自殺の季節

うっかり電気代を払い忘れてしまい、初めて電気を止められてしまいました。
すぐに支払いには行ったのですが、携帯の充電が切れており支払った旨の電話をかけることが出来ず、シャワーを浴びずにいるわけにもいかないので仕方なく水風呂に入ると、去年の今頃はお金がなくてガスの開栓が出来ず11月半ばまで水風呂に入っていたことを思い出しました。

また冬がやってきます。去年の冬、わたしは自殺未遂をしました。

家出を決めたのは夏のことでした。拒食と過食嘔吐を繰り返し、大学にもバイトにも行かれなくなり、卒業の目処は立たず、借金だけが嵩んでいきました。様子のおかしくなった娘に親は心配し、顔を合わせば罵詈雑言、わたしの抑うつと無気力はどんどん酷くなり、更に親を苛立たせるという悪循環でした。

衰弱していくわたしを心配した親友が、当時交際していた男性に「プロポーズまでしておいて、助けてあげないんですか」と啖呵を切り、夏の終わりに、彼の住んでいた札幌に逃げました。それも、彼に借りたお金で。親からは男の尻を追って、後ろ足で砂をかけやがってと言われました。そう思われたくなくて、札幌以外に住みたかったけど、お金のないわたしには選択肢がなかったし、わたしがどんなに言い訳しても側から見たら親のいう通りです。ほんとうに、めちゃくちゃかっこ悪い。

彼は同棲を望んでいたけれど、それだけはどちらの親にも申し訳が立たない、と拒否し、絶対に彼を家にも泊めなかったのは今思えば正解だったように思います。一緒に住んでいたら、もっとはやく限界が来ていたはずだから。

環境が変わったことで体調も落ち着き、半年ほどは頑張って働いていたけれど、残業続きで仕事終わりにはほとんどの店が閉まっていたし、新しい生活に慣れるのに必死で、1人で過ごす休日はベッドからなかなか起き上がれず、夕方ごろやっと溜まっていた家事を片付けるとそれだけで1日が終わってしまいました。気晴らしに出かけようと彼氏を誘ってみてもデートはわたしの家でわたしの買った食材でわたしの作ったものを食べるだけで、いつもいつも知らない人の愚痴ばかり聞かされたし、友達も1人も出来ず、いつまでたっても通勤経路以外に札幌に何があるかもわからず、なれない土地の冬の厳しさは確実に身体と心を蝕んでいき、再び過食嘔吐が始まりました。

通勤途中や朝の支度中に過呼吸で動けなくなることが増え、仕事も休みがちになり、月収が5万円くらいの月もありました。彼は心配してくれたけど、はやく一緒に暮らそう、というばかりで、身の回りのことひとつ自分でできない彼と一緒に暮らせば、わたしの負担が増えるだけなのは目に見えていました。

全部、嫌になってしまいました。

親との関係も、治らない病気のことも、嵩んでいく病院代も、医者からの心無い言葉も、減らない借金も、精神的に不安定な自分のダメさも、結婚生活に全く夢が持てないことも、溜まっていく支払いも、カード会社からの鳴り止まない電話も。

SNSでは同い年の子たちがまともな大人として人並みの幸せを手に入れていく様子がリアルタイムで見えます。わたしは大学も辞め、この先何がしたいかも分からず、目の前のこともまともにこなせない。
穀潰しと言われるのが辛くて実家から逃げたのに、いつか養うから、身体が辛ければ仕事も家事もしなくていいから、という彼の言葉に甘えて結婚しようだなんて、わたしは一生誰かの寄生虫として生きるしかないのか、と思いました。結婚て誰かに人生をぶん投げてどうにかしてもらう手段では絶対ないと思うし。そんなの、相手がいくら望んだって、しない方がいいはずです。

ただ毎日を無為に過ごしているだけで、生きているというだけでお金がかかる、死んでいるより酷い。死ねば借金は残るけど、この先生きてかける迷惑と比べればずっとマシかもしれない。そう思って、わたしはお酒を煽り、外で眠り、死のうと決めました。今冷静に考えるとそんな簡単に死ねるかよ、と思うのですが、死ぬつもりなんてなかったように見せかけて死にたかったのです。深夜のスーパーでお酒を買っている時にはそれで本当に死ねるつもりだったのです。

お酒を飲み終わると体調不良と相俟って嘔吐が止まらなくなってしまいました。それでも死にたかったわたしは、窓を開けるのですが、眠くなるどころか胃が痙攣し始めました。それからは、あまり覚えていないのですが、彼氏に電話した記憶があります。今すぐ行く、といった彼は結局朝まで来ませんでした。

電話をしてから約10時間後に現れた彼はうずくまるわたしを見て、生きててよかった〜と言うと会社に遅刻の連絡を入れ、「なんか買ってくる?」とは聞いてくれたけど、結局買いに行くそぶりも見せないまま胃痙攣が止まらないわたしの横でいびきをかき始め、わたしは「温かいお茶が飲みたいな」と思いながら彼を起こし、「お願いだからわたしを理由に会社をサボらないで。はやく会社に行って。」とだけ言いました。

中学生の時にも、死のうとして薬を大量に服薬したことが何度かありました。誰に気づかれることもなく、毎回何事もなく目が覚め、ある日手首の傷を見つけた親に「死に損ない」と言われて殴られただけでした。わたしはいつまでたっても死に損ないのままで、何にも成長してないな、と思い、自分が情けなくて、彼が帰った後にひとりで泣きました。

その後も色々あり婚約破棄に至るのですが、今に至るまで体調が良くなったとか、借金が減ったとか、そういう訳でもなく、未だに過食嘔吐もするし、全然職を転々としまくり、履歴書が汚すぎてついには2ヶ月くらい無職になり、毎日のように過呼吸を起こしては就職活動もままならない時期などもあり、諸々の支払いは溜まりまくり、全然事態は好転してないとも言えるのですが、婚約破棄と時期を同じくして札幌のお笑いや演劇と出会い、それなりに楽しいことも増え、友達も新しい彼氏も出来たし、わたしなんかでも生きててもいいのかもなって思える日が時々あります。

病気がなければ、とか、親に卒業式も見せてあげられなかったのに結婚式まで…(親が高齢なのでもしかしたら、もう見せられないかもしれない)とか、色々思うことはもちろんたくさんあるけれど、札幌という街も札幌で出会った人たちも大好きだから、全部意味があると信じて生きるしかないな、という気持ちを持てるようになったのは大きな成長です。
そんな風に成長させてくれた大切な人とも、札幌に来ていなければ出会えなかった訳です。

以前は何か楽しいことがあっても、誰かに「しあわせだね」とか「しあわせ?」とか聞かれるたびに「毎日辛いし、将来のことも不安だし、明日が来るのも嫌で嫌で仕方がないのに、ちょっと気が紛れたくらいでしあわせとか言えない…」とモヤモヤしていたけれど、最近は辛いことがあっても、わたしは人に恵まれているし、とてもしあわせだな、と素直に思えるようになりました。こんなに前向きな気持ちで過ごせているのは生まれて初めてかもしれません。

以前に比べて、明日が来るのが怖いと思うことが少しだけ減りました。身体のことや経歴で諦めてたことも少しずつでも取り組んでみたいと思えるようになったし、まだ行ったことのない北海道の観光地とか、レストランとか、道外だって、海外だって、たくさん行ってみたいし、大喜利だってもっとやりたいし、ライブも出たいし見たいし、わたし、今のところまだ死にたくないです。

まさかわたしを殺しかけた北海道が、わたしをこんなに成長させてくれるとは、まさに試される大地、おそるべしです。
季節の変わり目、わたしは性懲りも無く風邪をひいて丸3日も寝込み、その後1週間も咳鼻水が治りませんが、皆さまもどうぞご自愛くださいね。今年こそは冬季うつにかからないよう、二度と水風呂には入らないで、めちゃくちゃあったかく過ごします。見とけよ、絶対に幸せになって、幸せにしてやるからな。

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