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冬の木立のような人だと思った。

多くの人が、疲れを晴らし、
息を抜く習慣を持つように
無論私にもそんな習慣がある。

その習慣を行うとき、
私は文字通り、「日常を切り離す」。

会話の一言ですら億劫に感じ
「日常」を象る、あらゆるものとの断絶を望む。

物語の世界に浸かって帰ってくると
なんとも言えぬような
深い虚脱感に襲われる。

そして、必ずこう思う。

「生まれた場所を間違えたと、そう信じられたらよいだろうに」と。

しんと、骨の髄まで冷えた体を慣らすように
それは、そっと熱い湯に四肢を滑り込ませる感覚に似ている。

じん、とするなんともいわれぬ感覚から一拍おいて
それは冷え切った体を一気に包み込む。
筋がほぐれ、隅々にまで沁みわたる。

ほっと吐き出した白い息は
湯気に交わり、ふっと消えた。
本のめくりながら熱いコーヒーを飲むのが好きだ。



雨の音がする。

雨の日の静けさが好きだ。

においも、音も、空気も、すべて。

あの少し感じる肌寒さの中で
食べるパンと飲み干すコーヒーに勝るものはない。

五感すべてが雨に同調していく。

そんな空間では、まさに日常は「切り離され」、
時間の感覚は雨音の中に吸い込まれて、消える。


読書という営みを通じて
物語の世界に浸るというこの行為だけは

絶対に何者にも犯されない最後の聖域だ。

ひどく厭世的な感情が鎌首をもたげ
冷ややかに、寂しげに自らの周囲を一瞥する。

「ああ、自分はこの柵(しがらみ)からは逃げられないのだろうか」

家族に、友人に、大学に、会社に、国に、世界に、人類に、地球に
所属するということへの厭わしさ。

現実はひどく複雑で、煩雑で、不細工で、小汚い。

億劫だ。煩わしい。

自分も、カザルムの王獣舎で、リランたちの寝息を聞いていたい。
夜更けに雨樋をつたう雨の音を聞きながら書物を読んでいたい。
少し冷えたファムを暖かい乳に浸して食べたい。

「生まれる世界を間違えた」

そう、思えたらどんなによいだろうか。


ただ、それはきっと驕りなのだろう。
泰麒を見送った広瀬の心に沁みた
どす黒い気落ちを味わって生きていくのだろうか。

そうして日常に溶け込んでいく自分を

冷ややかに見つめ続けていくのだろうか。


でも、きっといつか。

きっといつか。

この生を終えた後でいいから。

私はその世界に生きることは叶わぬのだろうか。

いつかきっと。

私にも、その世界を歩かせてほしい。


去りがたい余韻を残して、勢いよく私は湯をあがった。

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