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050_The Herbaliser「8 Point Agenda」

人混みは避けて、夜の闇に紛れるように、俺はそそくさと脇道に入って、誰もいない渋谷の街を歩いている。今日はどうやら年号が変わる瞬間、ということらしい。なんでこの時間にこんな人がいるんだ、と行き交う人の言葉に聞き耳を立てていて、俺はやっとさっき知った次第だ。街ではそれを祝おうと馬鹿騒ぎする連中が、渋谷センター街に集まっていて警官があたりを厳重に警備している。DJポリスが軽妙なアナウンスで、不足の事態が起きないように呼びかけている。

ただ単に騒ぎたい連中だけだろうし、別に俺はこの新しい世の中の変わり目を一緒に祝おうなどと思ってここにいるわけではない。家でずっとネットゲームをやっていて、腹が減ってたまたま外出したら、ちょうどそのタイミングだったというだけ。なんとも滑稽極まりない。

そうだ、俺は腹が減った。店に入ろうか迷ったが、店内で騒いでいる連中なんかがいると面倒くさい。俺は手っ取り早く腹を満たしたくて、コンビニてカップラーメンを買うことにした。レジに並ぶんでいると、前にいた若いカップルがいちゃついてやがる。

「○○って響きなんか、マジかっこいいよね。てか、私が生まれた時からずっと▲▲だから、なんかそれが変わるとかヤバい」
「いや、でもいつか変わるじゃん、いつまでも▲▲じゃないよね。レイカも変わるんでしょ」
「そーよ、○○になったら、私マジ変わるから。もっと痩せて綺麗になるし」
「マジで。ヤバいじゃん」

○○とか▲▲だとか、年号の部分が聞き取れないが、まあ、でも今の俺にはどうだっていい。一体何が変わるってんだよ。お前らは別に年号が変わろうが、いつでも「ヤバい」んだろ。

頭の悪いカップルの会話を尻目にして、俺はふと時間を見る。もう時間は、午後11時50分。店内でも、他の学生の身なりをした客が「そろそろだねー」「酒買っとこ酒」「センター街人やばくね?」と騒ぎだす。なんなんだ、こいつら。

年号が変わる新しい時代の変わり目の瞬間、ニュースで新しい年号の文字を両手に掲げて、半ばその姿がシンボライズされた偉いおじさん。何をそんなに喜ぶ事があるんだ、その時の呼び方が変わっただけで、もちろん自分自身が変化するわけではない。中学生が高校生になったり就職するなどして立場とか身なりが変わるだけならまだしも、年号が変わって中身や外見など変わるところなどない。新しい時代なんだと、浮かれている連中全員に言ってやりたい。
「いや、お前は何も変わらないだろ」

時代がいくら変わろうが、俺には関係ない。飯を食って、クソみたいな仕事をして、ネットいじってゲームして寝る。年号の変わる5月1日を挟むこの長いゴールデンウィークも、特にやることなんてない。兄貴の子供が産まれたらしく、どうせ俺なんかあの家にいても疎まれるだけだから、とても実家にも帰ろうとなんて気は起こらない。「どうせ俺なんか」という、常に捨て鉢みたいな感覚が俺についてまわっている。悪いが、その新しい時代とやらが俺をすくい上げてくれるなんてことはないんだよ。その時々の時代が照らす光によって輝く奴らもいれば、必ず俺のような影の存在も同時に作り出す。

ポストコロナ世代と言われる時代の窪み。2020年台から大流行した感染症により、日本の経済は大打撃を食らった。ほんの少し生まれるタイミングが悪かっただけで、時代の境目で割りを食った連中。一緒くたに、可哀想な人たちとカテゴライズされて、俺の履歴書は、空白期間と連続する短い職歴に彩られていた。今はなんとかビルの清掃員をして、食い繋いでいるが、似たような境遇だった大学の同級生なんぞも行方はしれない。この前、久しぶりにかかってきた同級生の電話もご多分にも漏れず、マルチの勧誘だった。そう、そいつも俺と同じで、時代の境目に挟まった奴ら。

男だけの3兄弟のうち、兄貴と弟はその時代の境目をうまいことくぐり抜けていて、俺だけその時代のクレバスに足がはまり込んでしまってどうしても動けない。昔から、俺はどうしても要領が悪い。長男は最初の子供だからまず親の寵愛を一心に受けて、次男は適当だ。残っている写真も兄貴のばかり。三男はそんな兄2人の対比を見て、自分の立ち位置をよくはかる。要領のよさだけは自然に身につけて、末っ子というスタンスを崩さない。何にしても、何をやろうにも、俺はどうにも筋が悪かった。

俺はどんどんと盛り上がる馬鹿どもを尻目に、お湯を入れて、結局コンビニの前に座って、カップラーメンをすすることにした。ラーメン独特の合成された調味料の出す刺激的な香りが俺の空腹だった俺の腹を刺す。昔から変わらない味。俺は感覚を麻痺させられている、このカップラーメンに。酒に、風俗に。他にも、ネットに、パチスロに、ゲームに。いつの間にか、俺は時代の世情の憂さをこういった下劣な刺激で晴らす術を覚えた、いや覚えざるをえなかった。そしてそういった過度な刺激で麻痺させていく、自分の感覚を、自分の未来を。そうでなければ、生きてはいけなかった。どうせ、変わらない。昭和でも平成でも令和でも、そして次がどんな年号であろうとも。

「ついに、今、この日2045年、日本は令和から光輝に変わりました!今年は光輝元年。新しい時代の幕開けです」

12時00分、アナウンスが響く。湧き上がる歓喜の歓声と警察官の怒声。

「ついに、令和27年から光輝元年ということで、ね、変わりましたね、この新しい光輝の時代に。是非とも、我々光り輝く時代にしたいですね」
「はい、ちなみこの光輝という年号の言葉の由来はそもそも…」

俺は1分前と全く変わらず、ラーメンをすすっている。



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