見出し画像

映画:さがす

※本編に触れる内容がございます。

原田智(佐藤二朗)は、中学生の娘・楓(伊東蒼)と大阪の下町で暮らしていた。ある日、彼は娘の楓に指名手配中の連続殺人犯を目撃したと告げ、その翌朝突然姿を消す。警察は本腰を入れて捜索してくれず、楓は自分の力で父を捜して歩く。ようやく日雇い現場に父親の名前を発見して訪ねて行くと、そこには全くの別人の若い男性がいた。

Yahoo!映画より

想像を超えてきたなあという感想。

上映期間を逃し落ち込んでいたもののアマプラにて配信開始ということで早速鑑賞。
今まで邦画では罪の声をプッシュしてきたけれどこちらもプッシュ作品になる予感。
ポン・ジュノ監督の助監督を務めたことがあるという情報は後から知ったのだけれどああやっぱりなという雰囲気の作品。

娘・楓のさがした父とは誰だったのか。
さがした父は見つかったのか。

前半どうしようもない人間ながらもなんだか憎めずいい人な印象を受ける父・原田智。けれどこの印象は後半に少しずつ変わってしまった。
名無しによる影響なのか、元々あった性質が暴かれていったのかはわからないが楓のさがした父は本当に彼だったのか。

そもそも、人をさがすってなんだろう。
もしも私が失踪したとしてさがす人間がいたらあらゆる人から私の情報を得て足取りをつかもうとすると思うけれど、家族・友人・同僚いろんな人が私について証言するものの、全員違うことを言うんじゃないか。
あのときああだった、あの人はこうだった、あれが好きだからあそこにいるんじゃないか。みんなバラバラのことを。

みんな自分の中の何かを通して人を見ると思う。それは理想であったり興味のなさ故のイメージだけであったり、いろんな何か。
そう思うと私が私であることは誰にも真実はわからないし本当のことってなんなのかわからない気がする。
現に智の職場の人間は原田智が誰なのか、誰も知らなかった。
と、いうよりも誰も興味を持っていなかったと思う。
これはこの地区を舞台にした特性かとも思ったが、ああこれって現代だなあと。
お互いの関係が希薄で知っているようで知らない。現に私だって職場で自分のルーツを尋ねられたこともないし同僚に尋ねたこともない。この先も変わらないと思う。
そりゃあある日突然別人になったら気づくけれど社内にその人の名を語る別人がいたって気付かない自信がある。

いろんな意味を込めて、そう思うと私失踪した後私のまま帰って来れるんだろうか。周囲の人のそれぞれの視点の私は。

父に再会したもののそれは別人だったんじゃないか。楓のさがした父は彼じゃなかったんじゃないか。最後のシーンでそう考えさせられる。

映画の趣旨とは違うと思うけれど作品の中で様々な人物が様々なことをさがしている。私は誰かをさがす、ということについてすごく考えてしまった。

最後の卓球のシーンではいろんな感情が溢れた。
球がないままラリーをしてサイレンが鳴り響くシーン。何を表したかったのかは観た人によっていろんな解釈があると思うので意見を聞いてみたい。

全ての結末のあっけなさというか詰めの甘さというかその辺りは最初の方で見た原田智という人間な気がしてリアルさとある種の切なさを感じた。

もう少し楓と母の関係、コトが起きてからの家族間の背景があるともっと入り込めた気がするのと日本のサイバー警察あたりはもう少し優秀かな?笑という点でマイナス1。

指名手配犯のあれこれはあの事件からかな、と思う表現がちょっとずつ色んな場面であったので苦手な人は注意かも。
地上波では放送されない(できない)と思うのでアマプラにあるうちにぜひ。出演者皆の演技に圧倒された。
褒め言葉として、と強調するが登場人物たちはみんな実に不愉快さ不快さを持っていて、それぞれがしっかりと不愉快であり不快に表現されていた。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?