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不登校生徒の家庭教師になりました#2~帰国子女のLくん編~

序章: 出会い

今回の生徒:Lくん
ドイツからの帰国子女。ハーフ。日本語がうまく話せない、聞き取れない。読むことは多少できる。数学と英語は得意。ドイツでは1番成績の良いクラスにいた。(ドイツは成績でクラス分けされるそうです)

中学2年生のLくんと初めて出会ったのは、Lくんがドイツから帰国して2か月がたった4月。彼の笑顔とは裏腹に、日本語の会話があまり理解できていないという不安が感じられました。1か月前から大手個別指導塾に通っていたものの、「日本語ができなすぎて対応できない」という理由で辞めることになり、私が彼を担当する家庭教師となったのです。そしてこれはおそらくですが、「日本語で授業できない」という一言が彼の心に深い傷を残していました。

第1章: 苦手科目との向き合い方

彼は特に国語と社会が苦手でした。もちろんそれは、Lくんの日本語能力がまだ未熟なためです。国語や社会に立ち向かうため、私たちは少しずつアプローチを変えていきました。

国語は、Lくんが好きな宇宙やゲームなどの話題を用いたり、実際のアニメを用いて日本語の文法から学習を始めました。しかし、こちらについてLくんは最初はあまり乗り気ではありませんでした。この態度が一変した出来事が後に来ますが、そちらは後述します。

社会は、世界史はドイツでも習っていたようで理解は速かったです。しかし、江戸時代などの日本史はとても苦労していました。異国の歴史ですから当然ではありますよね。そのため、江戸時代の出来事についてマンガを用いて授業をしました。イラストがあることで、Lくんも当時の日本というものを理解やすかったようです。(もちろん英語で指導していました。)


第2章: 言語の壁を乗り越える

最初は言葉の壁が厚く、英語での指導が必要でした。しかし、彼の意欲と努力によって、日本語の理解力が飛躍的に向上しました。これは指導が3か月ほど続いたある日のこと、Lくんが授業中に「Please teach me Japanese more. I want to speak Japanese.」と言いました。私は非常に驚きました。と言うのも、最初彼は「Why do I need to speak Japanese?」と言っていたからです。

後にお母様に聞いたところによると、「先生とお母さん、お父さんが日本語で話しているときに自分だけわからないのが嫌だった」とのことです。

そこでまずは英語での授業をやめ、日本語でまず話しかける。ということを実践しました。もちろん最初はわからないのですが、わからないときは英語で話し、分かるところは日本語で話す。それを繰り返していくうちに、0:10だった日本語:英語が2:8、4:6…とだんだん増えていきました。

そして1年後には、授業中には、日本語でのコミュニケーションが自然なものとなり、言語の壁を乗り越えることができました。

第3章: 学校生活への適応

Lくんは先述した通り、日本語での会話が難しく、また学校からのサポートもほぼなかったため、学校での適応に苦しみました。日本語が話せないことで友達ができないことに悩み、異なる文化や教室の雰囲気に馴染めずにいました。そのため、半年ほど不登校の状態が続いていました。

しかし、卓球部への参加がきっかけとなり、彼は新しい友達との絆を築いていきました。これ以前には日本語:英語は3:7ほどでしたが、これをきっかけとして日本語が日に日に上達していきました。また、趣味のゲームを友人と共有することで、他の生徒たちとも交流が深まりました。加えて、Lくんは当初学校では日本の名前を用いていたのですが、友達に自分のミドルネームを明かしたところ、「カッコいい!」と話題になり、ミドルネームを少しもじった「シュナ」という愛称で呼ばれるようになったようです。

結び: 成功への道のり

彼の成長は顕著で、最終的には国際色豊かな私立高校への合格を果たしました。異なる言語と文化を抱えながらも、彼の頭の良さと努力が光り、学び舎としての学校生活を充実させていきました。みなさんには、逆境に立ち向かう姿勢と、異なるバックグラウンドを持つ仲間たちとの絆、そして教育がもたらす素晴らしい可能性を感じてもらえることでしょう。

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