パンチラインのような文章が書きたい

しゅんしゅしゅんです。

『アメトーーク!』で「ラップ大好き芸人」やってましたね。ラップバトルかっこいいですね。というか敬意。心底の敬意。ロジックをとおりこして、熱量をとおりこして、魂を感じるとでもいいましょうか。月並みだけど。

芸人達のトークの中でパンチラインという言葉が説明されていました。幾度となく人生で耳にはしてきたパンチラインという言葉。実は意味がよくわかっていなかったのですが、やっと知ることができました。

衝撃を与える一節

まあシンプルにそんな意味だったんですね。パワーワード的な。

ところで、僕は小説を読んで心にずどんとくる一節を書き残してたりします。ちなみにこれからご紹介するのは、浅井リョウさんの小説『何者』の中のずどんきた一節。

ギンジはツイッターに書いていた。「俺はもっともっとがんばれる」と。隆良はツイッターに書いていた。「がんばるがんばるって、それ、何のために?誰のために?」「俺は、自分の人生のために、やることをやる。目的がブレた状態でがんばりすぎたって、そんなの意味がない」と。
端月さんは言った。「がんばらなきゃ」と。それだけが真実だと、俺は思った。

本当の「がんばる」は、インターネットやSNS上のどこにも転がっていない、すぐに止まってしまう各駅停車の中で、寒すぎる二月の強すぎる暖房の中で、ぽろんと転がり落ちるものだ。
ほんとうのことが、埋もれていく。手軽に、気軽に伝えられることが増えた分、ほんとうに伝えたいことを、伝えられなくなっていく
TwitterやFacebookが流行って、みんな、短い言葉で自己紹介したり、人と会話するようになったって。だからこそ、その中でどんな言葉が選ばれているかが大切な気がするって。俺はそれは違うと思うんだ。
だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ。
だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う。
ほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、想像してあげろよ、もっと。
十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって
だってあんた、自分のツイート大好きだもんね。自分の観察と分析はサイコーに鋭いって思っているもんね。どうせ、たまに読み返したりしてるんでしょ?あんたにとってあのアカウントはあったかいおふとんみたいなもんなんだよ。精神安定剤、手放せるわけないもんね。
たまーに見知らぬ人がリツイートしてくれたりお気に入り登録してくれたりするのが気持ち良くて仕方なかったんでしょう?だからロックなんかかけない。自分の鋭い観察力を誰かに認められたくて仕方ないから
私はね、誰かのことを観察して、ひそかに笑って、それで自分が別の次元に立っているなんて錯覚したりはしない。
あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。
だから私は誰にどれだけ笑われたってインターンも海外ボランティアもアピールするし、キャリアセンターにだって通うし自分の名刺だって配る。カッコ悪い姿のまま、がむしゃらにあがく。その方法から逃げてしまったらもう、他に選択肢なんてないんだから。

いつ目にしても、くる。

どうでしょうか。『何者』をよんだこと、あらすじ、前後文脈。そんなのなくても、くるもの感じませんか。おかれた状況かんけね。秒で沈めるさ的な一節。

ああ、そうか。小説にもあるのかパンチライン。

話術で勝負する芸人さんたちは、コトバで勝負するラッパーにシンパシーを感じるのだろうし、文章を書いている人もわりとシンパシーを感じるのだと思う。

文章書いているなら。ぶっこみたい。パンチラインを。

では。

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