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映画:スタンドバイミー

※本編に触れる内容がございます。


モダン・ホラーの帝王スティーヴン・キングの非ホラー短編を基に、R・ライナーが少年時代の想い出をさわやかに描き上げた名編。オレゴンの田舎町、行方不明になった少年の死体を見つけようと、ちょっとした冒険旅行に出かける4人の少年の姿を描く。

Yahoo!映画より

観ると心がぎゅっとなる映画。

子供たちの独特の世界。
ものの見え方、温度感。

この時期にしか味わえない感情、経験できないことがあると思う。

子どもの頃ってすごく素敵な経験でもその時の目線しか物差しがないから全然特別なことじゃないようなことに感じると思う。
これはどうやってもその特別さにリアルタイムで気付くことってできないと思うけれど、大人になった時に振り返っていくつ特別な思い出があるかって考えた時、それでも意外と大人になってからも思い出せなかったりする。

私が心がぎゅっとなる理由のひとつに、上で述べたような経験に覚えがないような気がするから。
人生で通るべきだった大切な瞬間を、経験してこなかった気がするから。自分には無いもの。年収とか、いい仕事とかいい生活。そういったこれからの人生の努力とは違って幼少期はもうどんなに頑張っても手に入らない。

それが、私に言いようのない悲しさを与える。取りに行けない場所に、忘れものをしてしまったような。

でも、無いものねだりであることも事実。
隣の芝生は青いじゃないけど、人のものってよく見えるもの。思い出も。


死体を探したことはないけれど、昔私にとっての大冒険があった。

当時私は親の仕事の都合で社宅に住んでいて、同じくらいの年齢の子が何人も住んでいて毎日マンションで遊んでいた。
危ないから、マンションから出たらダメよの親の言いつけを守って。

ある時、誰が言い出したかは覚えていないけれどいつもと違うところで遊ぼうよ、と。ちょっとだけ、遠くに行こう。あの信号まで。

わらわらと駆け出した私たち。
もちろん信号までじゃ済まなかった。もうちょっと、もうちょっと。
いつも寝ているハスキー犬が駐車場で今日もダラダラと過ごしている。
両親が厳しく、小心者で肝の小さい子どもだった私は内心ビクビクしながらも同じくらい非日常にドキドキしていた。
今みたいにスマホなんてなかった。携帯電話すら持ってなかったし、所持金だって1円も無かった。
道がわからなくなったらもう帰ってこれない。みんなでひとつずつ通ってきた道の道しるべを声に出して覚えた。
「星が笑ってる看板」
これが信号の先で一番最初に目印にしたもの。
角を曲がって、曲がって、また曲がって坂を登って。
気付くとまったく知らない町だった。
ランドセルを背負った自分たちよりお兄さんお姉さんが歩いている。
知らないマンションの公園の時計がもうすぐ16時を指そうとしていた。ここはどこだろう。門限は17時だ。何分歩いてきたんだっけ。マンションで遊んでたはずの私たちがいないことに親は気付いただろうか。

お腹の底の方がきゅっとなったのを覚えてる。でもそんな私をよそにみんなは前に走っていく。
アスファルトに、ビー玉が埋まった道だった。こんな大冒険、もう二度と無いと思った私はどうしても記念にそのビー玉が欲しくって、カリ、とアスファルトを引っ掻いてみたけど当然掘り起こすことはできなくってビー玉はずっとそこに埋まったままヘンゼルとグレーテルのパンくずみたいに道を示していた。
ビー玉に気を取られて遅れを取っていたことにも気付かないほど、しばらく私はカリカリとアスファルトを引っ掻いていた。

その後、フェンスの立てかけられた大きな傾斜のある場所に辿り着いた。
結論から言うと、大きいグラウンドの背がぐっと傾斜になった山のようなただの公園だったのだけれど、裏側に辿り着いてしまった身体の小さな私たちは崖だ!山だ!と騒ぎながら傾斜を下る事にした。
当時は本当に山だと思っていて、遭難したに違いないと私は泣きそうになった。
ついさっきまでマンションがあって、コンクリートの道路から入ってきたのに。
子どもの私には山に突然迷い込んだ状況でしかなかった。
急な傾斜にみんなで手を繋いで、転んで、泣いて下へ下へ。やっぱりそうだ、遭難してしまった。マンションにいればよかったんだ。もう帰れない。お母さんに会えないかもしれない。もう何が何だかわからなくなってきて、アンパンマンで見た風向きを確認する仕草をやってみたりした。どっちからどんな風が吹いたかなんて当然分かるわけがなかったけれど、これで大丈夫!とみんなを励ました。
学校で毎日歌っていたbelieveを泣きながら歌った。
そうこうしていると、グラウンドがある!と誰かが叫んで転がるように更に下を目指した。
ボール遊びをしている人。犬の散歩をしている人。普通の公園だった。
泥だらけの私たちに大人が声をかけてくれて、口々に山から来たことを告げた。
遭難したの!山でね。転んでね。風向きをみたよ!
裏から来ちゃったんだね、帰りはあそこから出るんだよ。と本来の入り口を指さされた。

少しの間グラウンドで遊んだあと、言われた通りそこから出るとなんてことのない、マンションや車の走る道路で、遭難なんてしてなかった。
帰らなきゃ!怒られる!と小心者の私がついに根を上げてみんなでわらわらと駆け出した。
目印覚えてる?こっちまっすぐだよ!と声を掛け合って。
ビー玉の道を走って、ランドセルのお姉さんが歩いていた公園を通って、よくもこんなにどこにでもあるものを目印にしたなと今なら呆れる止マレの看板を曲がって。

汗だくになって。
道は合ってるんだろうか。こんなに遠かったっけ。
不安に涙が出てきた。走って、走って。

笑った星が私たちを出迎えた。

帰ってきた、知ってる道だ。安心から突然余裕が出来て口々に今日起きたことがどれだけすごかったか語り合いながら笑った星を追い越して、最初の目的地だった信号機を追い越して、いつも寝てるばっかりのハスキー犬がいる家を追い越して。

「ただいま!」

今はもう当時の友人とは連絡先もわからないし、疎遠になってしまってどこにいるかもわからない。大人になってから調べても公園の名前もわからなかったし、ビー玉の道も見つけられなかった。
死体も銃も、上級生の暴力に立ち向かうことも気車も無い。

それでもあれが、私にとっての1番のstand by meで、忘れられない冒険だったことをいつもこの映画で思い出す。

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