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異世界で砂場

 異世界って、どう在るんだろう。
 例えば、アメリカとかフランスみたいに、現実と地続きで、どこかに在るのだろうか?
 外国へは、飛行機に乗れば行ける。
 なら、異世界も、そうして何かしらの手段を用いれば、行けてしまうのだろうか?
 なら、異世界を観光するとか、遊びに行くのも、アリだろうか?
 それとも、そんな俺の常識なんかとは関係ない、もっと考えられないような感じで、異世界は在るのだろうか?
 そんなことをモヤモヤ考えるのは、俺が暇だから、というのが理由としては大きいだろう。
 俺は、仕事を辞めた、正確にはクビになった男で、でもまだ若いから、頼れるところもあるし、なんとかなると思ってる。
 毎日時間はたくさんあって、貯金なんかもまだある程度はあって、昔から頼ってる就労移行センターに色々任せてて、だから、結構楽観的でもいいんじゃないって感じなのだ。
 季節は春で、涼しい時期だから、そんなに金を使わなくても、散歩したり、公園でのんびりしたり、図書館で借りた本を読んでるだけで、いい暇潰しができる。
 後は、異世界について考えたり。
 異世界って、よく若者の現実逃避だとか言われたりするけど、実際に異世界は、現実逃避になるのか?
 俺もそんなに異世界について詳しいわけではないが、どうやら異世界には、ネットやスマホはないみたいだし、コンビニもない、作品によっては、モンスターなどが襲ってきて、そいつらと戦わないといけなかったりするみたいで、結構大変そうなのだ。
 俺が思う現実逃避というのは、もっと気楽に落ち着ける場所へ行く、という感じだから、なら、それに異世界ってあまり向かないのでは、と思う。
 無理して戦わないといけない?
 頑張って英雄にならないといけない?
 そんな世界にわざわざ行きたいか?
 もっと落ち着いて過ごせばいいじゃないか?
 俺みたいに。
 いや、でも、それも違うのかな?
 現実逃避というのは、こちらの解釈違いで、本当は、若者というのは、異世界でもなんでも、戦ったり、頑張ったりするのが好きなのかもしれない。
 でも、そうした欲求を、現実では満たすことができなくて、だから、異世界に行きたいのかもしれない。
 なるほど、なら、それは現実逃避か?
 現実で戦えないから、異世界で戦う。
 なら、それはやっぱり現実逃避か。
 でも、なら、どうしてそうした若者たちは、現実で戦わないんだろう?
 リスクが高いから?
 やっぱり怖いから?
 などなど、色々考えるんだけど、別にだからどうというわけじゃない。
 俺は、春の日差しがふりそそぐ暖かい公園で、缶ジュース片手にベンチで座りだらけてるただの男で、俺の頭のなかで展開する異世界の話とは無関係に、車が行き交い、人々は慌ただしく歩き回り、公園では親子連れが砂場とかで遊んでる。
 俺はそれらをボンヤリ眺めながら、そういえば今日は平日だったなと思う。
 平日。
 普通の人は、働いてる日だ。
 俺は無職だから、こうしてだらけてるんだけど、そんな俺からしたら、みんなとても忙しそうで、大変だなあ、と思うのと同時に、果たして、俺もまたこんなふうに働けるのだろうかと、少し怖くなる。

 戦わないといけないのか?

 俺からすると、公園の外が、もう異世界だ。
 目の前の砂場で、幼児と母親が遊んでる。
 幼児は、ただ砂があるだけで、なんか満足げだし、それを見守る母親も、穏やかな表情だ。
 これでいいじゃないか、と俺は思う。
 穏やかで、のんびりして、暖かい。
 公園の外になんか行かずに、ずっとこのままいたらいいのに。
 そんなことを思いながら、砂場で遊ぶ幼児を見ているけど、でも、どうせこの子も大きくなって、勉強をして、働くようになるんだろう。
 そうなるのは、わかってる。
 ずっと、安住してはいられない。
 公園の外は異世界みたいだが、平日に働いてる人たちからすると、逆にこちらが異世界だろう。
 お互い、変な世界にいるし、ずっとそこに居続けるのは難しい。
 働き続けるのも、無職であり続けるのも。
 だからこそ、お互いの世界が必要だろう。
 現実も、異世界も。
 さて、と俺は立ち上がる。
 もう一度、公園の外で頑張ってみようと思う。
 どちらも同じような世界で、もしダメだったら、また公園に戻ってくればいい。

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