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1年ぶりに訪れた中学校の中で息子が出会えたもの

春休みに離任式があった。
高校生の息子は、卒業した中学へと向かう。高校から歩いて5分程度の中学校だ。普段いつでも行くことができたが、息子は中学へ足を踏み入れようとは思わなかった。当時の校長先生、担任の先生、部活動の先生が、退職や異動でいなくなっていたからだ。懐かしい先生方が誰もいない中学へ戻っても意味がない。迎え入れてくれる人がいない。
だから、中学校に足を運んだのは1年ぶりだった。これから新しい中学へ行く先生方を見送る合間に、息子はふと校舎へと向かって歩いて行った。もう部外者だから、校舎に勝手に入ってはいけない。それでも、息子には気になることがある。学校は、どうなっているだろう? 
息子には確かめたいことがあった。

ちょうど1年前、息子は生徒会長になったばかりだった。
息子をリーダーとした新たな生徒会活動が始まろうとしていた時、校長先生から思いもよらぬミッションを与えられたことがある。
ある日、職員室に生徒会のメンバーが呼び出された。
「君たちに、お願いしたいことがあるんだ。僕は、この学校をもっといい学校にしたいと思っている。だから、君たちに協力をしてもらいたい」
息子達の顔を見ながら、校長先生は、ゆっくりと静かに語り出した。
「この学校に来る前に、僕がいた学校では、生徒達が掃除をサボってばかりいたんだ。ちっとも真面目に掃除をしようとしなかったんだよ。そんなに掃除をサボるなら、いっそ掃除なんてやめたほうがいいと思って、僕は掃除の時間を無くしてしまったんだ。そうしたら、その学校はどうなったと思う?」
校長先生は、息子達に問いかける。
「……」
「誰も掃除をしなかったのでしょうか?」」
息子が答えると、校長先生は話し続けた。
「僕が学校の掃除の時間をなくすと、生徒達は、自分たちで勝手に掃除をするようになったんだよ。大人が生徒達をルールで縛らなければ、生徒達は自分で考えて動き出すものなんだろうね。あの姿を見て、僕は生徒達の力の大きさを感じたんだよ。この学校は、とてもいい学校だ。新しく何かを変えなくても、ちゃんと生徒達は掃除もするし、学校がよく機能している。でも僕は、もっともっと生徒達が自分で考えて動けるような学校を作りたい。前の学校で見たような、自分たちが進んで掃除をするような姿を、この学校でも見たいんだ」

息子達が黙って聞いていると、校長先生があることを提案し始めた。
「掃除ではなくて、僕はこの学校の組織を全て壊してみたいと思っている。まず、委員会を廃止したいんだ。委員会には、仕事の忙しさに偏りがあるだろう? 忙しい委員会とそうでもない委員会がある。それならば、必要な時に必要な仕事をするほうがいいと思うんだ。でも、高校受験のために、内申書には委員会の活動欄がある。入試のために、委員会をなくされたら困るという生徒や保護者もいるかもしれない。僕は、生徒が受ける全ての高校に出向いて、委員会がなくなった理由を説明しに行く覚悟がある。だから、内申書や保護者の反対は気にしなくていいから、この学校を全ボランティア制にして、生徒達が考えて動くような活気のある学校にしてくれないか?」

大きな改革案を突然出され、息子達はすぐに返事ができなかった。
「はい、やります!」と簡単に言えることではない。
そんなこと、できるのだろうか? 校長先生は中学生に理想を抱き過ぎてはいないだろうか? 息子は校長先生に問いかけたかったが、黙って話を聞いていた。
生徒会の中にも、保守派と改革派に分かれる空気があった。改革を望まない子も少なくはない。失敗しそうな大変なことは、誰でもすることが怖いからだ。
「委員会をなくして、学校が崩壊したらどうするつもり?」
「必要だから、どこの学校にも委員会があるのでしょう?」
生徒会役員からの反対意見はたくさんあった。だが、息子は校長先生を信じ、学校改革をすることを決意した。

「ボランティア制」にするシステムを準備していた時、息子は校長先生に、本音を打ち明けたことがある。
「先生、本当に委員会を全て廃止して、学校が機能しなくなったら、どうしたらいいでしょう? 僕は、みんなが委員会がなくて働かなくてすむなら楽だと思って、積極的に動いてくれないのではないかと思うんです。だから、本当はすごく怖いんです」
生徒会長として、不安に思っている姿はみんなに見せられない。そんな息子を見て、校長先生は面白がるように、笑いながら言った。
「大丈夫だよ。見ていてごらん。きっと、みんなが生き生きと働き出すから……君は、少し他人を信じてみるといい」

「ボランティア募集中」
活動のスタートとして、息子達は昇降口にポスターを貼った。
一文字ずつを一枚ずつの画用紙に大きく書いて、それをいちばんよく見える場所に貼った。全校生徒に説明も終え、いよいよ委員会を廃止する準備が整う。

委員会を廃止すると、学校は意外とスムーズに動き始めた。校長先生の予想通りだった。生徒達自らが動くシステムは、学校に活気さえもたらしてくれる。
ボランティア制で、生徒達が学校に必要な仕事をする中で、様々な問題はもちろん起きた。その度に生徒会の役員達が一緒に考え、一つずつみんなでクリアしていった。考えに行き詰まると、息子は校長先生に相談をし、ボランティア制は少しずつ出来上がっていった。
アルバイトの求人募集をするように、生徒達はグループを作り、ボランティア募集のポスターを持ってやってくる。仕事を見つけ、一緒に働いてくれる人を探すのだ。その姿を見て、息子は不安が安心に変わって行くのを、少しずつ感じるようになっていった。

校舎へと向かいながら、息子は夢中で働いた1年間を思い出していた。
校舎の昇降口に近づくと、一番先に目に入ったものは、「ボランティア募集中」のポスターだった。
懐かしさが込み上げた。あぁ、まだ飾ってある……嬉しさと同時に不安も心に浮かぶ。息子が作ったポスターがまだ貼られたままだからだ。改革は、あの後どうなったのだろう? 活動が止まってしまっているのだろうか?
不安になって校舎内に入り辺りを見渡す。すると、タブレットを使って、ボランティア活動を申し込めるシステムが始まっていることに気づく。
思い切ってやりたいことを堂々と発言できない子もいる。そういう子も参加できるよう、ネットで参加を申し込めるシステムを作りたい。息子は、校長先生からシステムを作るよう言われたことがあった。だが委員会を壊すところから始めた息子に、そこまでの時間はなかった。
「ボランティア制がしっかり広がり定着するまで、ネットシステムを作ることはやめましょう……」
校長先生に初代の息子は、そう語った。システムを作る時間が取れなかったからだ。
息子の後を引き継いだ後輩達が、ネットシステムを作り、改革は順調に進んでいることが伝わってくる。

「居場所」とは、何を指すのだろう?
自分自身が居心地が良いと感じる場所だろうか。
いつも学校の中が窮屈だった息子を、中学校が温かく受け止めてくれたことを感じる。
学校での居場所は、成績が良いことで感じる人もいるだろう。
運動ができることで、感じる人もいるかもしれない。
中学受験に失敗し、望まぬ中学へとやって来た息子は、傷ついた心で中学校生活をスタートさせた。居場所がないと思っていたはずの中学校に、いつの間にか息子は居場所を見つけていたようだ。
あんないい学校はない。
息子は中学時代を振り返る。地味な裏方の仕事だったかもしれない。それでも誰かのためになれた、自分が役に立てた、学校のために働けた……そう感じることが、息子にとっての居場所になっているようだ。自分らしく生きられた世界の中に、人は自分の居場所を感じるものなのかもしれない。

誰もいない校舎の中をそっと歩き、ボランティア制の動きを見て、息子は一人嬉しく思っていたようだ。きっと、中学校の中に、今でもまだ息子が存在しているように思えたのだろう。先生や当時の仲間がいなくても、中学校という場そのものが、息子を温かく受け入れてくれていたように思えたからだ。

時が過ぎ、振り返ると、歩いて来た道が見える。自分が歩いて来た道が、輝かしく見える。輝かしく見えることの中に、自分がどう生きていきたいかの答えがある気がしてならない。振り返りたい場所には、きっと自分の居場所があるのだろう。再び訪れたい場所を見つめることで、自分自身がどうありたいかを見つめることができるかもしれない。

あと2年が過ぎれば、息子はこの街を去り、どこか別な街で暮らすことになるだろう。もう、この街で暮らす日は、二度とやってこないかもしれない。もし、この先、息子がこの街を振り返る日が来た時、この街に再びやって来ることがあれば、息子は間違いなくこの中学校を訪れたいと思うだろう。再び中学校を訪れることで、息子は自分の原点を見つめられるかもしれない。

離任式から戻ってきた息子は、久しぶりに穏やかな眼差しをしていた。
将来を悩むこともある。ハードな勉強に苦しみ、イライラすることもある。息子は、中学校の校舎の中で、人を信じることを学んだ自分自身を思い出せたようだ。10年後、もし息子がこの学校を訪れたとしたら、同じように自分自身を見出せるだろうか。息子は、その時、何を見つめるのだろう。
懐かしい中学校は、これからどんなに時間が経っても、どんな道を歩んでいても、いつも息子を出迎えて、温かく包み込んでくれることだろう。

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