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地震予知は確率論の対象外

本記事では,地震の発生が確率論により予測できるかのようなメディアの報道がミスリードであることを述べる.

1. 序論

メディアお得意の,「地震の発生確率」なるナゾの数値をもちだした恐怖報道.
それにしても,NHK は大地震が大好きだねぇ……?

地震予知など当たったためしがないので,実感がわかないだろう.
日常的なところでいうと,降水確率とにたようなものだ.

降水確率は,過去のおなじような気象状況における降水の情報をもとに,統計処理により算出される.
計算には,降水確率ガイダンス(PoP)という経験則モデルが用いられる.

この降水確率がだいたい当たるように感じるのは,

  1. アメダスや気象台による気象観測が可能で,

  2. すさまじい量の気象データが蓄積されており,

  3. ぼうだいな試行回数にともない,予報があたる絶対数もおおくなる

ためだろう.

「地震の発生確率」についても,経験則で算出される点は同じだが,

  1. 地中の観測がむずかしく,なにを観測すべきかもよくわからず,

  2. 統計処理をおこなうには大地震のサンプル数がたりず,

  3. 大地震の予測はスパンがながすぎて,「何年以内に」に達するころには,もうだれも覚えていない,

と問題だらけで,そもそもあたりはずれの判定もむずかしい.
では「地震の発生確率」は,なぜ大々的に報じられているのだろう?

2. 確率論

現代の地震予知は,過去の地震のデータから,発生周期の期待値(平均値)を算出することで行われていると考えられる.

しかし,もし地震の発生周期を予測できるならば,地震は確率論の研究対象ではないということになる.
なぜならば,確率とは,起きることが偶然に支配される現象について,その起きやすさのどあいを数値であらわしたもの,と定義されるからだ.
発生周期のきまった現象は,偶然に支配される現象ではない.

もっとも,地震の発生周期なるものが,真実と異なる虚構であった場合にも,やはり確率論で扱うことはできない.
これは,地震のメカニズムが複雑すぎて,人間には定式化できていないというだけで,地震という物理現象そのものに偶然は介在せず,物理法則にしたがって起こるはずだからである.

どの目がでるのも同様に確からしいという,理想化されたサイコロと,地震とが同列に語られている現状はおかしい.

3. マスメディアのねらい

では,「専門家」「科学的」のレッテルつきで,地震予知を確率論にミスリードするような報道がたえないのはなぜか?

これについて私は,

  1. 視聴者に恐怖をあたえることによる消費行動の促進と,

  2. ショック・ドクトリンにさきだつ予測プログラミング

のためだと考える.

1.消費行動の促進は,心理学用語の恐怖管理理論としてしられる.
これによれば,人は死の恐怖を感じたさい,その不安を抑制するために自尊心を高めようとするとされる.
ここに CM などのきっかけをあたえることで,購買意欲をひきたてることができると考えられている.

NHK はスポンサー企業の CM がないからそれは無関係だという向きもあろうが,CM にかぎらず,おいしそうな食べ物やさりげなく映った商品など,番組中でもステマ的に消費行動へといざなうことができる.

2.ショック・ドクトリンの予測プログラミングは,権力者がおおきな社会変革を計画的に実行するときに用いられるとされる手法である.

ショック・ドクトリン(shock doctrine, 惨事便乗型資本主義):
大惨事につけ込んで実施される,過激な市場原理主義改革・社会変革.

予測プログラミング(predictive programming):
マスメディアを通じて,あらかじめ将来の計画をさりげなく予告しておくこと.
常識に反する大きな変革を起こす際などに,大衆にその現実を受け容れやすくさせる下準備として行われる.

どちらも,資本家によるマスメディアを用いた大衆🐑のマインドコントロールといえる.

大衆🐑のおおくは,マスメディアがわれわれに真実を報道するために活動する正義のヒーローと信じている.
しかし,その根拠のない信奉は,ただの宗教である.

メディアは企業であり,企業は資本主義の原理にのっとって活動している.
資本主義における善は資本を増やすことだ.
もし,日本人のたすけあいの精神のような道徳的な善意で活動していれば,まちのお店屋さんになるか,たちまち経営破綻にいたるだろう.

けっきょく,地震予知にかぎらず,マスメディアをみないということが最善の選択だ.
ニュースをみなければいけないなど,メディア側のいいぶんであり,人がいきるうえでは完全に不要だ.

あたってもはずれてもノーダメな地震予知に恐怖して,メディアのてのひらのうえで踊らされている暇があったら,もっと楽しいことに目を向けるべきだ.
人は,自分と家族とがしあわせに生きることに全力をかけるのが本当だと思う.


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