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凡人による、世界一やさしい美術鑑賞の方法

この数日、よく眠れない。たぶん、夜にnoteを書いているからだ。

できたら明るい時間のうちに書くのを完結させて、夜はぐっすり眠りたい。でも、今日も暗くて長い夜を過ごすことになりそうだ。

今日何があったっけ、と思いを巡らせてみた。

そうそう、朝からワシントンDCに遊びにきている親戚家族に会いにいった。マイケルとミシェル(いずれも仮名)とは、8年前に一度カリフォルニアで会ったきり。中学生の娘さんは、当時幼稚園に通うくらいの歳だったから、今回が初対面みたいなものだ。すっかり大人びていてびっくりした。

彼らはカリフォルニアに住んでいて、カリフォルニアっぽさの漂う人たち。カリフォルニアっぽいとはどういうことかというと、自然が好きで、ヨガが好きで、ありのままの自分で生きることをモットーにしていて、アートが好きで、オーガニックフードを食べる。彼らはそのどれも当てはまっている。

遠方から遊びに来ている彼らの意向を優先し、DCにある現代アートの美術館を一緒に回ることになった。
 
行き先は、Hirshhorn Museum

アートが好きらしい彼らは、お互いに感想を言い合いながら丁寧に見て回っていた。私や夫、子どもたちにも、これは面白いね、とか、色が素敵だねなどと語りかけてくれる。

ぶらぶらと観て回っていると、日本人アーティストの作品を見つけた。日本人繋がりという理由だけで立ち止まって見ていたら、マイケルが「どう思う?」と聞いてきた。

わたしの答えは明白だったのだけど、なんて答えるかを2秒くらい考えた上で、やっぱり正直に白状することにした。

わたし、現代アートって良さがわかんないんだよね。」

マイケルは、オー、ベイビー的な優しい笑顔を作ってから、美術に対する彼の姿勢について語り出した。

ぱっと見てよくわからない作品もあるよね。僕もそうだよ。そういうときはいろいろ見てみるんだ。興味がわけば、関連する情報を集めたり、本を読んだりしてみる。そうしていると、いつか、それぞれ別のところで見た作品が、表現方法は全然重なっていなくても、テーマが似ているな、同じ問題に違う方向から挑んでいるな、と気付くようになるんだよ。

手振り身振りを交え、時々わたしの顔をじっと覗き込んだりしながら、熱心に話してくれた。

「なるほどねー。アートが好きなんだね。」

わたしはこの話を聞きながら、あることを思い出していた。

大学生の頃、美術好きの友達がいた。美術部にも入っていた彼女は、休日の美術館巡りによく誘ってくれて、一緒にいくことがあった。

確か京都の美術館で、ルネッサンス展を観に行ったときのこと。等身大の人間の1.5倍くらいの高さのある、巨大な絵画があった。その展示会の見どころ作品の一つで、周りにはちょっとした人だかりができていた。

わたしも人の群れに混じって作品に目を向けた。

腰かけている裸の女性を、天使の姿をした美しい少年が、優しく抱擁しようとしている絵

なんでかわからないけれど、この絵を観たときに、
人はなぜ絵を描くのだろう
という疑問が心に浮かんだ。そんなこと、それまで考えたこともなかった。好きだから描くんでしょ。それか、うまいから描くんでしょ、と思っていた。

でも、あの絵を観たときに、ただ好きだから、得意だからという理由だけでは説明のつかない何かが感じられた。でもすぐにはそれが何なのかがわからなくて、わたしは暫くそのことを考えていた。

答えに行きつくのにどれくらいかかったかは覚えていないけれど、自分なりの答えを見つけたときの、そうか!という気持ちいいほどの合点を、いまでもはっきり覚えている。

つまり、人生で遭遇した「美しいもの」を、形にして、消えないように大事に残したいから、人は絵を描くのだ。

どんな美しい瞬間も、美しい愛情も、美しい人も、いずれは時間とともに消え去ってしまう。その自然の摂理に逆らい、美しきものをいつまでも美しく目の前に残すために、その瞬間を切り取って、絵にするんだなあと。

書いてしまうと、なんだそんなことか、と思われるかもしれない。でも、当時のわたしにはそこそこ大きな発見だった。意識の中に存在はしているけれど正体がよくわからなかったことが、言葉を通してクリアになったのだ。

そこまで考えて、音楽も、文学も、写真も、およそ芸術と名のつくものは、すべて同じ動機から始まっていることに気づいた。当時のわたしは、日記を書いていたのだが、日記だって日々の「美しいもの」を形にして残す営みだった。

え、ということは、世界的な画家がやっていることと、わたしがやっていること(書くこと)は、根っこは同じってこと?

そのことに思い至ってから、美術はわたしにとってぐんと身近なものになった。

それ以降、美術鑑賞するときは、作者が切り取ろうとした「美しいもの」がなんなのかを考えるようになった。それがない作品なんて存在しないと思っている。だから、わかりにくい作品に遭遇すると、横にある説明文を読む。なんらかのヒントが大抵は得られる。「美しいもの」の正体がわかったら、それを慈しみ、大切にする作者の視線が感じられる。そこに共感したり、しなかったりする。

でも、今日の現代アートの作品たちは、ヒントすらつかめなかったなあ。現代アートは、それ以前の美術と比べると、作品を作る動機が違うんじゃないかとすら思う。

結論。現代アートは難しい。


【後記】

唯一この作品だけは面白いと思った。ひとの身体を表しているのか。中央の渦巻いているのは心の動きなのかなあと思ったり。青い部分が丸く盛り上がっている立体的な作品だった。

作者などの作品情報を記録し損ねた

ほかには、こんなのも。

部屋全体がアートという奇抜な作品
日本が誇る草間彌生さんのかぼちゃも展示されている

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