備忘録 あなたはその問いに「どう」答えるのか?ー帰納・演繹法と弁証法ー

1. この記事は何のため?

 近頃「物を論じる」ということにハマり始めた私であるが、そのときによく迷うことがある:話をどう結論まで持っていこうか? 
 そういうときに私の頭におぼろげに浮かぶことは「帰納法ベースで持っていこうか、それとも演繹法ベースで持っていこうか」ということである。しかし、実際に私はこれらの論理構造について適当なイメージしかないし、「帰納?演繹?」という認識の人も結構多いかもしれない。
 本稿は、高校倫理でも近代西欧哲学での三大論理構造とされている帰納法、演繹法、弁証法のまとめであり、私が今後物書きをしていく上での備忘録であり、研究方法についての考察(メタ研究)である。

↓前稿

2. 先行研究?―高校倫理のおさらい―

 本稿を書く前に、私はまず高校倫理の教科書を本棚から引っ張り出し、一通り読み直した。すると、まずこのことがわかった:近代西欧哲学では、帰納法・演繹法・弁証法が、哲学者たちが使用した論理構造であったらしい。

ベーコンが主張したような、 実験や観察からデータを集め、それをもとに一般的な理論を導き出す方法帰納法 と呼びます。
(中略)
デカルトのように、頭の中で仮説を立て、そこから論理的に結論を導き出す方法を 演繹法 といいます。

5分でわかる!近代的な世界観が構築される時代 Try it 新里 将平 先生
https://www.try-it.jp/chapters-11654/lessons-11671/point-2/#:~:text=%E5%90%88%E7%90%86%E8%AB%96%20%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%20%E4%BA%BA%E9%96%93,%E7%B5%84%E3%81%BF%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%91%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 

●ヘーゲルの思想
(中略)
弁証法は矛盾・対立する要素を統一し、より高い次元へと発展させる運動の論理である

【社会契約説/ドイツ観念論】カントとヘーゲルについて 進研ゼミ 高校講座
https://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13n0507.html

日本の高校倫理の教科書に登場するくらいだから、これらは推論方法として基礎的なものなのだろう。

3. 帰納法

フランシス・ベーコン

 では、ここからはそれぞれの方法について詳しく探っていこう。帰納法的考え自体はおそらく有史以来存在していただろうが(古代ギリシアのアリストテレスも帰納法について記している)、近代的な帰納法を確立したのがフランシス・ベーコン(1561~1626)である。

ベーコン以前の帰納法の議論にあっては、「単純枚挙による」帰納法というもののみが知られていた。だがこれでは、確実な法則はもたらしえないとベーコンは考えた。単に事実を枚挙するだけでは、そこに漏れが生じることを排除できず、したがって法則の普遍性も担保できないからだ。

ベーコンはもろもろの事象からまず一次的な法則を立て、それらを相互に結びつけることで高次の法則へと進み、さらにその法則を事実に適用することによって、その確実性を実証する手続きを考え出した。その過程で、個々の事実のうち法則の実証性に重要な役割を果たす事実を「特権的事例」として特別に取り出し、帰納法の手続きをより効率的で、確かなものにしようとした。

フランシス・ベーコン :近代的帰納法の創始者
https://philosophy.hix05.com/Renaissance/renaissance12.bacon.html

 らしい。彼は、単純に事実を枚挙するだけの「単純枚挙」的帰納法(アリストテレスのような)を、いくつかの事実から法則を立てて、それらを結びつけることにより、単純枚挙的な帰納法より確実性の高い近代的な帰納法を確立した。

帰納法の例図

具体例―過去記事―

 ここで、帰納法の例として、前回の拙著「『調べ学習』と『研究』の違い」を挙げたいと思う。

 この記事で、私は「調べ学習」と「研究」の違いについて、自由研究や論文のような具体例を数個分析して調べた。

「調べ学習」のケース 
花粉の研究 -花粉の観察と発芽及びスギ花粉の飛散調べ-
(中略)
彼女らは、自由研究の一環として、「スギ花粉がいつ飛散するのか」ということを調べた。
(中略)
「研究」のケース① 
スギ花粉症舌下免疫療法のスギ花粉多量飛散年での臨床効果と治療年数の効果への影響
(中略)
言い換えれば、上で扱った2つのケース比較から、(特にWhatやHowの問いでは)「研究」を「調べ学習」から分けるものは「何か新しい知見を生み出すこと」(その全部分が新しい知見でなくても)と言えるのではないのだろうか。この研究も、その多くが既存のデータであるが、既存のデータや実験を組み合わせて、新たな情報を得ている。また、この論文は花粉症治療への応用という社会的意義も備えている。
(中略)
「研究」のケース② 
出雲地方の化石 パート5
 しかし、この自由研究は、上で述べた研究の定義「何か新しい知見を生み出すこと」を満たしていると考える。(中略)つまり、車輪の再発明的な研究も、どこかに独自性を有していれば研究と定義できるのではないだろうか。

「調べ学習」と「研究」の違い―ケーススタディによる比較―|good_boy
https://note.com/goodboy4523/n/ne32ac882096b#62ca9fe2-401c-431c-82bf-8bc137c626b6

 言い換えれば、私はいくつかの研究の例を見て、共通点や相違点を見出すという(単純枚挙的になるが)帰納法的アプローチで、「『調べ学習』と『研究』の違い」という命題に答えていたのである。この記事は帰納法の一例と言えるだろう。

4. 演繹法

ルネ・デカルト

 そんな帰納法と対称的に扱われるのが演繹法である。近代西欧哲学において、演繹法を重視したのがルネ・デカルト(1596~1650)である。デカルトといえば一番有名なのは「我思う、ゆえに我あり」という引用句であろう。

したがい、アリストテレスにとって、論証は必然的に真であり、証明不可である原理から出発し、必然的に真である結論へと至るための、一連の演繹的なプロセスに他ならない。(中略)その最も洗練された例はエウクレイデスの『原論』に見出すことができる。
(中略)
数学研究から出発したデカルトにとって、(中略)その規範とするところは当然エウクレイデスの『原論』だったろうし、『規則論』での議論の展開の仕方も、『原論』のスタイルを模倣していると言えよう。

演繹、論証と説明 -デカルト哲学の体系の一考察 佐藤 真人
https://researchmap.jp/ms43/presentations/12061147

 上記引用にあるように、演繹法とは、ある否定できない原理を出発点として、物事を証明する方法である。デカルトは、少しでも疑えることはすべて疑うべきという方法的懐疑の立場に立った。すべてを疑う中で、「何かを疑う自分の自我」自身はその存在を否定できないという結論に至った彼は、「我思う故に我あり」という引用句を残した。彼は、「我」という否定できない原理を出発点とする演繹法を用いた。

このようにすべてを偽であると考えようとしている間も,そう考えているこの私は必然的に何ものかでなければならないことに気がついた。そして,「私は考える,ゆえに私はある」Je pense, donc je suisと いうこの真理はたいそう堅固で確実であって,懐疑論者のどんな法外な想定をもってしても揺るがしえないと認めたので,私はこの真理を私が求めていた哲学の第一原理として,ためらうことなく受け取ることができると判断した。
(注:デカルト『方法序説』(1637)より)

「思惟するもの」の実在について ― デカルト「コギト・エルゴ・スム」再考 ―
https://core.ac.uk/download/pdf/147573554.pdf
演繹法の例図

具体例―チェバの定理―

 数学を愛したデカルトが演繹法が用いたのは偶然ではない。演繹法は、数学における証明において最も一般的な手法である。

例題
上の図の △ABCにおいて,RR は辺 AB の中点.辺 ACを 2:3 に内分する点を QQ とする.BP:PC を求めよ.

回答
チェバの定理より
BP/PC⋅3/2⋅1/1=1
∴ BP/PC=23
これより
BP:PC=2:3

チェバの定理―美味しい数学
https://hiraocafe.com/note/ceva-theorem.html

 高校数学を経験した人間であれば、一度は上のような問題を解いたことがあるだろう。上の回答では、「チェバの定理」を「否定できない原理」とした上で証明を進めている。このように、数学は演繹法の好例である。

5. 弁証法

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831)は「近代哲学の完成者」と知られる人物であり、弁証法の体系化が彼の功績の一つである。

 8回目はヘーゲルです。ヘーゲルは、近代哲学、あるいは伝統的な西洋哲学を完成した人であると考えられています。したがって昔の哲学史の教科書は、最後はヘーゲルで終わるのが通例でした。いわゆる古典的な哲学の集大成をした人です。

 ヘーゲルもさまざまな著作を残しましたが、彼の哲学的な手法として重要なのは、いわゆる弁証法です。

10分でわかる「ヘーゲル」
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2199

これをあらわしたものが弁証法であり、この関係を正、反、合という三つで表した。ひとつのもの(正)があれば、そこからその生に対立するその反対(反)が生じ、この反対(反)は前者を前提とし、その内容を含むがゆえに両者が合わさったもの(合)になる。

ヘーゲルの弁証法
https://hitopedia.net/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95/

 弁証法とは、要するに「対立する2つの概念が合わさることにより、より高位の概念が生まれる」という考え方である。より詳しく言えば、もともとあった概念(正)に、それに反対する概念(反)が生じ、「正」が「反」を取り込むことにより新たな概念(合)が生まれるということだ。

具体例―フランス革命―

 この多少難解な弁証法をどう理解すれば良いのだろうか。一つの例として、フランス革命を用いることにする。フランス革命の中で、フランスの政体は「王政→立憲君主制→共和制→帝政」というように変化していった。それぞれの変化の原因を説明するときに、弁証法を用いることができる。例えば、王政が立憲君主制に変化した(1791年憲法)のは、身分制のような旧制度アンシャンレジーム(正)に対し、身分制に反対する革命(反)が発生し、旧制度が革命の精神を一部受け入れて立憲君主制が成立した(合)というように説明できる。立憲君主制から共和制の変化は、「反」に「革命の先鋭化(国王処刑)」を代入すればいいし、共和制から帝政への変化については、「恐怖政治(ロベスピエール)」を代入すればいい。

弁証法の例図

6. この記事はどう役立つのか

 今回の記事では、近代西洋哲学における代表的な思考方法である帰納法、演繹法、弁証法について、それぞれにおける代表的な人物や具体例を交えて紹介した。備忘録である本稿の意義として、次のことが言えるだろう:何かを論じる際に、帰納法、演繹法、弁証法のようなアプローチを体系化しておくことは有用ではないだろうか。議論の展開のフォーマットを知っていれば、数学の公式のように代入するだけで答えを得ることができる。本などを読むときにこれらのフォーマットを当てはめて、まとめてみるのもより良い理解のために良いかもしれない。みなさんが何かを読んだり書いたりするときに、少しでも本稿が助けになれば幸いである。


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