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『翠子さんの日常は何かおかしい』第8話 生家(その2)

 六地蔵の裏手には細い道があった。緑に浸食されて数メートル先が見えない。
 翠子は左手を向いた。木々が無秩序に生えていた。乱杭歯らんくいばを剥き出しにした巨人を想像させる。
「仕方ないわね」
 両肩を回しながら立ち入った。
 中は薄暗い。ひんやりとした冷気が身体に纏わり付く。構わずに足を速めた。
 苔むした根が大地を歪ませる。軽い跳躍で乗り越えて先を目指す。
「ようやくね」
 前方に光が見えてきた。ゆっくりと近づいて立ち止まる。下から吹き上げる風で前髪が乱れた。
 顔を下に向けると端切れを繋ぎ合わせたような川が見える。
 適当な石を鷲掴みにしてポイと投げる。吸い込まれるように落ちて小さな破砕音が聞こえてきた。
 翠子は大きく息を吸い込んだ。
「人を呼び出しておいて、これはどういうことなのよ!」
 すっきりした顔になる。スーツを着直して背筋をピンと伸ばした。
 何も変化が見られない。翠子は目を剥いて笑った。
 一瞬で踵を返して飛び出した。一匹の獣と化して暗がりを走り抜けた。
 翠子は六地蔵の前でしゃがんだ。目を左右に高速で動かし、両手を開いた状態で前方に突き出す。
「これでいいんでしょ!」
 六地蔵は音を奏でないコンガとなった。首の部分を平手で不規則に叩いた。
 立ち上がると即行で引き返す。速度を緩めず、急速に膨らむ光の中へと跳んだ。
 大地は消失した。遙か下方に川が流れている。翠子は前だけを見ていた。揺らめく炎のような裂け目に突っ込み、両足で着地を果たす。
「相変わらずね」
 世界は暮色に包まれた。空には薄墨を流したような雲が渦巻いている。
 背後に道はない。左右も同じで巨木が壁となって聳えていた。
 翠子は前を見据えた。親指大の城門に向かって一歩を踏み出す。
 無口となって足を動かした。夕暮れの中をひたすら歩く。
 城門の鉄扉は開いていた。翠子は堂々と踏み入った。
 道の左右は瓦屋根の長屋で占められていた。軒下に吊り下げられた赤い提灯を認めて、思わず生唾を呑んだ。
 切ない表情で未練を断ち切り、道なりに進む。ちらほらと住人の姿を見掛けた。異様に首の長い女性が道端で立ち話に興じていた。長屋の前に置かれた細長い床几台しょうぎだいには飲んだくれた青鬼が寝転がる。
 終わらない夕暮れ――逢魔時おうまがときに相応しい住人と言えた。
 最奥に建てられた豪壮ごうそうな建造物は高床式で手前に五段の階段が設えてあった。翠子は最上段に上がると履いていたパンプスを脱いだ。僅かな乱れを見て取り、素早く手で揃えた。
 観音開きの扉は開いていた。薄目となってたたずみ、意を決して足を踏み入れた。

 上座に当たる位置に巨大な男性が片膝を立てた姿で座っていた。金色こんじきの髪から突き出した二本の角は鬼を物語り、偉容と相俟あいまって雄々おおしい。剥き出しとなった浅黒い上半身は筋肉の異常な隆起で荒海を思わせた。
 隣には白い鍔広帽子を目深に被った大柄な女性がいた。白いワンピース姿で対照的な存在として控えている。
 二人の前で翠子はちんまりと座っていた。格子状の天井を見上げた姿で言った。
「お父様、今日はどのようなことで呼ばれたのでしょうか」
「パパとは呼んでくれないのか」
「酒呑童子にパパは似合いません。ご用件を伺っているのですが」
 上を見たまま、翠子は言葉を繰り返す。
 父親は突き出た犬歯を岩のような人差し指で掻いた。
「その不自然な姿勢が気になるぞ」
「片膝を立てる癖を直してください」
「どうしてだ? 肘を置くのに便利だぞ」
「では、ズボンを穿いてください」
「酒呑童子の俺がズボンは、それこそ似合わんだろう。翠子は腰蓑こしみの姿が嫌なのか?」
「似合っていると思いますが、その姿で片膝を立てることに不満があります」
 翠子は早口となった。朱に染まりつつある顔で女性に目を移す。
「お母様も何か言ってください」
「……ぽ、ぽぽ、ぽぽぽっぽ」
「八尺様らしい言い訳ですね。もう、いいです」
 軽い落胆を見せて父親に目を戻した。
「翠子は繊細でいかん。雄大な心を持て」
「……言われたくない」
「なんだ、よく聞こえんぞ」
「あんたに言われたくない! とにかく片膝を立てるな! 黒カビ塗れのお稲荷さんが丸見えなんだよ!」
 片膝立ちとなった翠子は他方の足を前に出し、ドンと床を踏み鳴らす。
「ああ、そんなことか。雄大な心を持てば気にならなくなるぞ」
「そういう問題じゃない!」
「ぽぽぽぽぽぽ!」
 母親は頬を赤らめて叫んだ。
 勢いに乗った翠子は父親に向かって怒鳴った。
「ここに私を呼んだ理由を言え!」
「それは、まあ、あれだ。パパが顔を見たくなったからで」
「ふざけるな!」
 陰に隠れるように潜んでいた取り巻き連中が飛び出してきた。翠子を取り囲み、怒りをしずめようと弁舌を尽くす。
 五分後、胡坐を掻いた父親は破顔した。
「顔を見たいという言葉に嘘はない。もう一点、翠子よ。能力は使えるようになったのか」
「それはまだ、です」
「ぽぽ……」
 母親は悲しげな声を漏らす。
「ママも翠子を気に掛けている。環境が変われば能力が発現すると思ったのだが、無理であれば」
「すると思います! 私にはその予感があります!」
「そうか。辛いと思うが、向こうで励むのだぞ。手配書の件はこちらで処理するとしよう」
「手配書とは何でしょうか?」
 翠子は座った状態で腰を浮かす。
「向こうにいる不埒ふらちやからを討伐すると依頼先から懸賞金が貰えるそうだ。令和の殺人鬼の亡霊だったか。結構な額であったぞ」
「二十人殺し!?」
「よく知っているな。300万の懸賞金だが、どうなったか」
「それ、本当に貰えるんだよね!」
 翠子は至福の笑顔を見せた。興奮して息が荒くなる。
「討伐の証拠が必要になるぞ。特殊な容器で霊の一部を採取が基本だ。他に依り代でもいいらしい。令和の殺人鬼で言えばナイフになるか」
「そうなんだ! 300万あったら豪遊ができるね!」
「能力が発現していない翠子には関係のない話だろう」
 父親の一睨みで翠子の笑顔が固まった。
「そうですね。非常に残念です。では、これで帰らせていただきます」
「向こうは日が暮れている。離れに食事と布団を用意した。泊まって身体を休めるがいい」
 その声に反応した屈強な鬼が翠子を肩に担ぎ上げた。
「待って! 離してよ! 私の300万がああああ!」
「賑やかな姉が帰ってきて赤子あかこも喜ぶことだろう」
 父親は片膝を立てて豪快に笑った。


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