1. この記事は何のため?
近頃「物を論じる」ということにハマり始めた私であるが、そのときによく迷うことがある:話をどう結論まで持っていこうか?
そういうときに私の頭におぼろげに浮かぶことは「帰納法ベースで持っていこうか、それとも演繹法ベースで持っていこうか」ということである。しかし、実際に私はこれらの論理構造について適当なイメージしかないし、「帰納?演繹?」という認識の人も結構多いかもしれない。
本稿は、高校倫理でも近代西欧哲学での三大論理構造とされている帰納法、演繹法、弁証法のまとめであり、私が今後物書きをしていく上での備忘録であり、研究方法についての考察(メタ研究)である。
↓前稿
2. 先行研究?―高校倫理のおさらい―
本稿を書く前に、私はまず高校倫理の教科書を本棚から引っ張り出し、一通り読み直した。すると、まずこのことがわかった:近代西欧哲学では、帰納法・演繹法・弁証法が、哲学者たちが使用した論理構造であったらしい。
日本の高校倫理の教科書に登場するくらいだから、これらは推論方法として基礎的なものなのだろう。
3. 帰納法
フランシス・ベーコン
では、ここからはそれぞれの方法について詳しく探っていこう。帰納法的考え自体はおそらく有史以来存在していただろうが(古代ギリシアのアリストテレスも帰納法について記している)、近代的な帰納法を確立したのがフランシス・ベーコン(1561~1626)である。
らしい。彼は、単純に事実を枚挙するだけの「単純枚挙」的帰納法(アリストテレスのような)を、いくつかの事実から法則を立てて、それらを結びつけることにより、単純枚挙的な帰納法より確実性の高い近代的な帰納法を確立した。
具体例―過去記事―
ここで、帰納法の例として、前回の拙著「『調べ学習』と『研究』の違い」を挙げたいと思う。
この記事で、私は「調べ学習」と「研究」の違いについて、自由研究や論文のような具体例を数個分析して調べた。
言い換えれば、私はいくつかの研究の例を見て、共通点や相違点を見出すという(単純枚挙的になるが)帰納法的アプローチで、「『調べ学習』と『研究』の違い」という命題に答えていたのである。この記事は帰納法の一例と言えるだろう。
4. 演繹法
ルネ・デカルト
そんな帰納法と対称的に扱われるのが演繹法である。近代西欧哲学において、演繹法を重視したのがルネ・デカルト(1596~1650)である。デカルトといえば一番有名なのは「我思う、ゆえに我あり」という引用句であろう。
上記引用にあるように、演繹法とは、ある否定できない原理を出発点として、物事を証明する方法である。デカルトは、少しでも疑えることはすべて疑うべきという方法的懐疑の立場に立った。すべてを疑う中で、「何かを疑う自分の自我」自身はその存在を否定できないという結論に至った彼は、「我思う故に我あり」という引用句を残した。彼は、「我」という否定できない原理を出発点とする演繹法を用いた。
具体例―チェバの定理―
数学を愛したデカルトが演繹法が用いたのは偶然ではない。演繹法は、数学における証明において最も一般的な手法である。
高校数学を経験した人間であれば、一度は上のような問題を解いたことがあるだろう。上の回答では、「チェバの定理」を「否定できない原理」とした上で証明を進めている。このように、数学は演繹法の好例である。
5. 弁証法
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831)は「近代哲学の完成者」と知られる人物であり、弁証法の体系化が彼の功績の一つである。
弁証法とは、要するに「対立する2つの概念が合わさることにより、より高位の概念が生まれる」という考え方である。より詳しく言えば、もともとあった概念(正)に、それに反対する概念(反)が生じ、「正」が「反」を取り込むことにより新たな概念(合)が生まれるということだ。
具体例―フランス革命―
この多少難解な弁証法をどう理解すれば良いのだろうか。一つの例として、フランス革命を用いることにする。フランス革命の中で、フランスの政体は「王政→立憲君主制→共和制→帝政」というように変化していった。それぞれの変化の原因を説明するときに、弁証法を用いることができる。例えば、王政が立憲君主制に変化した(1791年憲法)のは、身分制のような旧制度アンシャンレジーム(正)に対し、身分制に反対する革命(反)が発生し、旧制度が革命の精神を一部受け入れて立憲君主制が成立した(合)というように説明できる。立憲君主制から共和制の変化は、「反」に「革命の先鋭化(国王処刑)」を代入すればいいし、共和制から帝政への変化については、「恐怖政治(ロベスピエール)」を代入すればいい。
6. この記事はどう役立つのか
今回の記事では、近代西洋哲学における代表的な思考方法である帰納法、演繹法、弁証法について、それぞれにおける代表的な人物や具体例を交えて紹介した。備忘録である本稿の意義として、次のことが言えるだろう:何かを論じる際に、帰納法、演繹法、弁証法のようなアプローチを体系化しておくことは有用ではないだろうか。議論の展開のフォーマットを知っていれば、数学の公式のように代入するだけで答えを得ることができる。本などを読むときにこれらのフォーマットを当てはめて、まとめてみるのもより良い理解のために良いかもしれない。みなさんが何かを読んだり書いたりするときに、少しでも本稿が助けになれば幸いである。