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村上龍「オールド・テロリスト」を読んで。

村上龍作品は、以前読んだ「歌うクジラ」という作品がねえ、まあ、作品上の必要性があることは認めるものの「日本語をちゃんと喋れない人」のセリフが延々と続き、読みにくくて読みにくくてしょうがなくて途中で放り投げて以来。

村上龍は多作とは言えず、その後に長編作品は出ておらず、恋愛ものの作品は1本読んでいるんですが体感的にはものすごい久しぶり。

で、読み始めたら、これが超絶ド級エンターテイメントの名作でした。

文庫本で640ページある長編なんですが、初日で2時間くらい読み、次の日の深夜から読みはじめ、休みだったのもあって寝たり読んだりしながら午後までに読み終えてしまいました。

伊坂幸太郎にしろ、東野圭吾にしろ、私が好きなエンタメ作家の良作でも大体どっかしらでダレるところがあるんですが、そんなものは全く無いまま最後まで読ませ切るパワーを持っていました。

お話は、テロ予告を受けて取材を始めたフリーの記者が立て続けにテロに遭い、同時にそのテロを防いでくれって話になって、色んなことに巻き込まれていく嵐のような作品。

村上作品でいうと「半島を出よ」も同じく暴力&暴力に支配された名作ですが、それに匹敵する小説だと思いましたね。

村上龍は前にインタビューで、村上春樹との作品に絡めて「自分は自意識の揺れみたいなものを吹き飛ばしてくれるものが好き」ってことを言ってます。

セックスだったり、戦争だったり、暴力だったり、音楽だったり。

で、この作品も基本は圧倒的な暴力描写があふれているんですが、所々の要所要所で極めて人間の本質の奥の奥を突いた部分も描かれます。

ちょっと長いけど、1つ引用したいと思います。

「人間の甘え」について。

だが、由美子との会話から耐え難い真実を突きつけられた。大切だと思う人に対しては、苦しいからとコミュニケーションを放棄してはならないのだ。由美子がアスナを連れて去っていく前、おれは自暴自棄になっていて、話し合うことを拒んだ。

もちろん暴力を振るったりしたわけではないが、おれはどうせダメな人間なんだ、頼むからほっといてくれ、そんなことを言い続けた。そんなおれは見たくない、娘にも見せたくない、そう言い残して、由美子は出ていった。

どうせダメな人間なんだ、ほっといてくれ、というのは、最悪の態度だったのだと、今になってやっと骨身に染みて理解した。それは、自己嫌悪とか、自分を卑下するとかではなく、単なる甘えだったのだ。

ときとして甘えは暴力よりもやっかいだと思う。暴力なら、立ち向かうとか、退避するとか、誰かに支援してもらうとか、何らかの方法で対抗出来るかも知れないが、甘えは、容認するか、見放すかしかない。しかも、甘えに応じることができなかったと自分を責めたりして、傷を追うこともある。


いわゆる「共依存」は誰かの甘えを容認した状態ですね。

世の中には、人間関係において甘えを持ち出す人はいくらでもいます。

「不機嫌で他人を支配する人」とか正にそうですね。

それは家族なりなんなりが、相手の不機嫌という甘えを(事実上)容認しているわけです。

そこで「なんでお前の不機嫌に一々付き合わなきゃいけないんだよ、いい加減にしろ!」って言い放てば、関係は何かしら変わります。

関係が変化するか、消滅するかはわかりませんが、甘えを容認した状態とは別の状態になる。


とまあ、ちょっと話がズレましたが、そんな、大変興味深い考察が散りばめられており、大変心に残る描写もいくつもありつつ一気読み出来るエンタメ作品としての純文学とも言える名作。

私はまあまあ読むのは早い方だと思いますが、ゆっくりじっくり読書を楽しむ人ならば、1回で1時間くらい読むとしても1ヶ月くらい楽しめると思いますよ。

是非!!


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