文学の敗北というものは、人類滅亡まではないと言う可能性

芥川龍之介が自裁した時、敗北の文学、などと言われましたが、現在でも新しい文学は生まれています。言ってしまえば、文学の敗北というものは、人類滅亡まではない、という感じです。

そのことを、如実に言っているのは、小林秀雄と埴谷雄高だけだと思っています。両者の著書を読んで頂ければ分かると思いますが、所謂、無限というものが、人類滅亡まで、文学にはあるんです。

文学は、執筆者が死んでも、文字として残ります。象形文字などが、それを標榜していると思います。つまり、その文字を人類の最後の人が読んだ時まで、文学は敗北しないと考えます。

小林秀雄の「様々なる意匠」や、埴谷雄高の文学論集など読んで、上記した結果に、自己内で至りました。そもそもが、人類は、文学が敗北することなど、望んでいません。高度な会話というツールは、必要不可欠です。

そのツールの原石となっているのが、文学に内包されている、言葉というものだろうからです。何も難しいことではなく、はい、とか、いいえ、くらいでも、精神の言葉は、互いを知ることが出来るはずです。

文学の敗北というものは、人類滅亡まではない。自分は、芥川龍之介を研究し、突き詰めた結果、小林秀雄と埴谷雄高に、納得させられたので、この様な文章を、書くことが出来たと、感謝しています。

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