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「それして何になるの?」という愚問にドロップキック【じんせい論】

小説を書いている。

YouTubeをやっている。

そう言うと、時々こんな質問に遭遇する。

「それして何になるの?」

・・・いや、別に何にもなりませんけど。小説を書いたりYouTubeをやっていたりするからといって、ポケモンみたいにゴンドーがゴンドランとかになるわけでもないですし。

これはイジワルな返答で、そういう進化的な変化があるのかを聞きたいのではないのは重々承知している。彼らが聞きたいのは「それして何のメリットになるの?」ということであり、もっと言うと「それして何の金銭的なメリットになるの?」ということであり、もっともっと言うと「それして金になんのか?!おい!」ということなのである。

この手の質問は、創作とか配信などのジャンルに向けられる傾向にあるように感じている。例えば、ゴルフを始めたビジネスマンが「それして何になるの?」と聞かれる光景はあまり思い浮かばない。僕からすれば、僕に「それして何になるの?」と聞いてきた人がゴルフをやっていると知ったら、「今から全米オープンにでも出るつもりなんか?!おい!」とでも言い返したくなるけど。

でも、ゴルフはわかりやすく大人の付き合いに使えるから、ビジネスに役立つというわかりやすいメリットがあるのだろう。もちろん、純粋にゴルフが好きでやっている人のほうが断然多いのはわかっている。そう、それと一緒。小説を書いたり、Youtubeや音声配信をしていたりする人は、楽しいからやっているのだ。

いわゆる、趣味。趣味って、そういうもんだと思う。お金を生むかどうかに縛れるなんて、寂しすぎやしないだろうか。趣味は、人生を豊かにしてくれる。趣味を持てている人たちは、幸運であり、そのこと自体が素晴らしい。

創作に関して言うと、続けていくためにお金が必要というのは、ある種、間違いない。この意見には別に反対しない。でも、一部の優秀な作り手の叱咤を込めたエールが独り歩きし、お金にならないものはまるで意味がないかのように扱われるのは違うと思う。

僕は小説を書いているし、仲の良い友だちとYoutubeをしたり音声配信をしたりしている。小説のほうは多少の売上はあるけど微々たるものだし、Youtubeや音声配信については収益はない。けれど、どれも楽しく、自分にとって大切な時間だと思っている。脳が切り替わって心をメンテナンスできるし、充足感のようなものに満たされることもある。

「それして何になるの?」との質問に無理やり答えるのであれば、「自分のためになる」というのが僕の回答だ。だからこそ、書いた小説を読んでくれて「おもしろい」と言ってくれたり、YouTubeや音声配信をわざわざ視聴しに来てくれてコメントくれたりする人たちの存在が、ありがたいし大切なのである。

創作や配信などを楽しみながらやっている人に対して、ニヤニヤしながら「それして何になるの?」との愚問をぶつけて来るようなしょうもない奴には、心の中でドロップキックかますくらいがちょうどいいのだ。

さて、創作を楽しんでいる僕の久しぶりの新作が、来週4月6日にKindleでリリースされます。タイトルは「BAR90's」といいます。90年代の楽曲がモチーフの物語。価格は500円です。ご予約をお待ちしております。

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