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子供ができると漫画が終わる

漫画というのは大概、主人公が結婚するか子供ができると終わる。

NARUTOだとかBLEACHだとか、犬夜叉等がその有名な代表例だろう。

NARUTOからBORUTOのように、その子供にフォーカスを当ててストーリーが続く場合もあるが、元の漫画と主人公が変わっている時点で同一の漫画だとは言いきれない。

ジョジョの奇妙な冒険もそうだ。どのタイトルもジョースター家の子孫が主人公であり、初心者がどこから観ても漫画やアニメを追えるが、それぞれの部はほぼ別タイトルとして扱われる。

恋愛モノも大概最終回は結婚して終わる。

まあ結婚も出産も人生の区切りであるから、死亡して終わるストーリー以外では最終回として持ってきやすいし、何となく納得出来る。

しかし、その結婚or出産=最終回というストーリーの進み方がテンプレ化している故に、主人子が結婚や出産をほのめかす描写がされると、筆者は漫画の連載終了が近いのでは無いかということばかりに気が取られて、作品に集中できなくなってしまった。

今筆者がハマっている恋愛漫画でも、子供を作ろうという流れになっておりかなり不安を感じている。

別に若干子育て漫画にシフトチェンジしても構わないから連載だけは続いて欲しいと願っているものの、作家でも編集者でもない筆者には願うことしかできないのだ。


さて、そんな筆者も漫画の登場人物と同じく人間なので、しようと思えば当然結婚することも家庭を持つこともできる。

ただし、どうしても漫画オタク脳の筆者は少し怖いことがある。

それはもしも結婚をしたり家庭を持った時、自分の人生も漫画のように打ち切りになるのでは無いかという恐怖だ。

結婚はまあ交際者が家族になるだけなのでそこまで怖くは無いのだが、どうしても家庭を持つことに恐怖を感じてしまう。

よく子育て等をしている人達は、出産を通して子供のために生きるようになったという。

それはそうだ。生物として子孫を残し、その子孫が子孫を残せるようになるまで育てるのは生物として当たり前の行為で、それに尽力するのもまた遺伝子的行動だ。

しかし、その子供に尽力するという行為以上に筆者が怖いのは、名前を失うことである。

大概、子供が産まれると誰からも「ママ」「パパ」と呼ばれたり、○○ちゃんママとか呼ばれる事が増える。

夫婦によっては子育ての癖から伴侶のことをママやパパと呼ぶことも増えるだろう。

筆者は自分の誕生日や年齢をすぐに忘れる。そんな筆者が名前を呼ばれなくなったら、自分の名前を忘れそうで怖い。

名前を忘れれば、自分が何者であるのか、子供を育てる以外になんのために生きているのか分からなくなりそうで怖いのだ。

(まああと純粋に趣味が多いからというのも家庭を持つことを渋る理由だったりする。)

分からないものというのは最も恐ろしい事だ。筆者は家庭を持つということが分からないから過剰に恐れている面もある。

案ずるより産むが易しとはよく表現したものだと思う。

知見を広めるためにも、もしもこの記事を読んでいる家庭持ちの方がいたら、家庭を持つことで自身の物語は終わったのか否かという事をぜひ教えて欲しい。

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