森会長の発言によるステレオタイプ脅威を考える

ナナです。
最近「ステレオタイプ脅威」という現象を知り、JOC森会長の発言が炎上している件と繋げて考えると自分の感じている課題感が言語化できたのでnoteで整理しました。

森会長の発言の、何が問題だと思っているか

炎上しているJOC森会長の「女性蔑視」発言の抜粋です。(まだの方は全文も読んでみてください。)

「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。
これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。
結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。
私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。」(日刊スポーツ 2月4日)

同様の発言を人生の中で繰り返し耳にしてきたので、何故この問題が引っかかるのか、ずっとモヤモヤしていました。

なかなか言語化することの難しさを感じたのですが、この発言の特性について、私が特に問題だと感じることは以下の3点です。

1. 「女性」でひとくくりにしたグループに対し、ネガティブな意味合いを持たせていること
→ 「女性=競争意識が強い・会議が長くなる」という根拠の無いステレオタイプを生み出す発言です。加えて、「わきまえて」いる女性は優秀であるという発言もされていますね。
2. 社会的・組織的に強い権力を持つ者の発言であることにより、社会一般的な考え方として受けれられてしまう恐れがあること
→ 権力のある者が公言することで、このネガティブなステレオタイプが是とされ、武器として使われることに繋がります。つまりすぐに可視化されるものではなくても、今後「森会長も言ってたし、女性が多いと会議が長くなるから管理職に女性を採用するのは見送ろう」といった考え方や理由付けが良しとされてしまう恐れがあります。
3. JOCの臨時評議員会という公の場での発言のため、個人の考えとして処理出来るものではないこと
→ 公の場で「会長」が発言することにより、JOCという組織全体が許容している意見だと受け取られること。森氏個人の思想に対して文句を言う筋合いはありませんが、組織全体を代表し発言する場に居ることは2つ目の課題点を更に増長させることに繋がります。

ステレオタイプ脅威について

この発言が日本社会にどのような影響をもたらすかというと、女性に対する「ステレオタイプ脅威」を増長させることに繋がると考えています。

ステレオタイプ脅威とは社会心理学で研究されている次のような理論です。
(翻訳が分かりやすかったためウィキペディアより引用

ステレオタイプ脅威(英: Stereotype threat)とは、人々が自分の社会集団についてのステレオタイプに適合する危険性がある、もしくは自分自身がその危険性を感じているという状況の苦境のことである。
ステレオタイプ脅威を繰り返し経験することは、自信の低下、パフォーマンスの低下、達成の関連領域への関心の喪失という悪循環を引き起こす可能性がある。

ステレオタイプ脅威の何が怖いかというと、このステレオタイプに晒された人(本件の場合だと、会議に出席する女性)は次のように考えるようになります。

「長く喋って、やっぱり女性は…と思われてしまったらどうしよう」
「会議で不適切な発言をして、周りの女性のステレオタイプ助長に繋がってしまったらどうしよう」

これは「自分がステレオタイプを強めてしまわないか」という脅威が自信喪失やパフォーマンス低下に繋がり、ひいてはステレオタイプを裏付けてしまうことになってしまうということなのです。

ともに会議に出席する周囲にバイアスがかかるだけでなく、このステレオタイプを意識した女性本人が脅威を感じることで、本来持っている能力を発揮できなくなってしまう危険性があるということです。

実際にこのステレオタイプ脅威が格差に影響を与えることを示唆する研究などもあるようです。

結局何が問題で、何が出来るのか

SNS上では「これくらい良いじゃないか」「歳なんだから」といった意見も見られますが、発言の程度や森氏の年齢の問題ではないのです。

権力のある者による公の発言により、不当なステレオタイプが植え付けられてしまっていること。
そしてそれがマスメディアにより大きく取り上げられたにも関わらず、非難する動きが遅かったこと。
結果的に、これまで地道に緩和しようとしてきた女性に対するステレオタイプ脅威が強化されてしまっていること。
そして、今後会議で発言するときに「短く喋らなければ」「わきまえなければ」と女性が感じるようになるかもしれないこと。
森会長の発言を盾にした人と対峙し、悔しい思いをする女性が増えてしまうこと。
そしてこのステレオタイプを緩和することに気が遠くなりそうなほど時間がかかること。

森会長という人物の小さな「間違い」によって、そしてそれを社会として許してしまうことの対価として、どれだけ苦しい思いをする人がいるんだろうと想像出来てしまうことが、私の感じたモヤモヤの原因だったのかなと思います。


にしても、女性蔑視の発言をトップニュースとして扱い続けるよりも、男女平等を謳う発言や取り組みがもっと取り上げられても良いのではないかと感じるところもありますが
これはやはりメディア、人々の関心、そして資本主義の構造的に難しいところがあるので、仕方ないことなのかもしれないですね。

またこの件について、ジュウとも話してみたいなと思います。
ぜひ皆さんのお考えもお聞かせください!

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