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「自由」を創る 福沢諭吉

今回は最近読んだ福沢諭吉を題材にした本の紹介をしたいと思います。
この本は、図書館の児童向けのコーナーから借りた本ですが、比較的簡単に読むことができました。

福沢諭吉さんは、一万円札のイメージが
強いと思います。
タイトルにある「自由」を創るというのは、
お札のイメージしかなかったので、
とても意外です。

まずは、福沢諭吉の生まれた時の時代背景

福沢諭吉は天保5年12月12日(現在の暦で1835年1月10日)
時代は江戸の頃になります。
大阪の中津藩、下級武士の家庭に産まれました。

当時の日本は身分制度がきびしく定められた社会。
農民の子は農民、商人の子は商人、家老の子は家老

下級武士の福沢諭吉の父の仕事は年貢米をお金に変える仕事
など、藩の収入に関わる仕事でした。
当時の日本は儒教の考え方が強く、
「金儲けはいやしい、貧しくともお金を欲しがってはいけない」
というような考え方があり
お金の仕事は下級武士の仕事で福沢諭吉の父も
「銭など見るだけで穢れる」といっていたようです。

*儒教:古代中国で始まった、忠義の礼などの道徳を重んじる教え。江戸時代の幕府の正式な学問になっていた。

そんな時代に幼少期に父親が病気で亡くなってしまった福沢諭吉は自由な価値観を持つ母に育てられました。
この本では、そんな福沢諭吉の生涯と、大事にしていた考え方が書いてありました。

この本を読んで面白かったエピソード

1、福沢諭吉は身分制度に疑問をもつ。
この時代の身分制度では下士はどんなにがんばっても上士になれない。上士は馬に乗れる、家が大きい、使用人多い、呼び方が違う、下士は道端で家老にあったら下駄を脱ぎ土下座をしなければならない。など
度々、この身分制度に疑問や憤りをもつ様子がかかれています。

2、神仏にも疑問を持つ
大人がお参りしている神社の神様に疑問を持ちバチが当たるのか確かめる。
何事にも興味津々な福沢諭吉の面白エピソード。


3、アメリカに行ってびっくりする
日本で黒船来航で騒がれていた時代に初めていった海外は、日本では貴重だったものが普通に建物に使われていたり、歓迎パーティーを受けたり、日本では将軍しか食べれない氷が食べれたり、男女が仲良く手を繋いでいたり、考え方も技術も進化していた。一番の驚きは門閥制度がないアメリカの社会制度だった。

4、ヨーロッパでさらにびっくりする
遣欧使節団としてヨーロッパに行ってみたものは大きなホテルやガス灯での明るさ、美味しい食事、博覧会でみた日本製品がヨーロッパでは人気だったけど、海外の工業製品に比べひどく見劣りがするものだったこと。
そのほか、一番興味を持ったのは、その国の制度。
誰もが自由に言いたいことを言い合って結論を出していく仕組みに強い関心をもった。

5、日本を文明国にするために新政府の仕事はしない

江戸から明治になり新政府が福沢諭吉の知識を必要になり、何度か依頼をしてきましたが、福沢諭吉は断りました。明治政府のやり方には賛同できなかったようです。
この時の明治政府の役人の中では、
イギリス王子が訪問した際に「昔から外国人は夷狄といってけがれた者とされてきたはずだ。」と話していたことや、アメリカからきた日本びいきの政治家が、日本を歩くうちに「こんな有り様では日本を応援する気にはならない。日本は自立した国にならないだろう」といわれた。という場面がありました。
江戸から明治になったけどあまり変わらなかったことや、偏見が強かった印象を受けます。
福沢諭吉は、政府の仕事をするよりも、
一般人の考え方が変わること、慶應義塾で洋学などを教え将来の日本を背負う人を育てることが大事だと考え、筆をひたすらに動かしたようです。


最後に
有名な言葉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」

単純に、学問のススメを読みたくなりました。
昔の偉人が何を思ってどんなことをしたのか?
あらためて知ると面白いですね!

いつもお読みいただきありがとうございます。





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