見出し画像

「デリカシー」:イメージ・ファッション&プレゼンスのコンサルタントに不可欠な、センスよりも大事な素養

先日行った、とある講演の最後、質疑応答の際に聴講者のお一人からこんなリクエストが上がった。

「参加者の中で、"この人もっとこうすると良いのに”という人を、変身させてください」というようなニュアンスのこと。

それをやるように元から仕込んであったり、「そういうことをします」という前提の講演であれば良いでしょう。もしくは、誰か「自分をサンプルに使ってください」という方がいらして、なおかつ、その人が最適なサンプルであれば、参加者全員にとって共有できる改善点の提案ができるので、簡単なメイクオーバーを行うのもやぶさかではない。

だけど、筆者が誰かを指名してファッション・チェック的なことをするのは、絶対にやってはいけないことだと昔から思っていて、きちんと理由を述べてお断りするようにしている。

(随分昔、まだ筆者がかなり若い時、とある大きな講演会に登壇させていただいた時のこと。「参加者を引っ張り上げての改善アドバイスはやりませんので、ご理解ください」と承諾を得ていたにもかかわらず、某有名な司会者がそれを無視して参加者を引っ張り上げてしまった。何もせずに席に戻って頂く訳にもいかず、当たり障りのないアドバイスと、褒められる部分を見つけて必死でその場を切り向けた記憶が今でも蘇ります。自分のパフォーマンスを優先した司会者としてあるまじき行為をしたその人、未だにおいでになりますが)

その理由は、いくつかあるのだが、もっとも大きな理由がこれ。

いきなり何かを指摘された人は、自分でそんなこと夢にも思っていない。いきなり言われたことを受け入れるだけの気持ちの余裕など、その人にあるわけない。そこにどれだけの褒め言葉を加えていたとしても、否定語は袈裟懸けの切り傷かはたまた体に深く突き刺さったナイフ、その痛みとショックは、1000の褒め言葉をも一瞬にして消す威力。それも、専門家の言葉は、致命傷を負わせるのに値するのだ。

聞きたいと言ってもいないのに一方的に言うなど、暴力以外の何物でもない。なぜなら、その人は何の不自由もなく、そのままで幸せに暮らしていたのだから。その平和な気持ちも状況も、専門家だからといって壊す権利はない。どんなに価値あるアドバイスも、相手が欲しくない場合はゴミ以下、否、悪でさえある。

それに、聞きたくなかったことでも、聞いてしまったら元には戻せない。壊れた平和な気持ちをどうするか?その一言アドバイスをした人が「だから、もっと良くなるアドバイスをしてあげる」と言っても、相手は二度と耳を傾けないだろう。何故なら、自分の気持ちを傷つけた人を信用できるほど、人間簡単じゃないからだ。もっとひどいことを言われるのでは?と構えてしまう、それが人間の心理だ。

もし、筆者が講演のQ&A時、誰かにサンプルになってもらって改善法を提案することになった場合や、質問を受けてアドバイスをする場合、その人が希望していることが大前提。その上で、筆者が提供するアドバイスが、その人の今までの安心を脅かさないことが必須。そして、どういう理由でアドバイスが欲しいのかその真意を聞き出し、その上で相互無理のない範囲での導入部分のアドバイスをする。その際、相手の内面個性や考え方を否定することなく、理論的に相手の理解と納得を促す形で行うこと。

さらに重要なのは、身体的特徴やサイズに起因するようなことを直接的に言わないこと。イメージやファッションという、その人の身体的特徴にも言及したアドバイスを行うことになるコンサルティングを行う人にとっては「鉄則中の鉄則」。

これは、筆者がNYのパーソンズ美術大学でイメージコンサルティングを勉強していた時、先生から口すっぱく言われ、今でもそれを思い出す。サイズに関しては、特に横サイズ(それに関連すること)は、本人の許可なく言わない、そして計らない。相談事項がそこであれば、それでも言葉を上手に選んで、コミュニケーションをとる。これ、日本人相手だから遠回しな言い方というのではなく、ニューヨークで受けたトレーニング。そこで筆者は、イメージやファッションのコンサルタントとして、そしてプロフェッショナルとしてクライアントに接する際に、忘れてはならない「デリカシー」を叩き込まれた。

きちんと言って差し上げることと、相手の気持ちを考えず、許可も取らずにはっきり言うのは意味が違う。「良かれと思って」は、相手が良しとしなければ「良くない」ことなのだ。全ては受けての評価で決まる。優しい気持ち、親切心?だったら相手の気持ちを先に確認することこそ優しさであり親切。言わない親切、放っておく優しさを望む人だってたくさんいるのだ。

それにプロであれば、発言したことに対する責任を持たなくてはならない。聞きたくない人や、クライアントとしての契約がなされていない人に何かを言って、気持ちを乱したりでもしたら、その行為は通り魔と一緒なのだから。

こんな風に言っている筆者だが、では、どうにも冴えない人がいたとして、その人が幸せで、今のプレゼンスやアピアランスに満足しているのであれば、一切何も言わないのか?というと、そうじゃない場合が一つだけある。

それは、その人及びその人のプレゼンスやアピアランスが、筆者の仕事に関係してくる場合は、きちんと伝える。

こちらがアレンジして、誰かに紹介し会うようセッティングした時や、仕事のプロジェクトで関わってもらい、一緒にいる人のマネジメントも筆者の責任になる場合がそれに該当する。これらはあくまで個人感情ではなく、相互に役割と目的遂行、仕事の文脈であり、手段。なので、極端な話、どなたもプライベートはお好きになされば良いと思っている。

「いろいろな人の外見が気になって仕方がないでしょう?」という質問も非常に多くもらうが、実はほぼ気にならない。

この仕事を始めた最初の頃は、もう電車に乗っても見知らぬ人でも、気になって気になって仕方がなかった時期があった。でもキャリアが10年を超えた頃からだろうか、99%気にならなくなった。自分をコントロールできるようになった(エネルギーの消耗を抑えることができるようになった)のと同時に、ちょうど会社を設立した時期でもあり、他にもっと考えなくてはならないことが増えたとも言える。

なので、「どこに行っても人の格好が気になって・・・苦笑」と口にしたり書いたりする人が少なくなく、またそういう感じは“Theその道のプロ”かのように受け取る人もいるかもしれない。しかし、実は完全なるアマチュア(ファッションが趣味な方)、そして、とてもおヒマであることを自ら告白しているようなものなので、老婆心ながらよく考えた方が良いと、一言つぶやいておこうか。

冒頭に戻り、先日行った講演でのQ&A時のリクエストには、

「カクカクシカジカで、こちらから指名して誰かを変身させるようなおこがましいことはしません。だって、今のままで幸せならそれでいいでしょう?頼まれてもいないことを言われたくないのが人の心理です。このままでいいと思っているのであれば、それでいるのもその人の自由です、それを脅かす権利など誰にもないんです。でも、「何かが違う」「もっとこうありたい」など、問題意識をお持ちだったり、よりご自身のプレゼンスやアピアランスを具体的な問題解決とともに向上させることを考えていらっしゃる方は、どうぞコンサルティングを受けてください。無料でアドバイスを受けようという人、ちょっと聞きたいという方には、どれだけアドバイスを差し上げても真剣に受け取らないものです。だって、本気じゃないですから。お金を支払う、契約する、それがクライアントとコンサルタント、相互の本気と覚悟の表れであり証明です。それがあって初めて成果が出ることを、25年のコンサルタントキャリアを通して確信していますので」

と答えた。

これはまぎれもない私の本心。

いろいろな人がいて、いろいろな目的がある、どこかでなんとかしたいと思ってる人もいるだろう。だけど全ては相互理解の上に成り立っており、まずは、相手の欲しいもの、欲しい部分、欲しい状態を聞き出せる関係性になれなければ、どれだけファッションに関する情報を持っていたり、センスが良く、分析能力に長けていたとしても、それを披露する舞台にも上がれないのだ。

ましては、舞台に上がっていないのに、勝手なアドバイスをするなどという暴挙はあってはならない。

これは、筆者が弊社の国際イメージコンサルタント養成プログラム「NYEP Academy」で、技術や知識以上に大切にし、受講生にがっちり身につけてもらっていること。人を対象にするからには、デリカシーを持ってコミュニケーションを取ることは、コンサルタントとして国や人種・文化を問わず重要な心得であり、それが弊社のプログラムの強みであると自負している。

あ、そうそう、筆者が相手のアピアランスに関して何か言うであろうケースがもう一つ思い浮かんだ。それは「視覚・聴覚・触覚・嗅覚のいずれか及び幾つかにおいて公害レベル」である場合だろうか。

いや、その前に、筆者はそこから早々に退散しているか(苦笑)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?