子育てエッセイ : 親からの愛情を受け取れば受け取るほど子どもは早く親離れする 子どもの親離れは新たな人間関係の始まり

男の子は小学校の高学年にもなれば親離れが始まる
僕もそうだった。特に母親からだ。
小学校の高学年になると、男の子は母親に何かしてもらうのは、友だちに対してカッコ悪いという気持ちを持っている。それもあるから、特に母親から親離れしようとする。

この友だちに対してカッコ悪いという気持ちの他に
もう十分という気持ちもある。
親に対して、もう愛情は十分受け取ったから、もういいよという気持ちだ。
僕はふたりの娘を育てたが、これは女の子も同じだ
親からの愛情はもう十分と思って親離れし始める。
そして親よりも友だち、あるいは、付き合っている
異性の方が大切になる。

僕たち夫婦は過保護は悪いことではない、という考え方をしている。過保護なくらい子どもに愛情を注いだ方が早く親離れし、自立心が出て来るからだ。
逆に親からの愛情が受け取れないと、いつまでも
親からの愛情を受け取ろうとするから、親離れが
なかなか進まない。
いつまでも受け取れなければ、親を恨む可能性まで
出て来ると思う。

子どもの親離れが始まると親は特に母親は寂しく感じる。だが、子どもが親離れしていく時に1番大切なのは、親も子離れすることだ。
子どもがせっかく親離れし自立して行こうとするのを親が引き止めてはいけないと思う。
マザコン男と言われる人がいる。僕も何人か知っている。確かに本人にも責任があるが、僕は母親に
1番責任があると思う。
マザコン男の母親は子どもに親離れさせないどころか、自分のところにに引き止めさせようとさえする

僕も娘たちの親離れを経験した。ふたりとも小学校の高学年から少しずつ始まった。女の子の場合は
初潮とも関係がある。
親離れの兆候が出始める頃がちょうど初潮の時期と重なる。初潮を経験すると完全な親離れが始まる。
本人にも大人になったという感覚があるから尚更なのだと思う。

僕の奥さんも、娘たちの子離れが始まると最初は
寂しそうにしていた。
ところがある時から奥さんは嬉しそうにし始めた。
これは僕も同じだったのだが、子どもが親離れすると、新しい人間関係が始まる。

子どもは親を親というよりも、ひとりの人間として見るようになる。父親はひとりの男として、母親はひとりの女性として見るようになる。
これはこれで楽しい。
僕は父親なので、娘たちは恋愛に関することは何も話さなかったが(娘の恋愛話は母親の担当)、それ以外のことは、親と言うよりも大人の男に話しをするという感じに変わった。
政治経済だけでなく、人生哲学のようなことまで
話し合うようになる。
また、僕たちの世代の価値観に異議まで唱えるようになった。

娘たちにひとりの男として見られるようになると
プレッシャーも感じる。情けないことを言っていれば軽蔑されてしまう。また、娘たちと対等に話すためには、それなりに勉強も必要だ。
だが、ひとりの女性と接しているという感じは基本的に嬉しいし楽しい。

奥さんも同じだった。
娘たちにひとりの女性として見られるのが嬉しくなって来た。料理を教えるのも子どもに教えると言うよりも友だちに教えるという感覚になった。
ある意味、同志みたいなもの。
娘たちが高校生になると、娘たちは奥さんのカーディガンやショールを借りたり、奥さんは娘たちの
バッグやローファーを借りたり等、見ていて親子と言うよりも友だち同士に見えた。
親子の愛情と言うよりも友情に近くなった。

親子が人間同士の関係になるのは楽しい。
親は子どもの親離れを悲しく思う必要はないと思う
また、男の子の場合、母親に何かしてもらうのは
カッコ悪いという感情は中学生になると大抵消えてしまう。2〜3年の辛抱に過ぎない。

また、男の子は自分の母親が自慢出来る母親、女の子は自分の父親が自慢出来る父親であることが大事 
これは見た目も含む。
何もイケメン、美人である必要はない。
だが、いつまでも若々しく、ただのおじさんにならない父親、ただのおばさんにならない母親は、子どもの自慢になる。 
親は子どもが親離れを始めたら、自分磨きを始めなくてはならないと思う。

僕たち夫婦は、子どもには例え過保護と言われても愛情をたくさん注いで育てた。
僕たちは、それで良かったと思っている。






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