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老眼に初めて気づいた日

歳を取ると目の症状というのはつきものである。
もちろんそんなことは知っている。
ただ、それは知識の中の話。自分事だとは思っていなかった。
それが40歳を超えたころから突然自分が老眼であることが分かった。

初めて気づいたときにはけっこう衝撃だった。
えっ、自分が?
という感じ。

世間では年と共に老いていくのが当たり前だが、自分と自分の親だけは老いていく気がしていなかった。
自分も例外ではないんだというのを最初に気づかされたのが、まさしくその老眼だった。

手の薬指の爪の横がささくれ立っていることが気になって、しっかり見ようとしたら小さすぎてよく見えない。
なので近づけて見たら、今度はぼやけて焦点が合わない。
再び遠ざけると焦点は合うのだが小さすぎて見えない。
なんともイライラしてしまう状況である。

この「近づけるとぼやけて見えずらい」というのが、私の記憶では人生初めての経験だった。
これが老眼というものかと初めて気づき、自分も老いていくんだなぁと実感した。

それからすでに25年もたち、今では書類に自分の住所を書く時などは老眼鏡がなければ自分の書いている字がほとんど見えていない。なんとなく勘で書いている。
もう日常生活に老眼鏡は欠かせなくなっている。

私は面倒くさがりなので、老眼鏡は10個くらい持っている。
各部屋、各バッグ、どこにでも置いている。
こんなことは若いころには想像すらしなかった。

努力だけではどうにもならない現実が、誰にでも必ずやってくる。
事実は事実として素直に受け止めよう。
そしてその事実にどうにかして抗いたい自分の感情も認めてあげよう。
その上でどうすることが自分が納得するのかをしっかり考えることが必要だと思う。

私の場合は老眼自体を治す方法は見つからないので、老眼鏡を必要な場所全部に用意しておくという方法を取った。
だが努力で何とかなりそうなものは努力して自分が納得できるところまで頑張ってみたいと思っている。
どうにも諦めの悪い人間だなぁと自分でも思っている。
だが納得のいく人生というのが私の目指している人生なので、簡単に諦めたくはない。

これからいろんなことにどんどん直面していくんだろうなぁと思いながらも、その一つひとつに自分が挑戦していく姿を想像すると、それはそれで楽しみでもある。
老いというのはそんな心の余裕も作ってくれるんだなぁと思う今日この頃である。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も笑顔あふれる一日をお過ごしください。


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