エッセイ : 僕が生きた昭和という時代 2 チャップリンが大活躍した、そしてヴィヴィアンリーが登場した1910年〜1940年代のアメリカ(明治43年〜昭和24年)

映画がまだサイレント映画と言われ映像に字幕がついていた時代のアメリカのハリウッドで、女性に最も人気のあった俳優さんをご存知ですか?
早川雪洲さんという日本人の俳優さんです。
女性だけでなく、当時のアメリカで最も人気のあった俳優さんの1人です。
早川雪洲さんは最初日本で俳優として活躍されていましたが、アメリカに渡りハリウッドで大成功します。
当時のアメリカは歴然とした人種差別のあった時代
そんな中、早川雪洲さんは持ち前のエキゾチックな美貌を活かし、しかも悪役に徹し白人女性の心を次から次へと掴んで行きます。
アメリカの女性達はスクリーン上の早川雪洲さんに会うためにお化粧をしたそうです。
そしてハリウッド最初の男性セックスシンボルになりました。
早川雪洲さんは、こんな言葉を残しています。
俳優という仕事は面白い。監督が満足するように演技さえすれば、勤め人の100倍の金がもらえ毎晩
いい女を抱きたい放題抱ける。楽しくて楽しくて辞められない。
如何に凄かったかが分かります。
日本人の男達よ立ち上がれ!
早川雪洲さんの後に続くのだ! 
というのは冗談ですが、でも、ある意味、こんな凄い日本人は他にいません。
僕は個人的に早川雪洲さんを誇りに思い尊敬しています。
日本人の男は欧米の女性に対して引け目を感じる必要はないと思います。

僕は尊敬する俳優さんが10人います。
早川雪洲さん、ロバート デ ニーロさん、
三船敏郎さん、三國連太郎さん、仲代達矢さん、
緒形拳さん、山崎努さん、松田優作さん、      ジェームズ ディーンさん、そして、
1910年代のサイレント映画の時代から
1940年代にかけてアメリカで大活躍された、
チャールズ チャップリンさんです。
チャップリンさんの素顔は超イケメンさんです。
チャップリンさんは帽子を被り、口ひげをつけ、
ダブダブの服を着て、ドタ靴を履いてスクリーンに現れます。
チャップリンさんはいろいろと考えてこの姿に決めたのですが、根底にあったのは、
自分がイケメン過ぎて、そのままの姿では喜劇を演じることが出来なかったこと。
そして、チャップリンさんは子ども頃、母親と2人で貧しい生活をしていて、チャップリンさんの母親は、子供用の服を買ってあげることが出来ず、チャップリンさんに大人の服を着せ大人の靴を履かせていたことです。
ですがチャップリンさんは、母親からの愛情を深く感じていて、その頃のことを忘れないように、ということもあったそうです。
チャップリンさんは数々の名作を発表しましたが、
僕は何故か、街の灯が1番好きです。
チャップリンさんはこんな言葉を残しています。

私は雨のなかを歩くのが好きだ
そうすれば
誰にも泣いているのを見られなくて済む

下を向いていたら、虹は見つけられないよ

チャップリンさんらしい素敵な言葉ですね。
ですが、こんな言葉も残しています。

笑いとは、すなわち反抗精神である

私の最高傑作は次回作である。

チャップリンさんが、どんな気持ちで映画を作っていたかが分かります。
チャップリンさんは1947年、ご自身が最高傑作と評する、殺人狂時代という映画を発表します。
ですが、この映画は反社会的で共産主義的とされ、
チャップリンさんはアメリカから追放されてしまいます。
チャップリンさんはヨーロッパに渡り、晩年は、
スイスで過ごすこととなります。

萩本欽一さんが、喜劇王のチャップリンさんに会いたくて、スイスのチャップリンさんの家まで行きました。チャップリンさんは、自分の家の外にいる
若者が誰か尋ね、チャップリンさんに会いたくて 
日本から来たコメディアンだと知ると、チャップリンさんは萩本欽一さんを自宅のなかに入れ、そして
萩本欽一さんに、きみは素晴らしいコメディアンになる、と言ったそうです。
大人物は違います。
偉そうにふんぞり返って、人を顎で命令する男は
小人物です。

1977年、チャップリンさんはスイスの自宅で、
88年の生涯を終えました。
チャップリンさんが亡くなった後、チャップリンさんの息子さんが、こんな声明を出しました。

父のことを天才だったという人達がいます
父は天才ではありませんでした 
父は努力することの天才だったのです

これほどチャップリンさんの偉業を称えた言葉は
他にないと思います。
チャップリンさんの息子さんは誰よりも、
チャップリンさんのことを理解していたのだと思います。
  

1939年、ハリウッドの名作と言われる
風と共に去りぬ、が発表されました。
主人公のスカーレット オハラを演じたのが
ヴィヴィアン リーさんです。
ヴィヴィアン リーさんはアカデミー賞主演女優賞を受賞し、一躍ハリウッドのトップ女優となりました

僕は今でも1番好きな女優さんは、中学生の時に 
テレビの映画番組で、風と共に去りぬを見て以来
ずっと、ヴィヴィアン リーさんです。
1番好きな映画音楽もタラのテーマです。

ヴィヴィアン リーさんはその後、数々の作品に出演します。シーザーとクレオパトラ、アンナカレーニナ、欲望という名の電車は代表作です。

一方、ヴィヴィアン リーさんは、風と共に去りぬの撮影前に、アカデミー賞俳優でもあり、シェイクスピア俳優でもあるローレンス オリヴィエさんと出逢い、恋に落ちます。
風と共に去りぬの撮影中、ローレンス オリヴィエさんに会いたくて仕方ないヴィヴィアン リーさんは、我慢出来なくなり、
突然、ローレンス オリビエさんに会いに行くと言い出すことが何回もあったと聞きました。そして、その度スタッフの人たちが必死にヴィヴィアン リーさんをなだめていたそうです。

ヴィヴィアン リーさんはローレンス オリビエさんと結婚しますが破綻してしまいます。
舞台での演技を酷評されたヴィヴィアン リーさんは
それからその事に悩み続け、今で言う双極性障害になってしまいます。
また、ヴィヴィアン リーさんは結核も患うこととなります。
そして結局、この結核が原因で最も名高きヒロインを演じたヴィヴィア リーさんは54歳の若さで亡くなってしまいました。
正に美人薄命だったと思います。

世紀の美女は
ヴィヴィアン リーかエリザベス テイラーか
とよく議論されました。
好みの問題だと思いますが
僕はヴィヴィアン リーさんだと思っています。
ヴィヴィアン リーさんは身長160cmで体重は
55kgで欧米の女性としては小柄な方でした
エリザベス テイラーさんの身長は157cmで、
ヴィヴィアン リーさんよりも小柄な方でした。
日本の女性と同じ位だと思います。
ヴィヴィアン リーさんは生涯を通して、2人の男性と3回結婚しています。
エリザベス テイラーさんは7人の男性と8回結婚しています。
女性の方は美女を羨ましく思うと思いますが、
美女は美女で大変だと思います。

チャップリンさんもヴィヴィアン リーさんも
1940年代に名作映画に何回か出演しています。
ですが、1939年に第二次世界大戦が始まり、
1941年の日本の真珠湾攻撃により、アメリカは
第二次世界大戦に連合国側として参加しました。
アメリカは第二次世界大戦でドイツと戦い、
太平洋戦争で日本と戦いながら、
数々の名作映画を作り続けていたことになります。
戦争一辺倒だった日本とは全然違っていました。
国力の差とはこういうものかもしれません。

次回は1950年代(昭和25年〜昭和34年)のアメリカのことについて書きたいと思っています。






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