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色んな考え方を知って至った今の私


心理学

まずは心理テストです

私が昔聞いた“恋愛心理テスト”にこんなものがありました。

Q.好きな異性のタイプを3つ挙げてください

その当時の私の答えは
⑴静かに話を最後まで聞いてくれる人
⑵色白で一重なシュッとした顔の人
⑶バスケットボール部だった人
とかそんな感じだったと思います。

Qでは次に、その3つの要素を兼ね備えた人が2人同時に現れ、あなたの事を好きになり告白してきました。どちらか一方を選ぶ時、何を決め手にしますか?

その当時の私の答えは即答で
好きの度合いが高い方!』と答えました。
つまり“私への愛が大きい方”と言うことです。

それはごく最近まで続いていましたし、今でもその感覚が押し寄せてくる事もあります。

原因論

色んなことを学んだ中でその原因は

父親との関係性にある”とよく言われる事がありますが、それは心理学で言う原因論的な考えというそうです。

実際、私は『父親は私を愛していない』と思いながら27年間生き続けていました。
というより、父親との接点がほとんどなく(離別とかではなく、同じ家に一緒に住んでいますが)ろくに面と向かって話したことも、触れ合ったこともありません。

なのになぜ私が『父親は私を愛していない』と思っていたかと言うと、その背景には“母親”がいました。

「パパはママの事が大好きだったのに、結婚してママがあなたを産んで、母親になってしまったから変わった」
「本気であなたに嫉妬してた」
「あなたにだけは何故か他の兄弟と違って冷たい、あなたは可哀想だといつも思う」
といつも聞かされていました。

母親からすると
・ただ自分が感じたことを私に伝えただけ
・事実を伝えただけ
と言う感覚なのかもしれない。
母親は貧乏でも仲のいい家から、お金を持ち、地位もあるが不仲な家に嫁ぎ、祖母との関係や、慣れない育児、父親に頼れないなど色んなことがあったと今では想像できますが、子どもの頃の私にとっては深い傷になっていたんだと思います。

インナーチャイルド

そんな風に、『過去にこんな経験や体験があったから、私はいまだに“不安” “自責” “私は誰にも愛されない” “生まれてこない方が良かったのかも” “頑張らないといけない” “嫌われたくない”と言う思考の癖が染み付いているところがあります。

小さい頃に自分が抱えた傷を大人になってからも癒されずにいる事をインナーチャイルドの傷つきとも言うそうです。

それに関しては私もカウンセリングに行ったり、自分で本を読んだり、自分を受け止め、癒したり、インナーチャイルドを受け入れながら色んな事に取り組んでいました。
インナーチャイルドを癒すことに必死だったようにも思います。

目的論

その原因論の反対は目的論的な考え方です。
『今でもその癖を抜かない目的がある』と考える考え方です。

そう考えた時には私がたどり着いた答えは
“可哀想な私でいると、誰かが可哀想に思って気にかけてくれるかもしれない”
“自分が幸せになるのが怖いから、幸せになれなかった時の言い訳にしたいだけなのかもしれない”と言うことです。

=不幸な自分である事は、新たな傷つきから自分を守るために私にとって必要な事だったのです。

世の中には色んな考え方がありますよね。

犯罪心理学

インナーチャイルド的には自分の負の感情などにフォーカスを当て、自分の中のインナーチャイルドを癒していく事が大切だとされますが、犯罪心理学的には『変えられない所には触らない』と言う事が鉄則だそうです。

私のように、小さい頃に色んな体験を子どもながらに理由づけをし、持ち続けていたことにより、相手の子どもに対して強い嫉妬心がありました。

色んな心理学に触れた結果

そんな私が、自分で許せなくて、変わりたくて必死にもがいてきたのですが、今の私にはしっくりきた考え方はこうです。

ここにたどり着いた

嫉妬するものは仕方ない。そんな私がいてもいいし、そんな私がどう生きるのかを考えながら、そんな私と生きていこう

今まで必死にもがいて、自分の理想から愛される自分になろうとしていましたが、今の旦那に出会い“ありのままの自分でもいいんだ”と感じる経験を重ねた結果、私が出した答えはこれでした。

そして、色んな人からこう言われる機会が増えたんです。

今までいっぱい頑張ってきたんだから、次は自分が楽しいと思うことに意識を向けるのはどうですか?

そんな温かい言葉たちが、私の心を溶かし、肩の力を抜いてくれました。

私は私と生きていく

色んな大きさ、色んな形が集まってできた私の愛
コンクリートの上に石を並べるとすごく見えにくいけど
それはそれで好き


今になってわかったことは『私はお父さんが大好き』『私はお父さんに好きでいてもらいたい』『ありのままの私を愛して欲しい』『ありのままの私を受け入れてほしい』と思っていたと言うことです。

私は今ある幸せが『いつかなくなるのではないか』『なくなったらどうしよう』と考える癖がまだ抜けませんが、それでもいいんだと思っています。

すぐ不安になる自分だって、今まで私が生きてきた結果なんです。ただそれだけのことなんです。自分が思うダメだと思う自分に対して、「ダメでいいんだよ、ダメだと思ってもいいんだよ、もっとダメでも大丈夫だし、なんならダメでもダメじゃなくてもどっちでもいいし」と気持ちで声を掛けています。(掛けられないくらい落ち込むこともあります!それもそれでいい)

これからは、こんな私と死ぬまで生きていこうと思っている今日この頃でした。

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