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読書感想 横光利一  火

青空文庫でぼーっと読みました。多分5回目くらいの再読でしょうか。自分でも頭おかしいのではないかと思ってます…。

9歳になる男児、米の視点で物語が進行します。米の家は6年前に渡米した父親から病気という知らせが届いたきり、半年あまり送金がとだえているため、姉は看護師見習いとして家を出ています。まさかのときに役に立つからと刺繍を習い続ける母と二人で寂しく暮らしています。米は自分の家が非常に貧しくなったことを知ります。

そんな中、母親が米を置いて隣の家に鶏を食べに行ったりして、米は寂しさと不安のあまり母親が隣の家の男と寝ているのではないかと疑ったりします。

 もはや母親の愛情しか頼れるものがない子供の、「形容しがたい心許なさ」みたいなものがひしひし伝わってくるんですよね。淡々としてるけれども、綿密に感じられる描写が、私はとても心に響きます。

 ある日米は砂のなかに、透明な桃色をした砂粒を見つけます。彼はそれをダイアモンドだと思い、これで欲しいものが買える、と思った直後、「これを持っていれば姉は家に帰ってこられる気がする」と思うのです。

寂しさや不安感の奥底にある、確固たるものを感じ取れないがゆえの不安定な心が、頼りない希望を作り上げようとする、そういった描写がなんだか切なくなります。

古い小説って、物語が大きく展開することは少ないけれども、個人の心情を美しく描写されているものが多くて共感を得てしまうから、つい何回も何回も読んじゃうんですかねぇ…。

物語の結末、米は母親にしっかり抱きしめられて終わります。ああ良かったと安心して終わるのが救いです。

読んでいただきありがとうございます。皆様の幸運をお祈り申し上げます。





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