と静香 しずかは顔を見合わせた。
　鳳おおとりはこの奇妙な男女の二人組を知っているのだろうか？
　それに、この鳳 成治おおとり せいじの冷静さをここまで失わせる彼が呼ぶところの『殺戮のライラ＆バリー』とは、一体どういう連中なのだろうか…？

　静香 しずかが物問いたげな目つきで島の顔を見つめたが、その視線に気づいた彼も首を横に振るばかりだった。
　世界中の諜報機関の間では泣く子も黙る存在として認識されている『殺戮のライラ＆バリー』だったが、日本の地方警察における一警部補でしかない島が知る筈はずも無かった。

「恐ろしいヤツらがやって来たようだ…　当然ヤツらの目的は、我々と同じくヒッチハイカーの確保だろう。
　どこの組織かは不明だが、とんでもない化け物コンビを派遣はけんしやがった。」
　そう早口でしゃべる鳳おおとりの額ひたいには、この寒い気温の中にも拘かかわらずじっとりと脂汗あぶらあせが浮き出していた。

「警告！　二人組が走り出しました。こちらに向かって一直線に疾走中！
このスピードは人間の出せる速度ではありません！」

　『ロシーナ』が甲高かんだかい女性の声で、まるで悲鳴の様な警告を発した。

「島警部補！　バンパーミサイル発射準備だ！　照準が合い次第、発射しろ！」
鳳おおとりが叫んだ。

「ええ!?　相手は生身なまみですよ！」
当惑した島警部補が叫び返す。

「バカ野郎！　アイツらは正真正銘のバケモンだ！　ヒッチハイカーより数倍恐ろしいヤツらだ！
いいから撃て！」

「りょ、了解っ!」
　不承不承ではあったが、島が真剣な表情をした鳳おおとりの命令に服従の姿勢を取ろうとした時だった。

「もう、遅いんじゃない？　この距離でミサイルは撃てないでしょ。」
　突然フロントガラスの前に現れた美しい女が、車内の３人に向かってウインクしながら言った。

　この突然現れた女の容姿ようしは明らかに日本人のそれではなく、ラテン系らしく思われるその美しい容貌はハリウッド映画の主演級の女性俳優か、パリコレクションなどの世界的ファッションショーに登場するほどの一流スーパーモデル並みの顔とスタイルで、全身の美しいラインがハッキリと分かるほど身体にピッタリとフィットした黒い皮で出来た戦闘スーツの様な服装を身に着けていた。
　その胸元は見る男を誘うかのように、豊満な胸の谷間がハッキリと分かるほどにチャックが広げられていた。
　彫ほりの深い顔立の彼女は、緩やかなウェーブのかかった漆黒しっこくの長い髪をアップにまとめ、瞳は見ていると引き込まれそうな深い緑色をしている。

　男なら誰でも彼女を振り返って見惚とれ、その妖艶さに悩殺されてしまうだろう。それほどに妖しくも美しい容姿だった。
　『ロシナンテ』車内でも後部座席の島が身を乗り出すようにして、その女を食い入るように見つめていた。そんな島の姿を見た隣となりの席に座る静香 しずかは、呆あきれた様に清楚で可愛い顔をしかめていた。

「お、お前は、ライラっ！」
　女から一番距離の近い運転席に座っている鳳おおとりが驚愕きょうがくの叫び声を上げた。
　それを聞いた島と静香 しずかは、目の前にいる美貌の女が先ほど鳳おおとりの言っていた『殺戮のライラ＆バリー』なる存在の一方である事に驚いた。こんなに美しい女性がと…

「あら、アタシを知ってるあなたは誰かと思えば…　これはこれは、内調ないちょう（内閣情報調査室）特ゼロ（特務零課とくむぜろか）課長の鳳 成治おおとり せいじさんじゃないの。」
　ライラが美しい顔に浮かんだ妖艶ようえんな笑みを、嬉しそうにさらに広げながら言った。

「ライラ！　お前達がここへ来た目的は、ヒッチハイカーの確保か？　お前の相棒のバリーはどこにいる？」
　そう問いかける鳳おおとりは、ライラの美しい緑色の目から視線を外はずす事が出来ないでいた。それはまるで、妖あやしくも美しい彼女の視線に鳳おおとりの心が捉とらえられてしまったかの様だった。

『まさか…　陰陽師おんみょうじの俺が…ライラの視線に射すくめられて…？』
彼は葛藤かっとうする心の中で思った

「ふふふ…アンタみたいに頭の回転が早くて、物分かりのいい男ってキライじゃないわ。
　そう…　アンタの言う通り、アタシ達の目的は暗号名コードネーム『ヒッチハイカー』の身柄みがらの確保、または遺体を回収する事。
　それに、お捜さがしのバリーなら…　ほら、アンタ達の後ろにいるじゃない。」

　ライラが真っ赤なルージュを塗った美しい形の唇くちびるを突き出して言った時だった。

「ブモオオーッ！」

　ウシの嘶いななきの様な声が辺あたりに響き渡ると同時に、『ロシナンテ』の車体にガシッと衝撃が走り、車体がユラユラと揺ゆれたかと思うと後輪が二つとも地面から浮かび上がった。

「うわあっ！」
「きゃああーっ！」
　角度が付き、まるで滑すべり台にしがみ付くような姿勢になっている後部座席の島と静香 しずかが恐怖の叫び声を上げた。

　信じられない事に、自分達３人の体重と合わせて３ｔ近い車重しゃじゅうは優にある『ロシナンテ』の後半分が空中に持ち上げられていくのだ。そんな芸当げいとうが出来るのは、クレーン車の様な重機じゅうきくらいしかあり得ない。
　そう思いながら、後ろを振り返った島と静香 しずかは信じられないものを見た。

「いやああああーっ！」
　両手で自分の頬ほほを挟はさみ込むように押さえた静香 しずかの口から恐怖の絶叫が迸ほとばしった。

「う、牛のバケモノおっ!?」
　昨夜来さくやらい、様々な不可思議な事象を目撃して多少の事では驚かない気になっていたSIT隊員の島でさえ、自分の目を疑いつつも驚愕の叫び声を上げていた。

　後部座席のさらに後ろ、ラゲッジスペースを隔へだてた向こう側にある後部ドアの窓越しに車内を覗のぞき込んでいたモノは…全体が濃い灰色をした水牛すいぎゅうの頭部だったのだ。

「ブッモオオオオーッ！」

それは、牛頭人身の怪物ミノタウロス…　バリーの頭部だった。
　
　
　
【次回に続く…】