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フキノトウがつなげてくれた家族の絆

日記を読み返すと、昨年は、怒涛でした。

あまりに、辛かったので、短歌を綴っておりました。

3月16日、実家へナンテンの剪定に勇気をだして、行ったときのことが忘れられません。小さな折り畳み式ハンディノコを手に入れたのがきっかけです。

丁度、今ころ、フキノトウが出始め、母が、まるで、お客を振る舞うように、小皿と、割り箸と、フキノトウの天ぷらを出してくれました。

そのくらい、距離が離れていました。

お仏壇にも手を合わせることなく、座敷にあげてもらって。自分も他人行儀でした。

茶の間にも台所にも入ることなく、心のわだかまりを消すように、ただナンテン、アジサイの剪定していただけでした。本当に短い時間でした。

母は、正直、「仏壇にも手を合わせず・・」と怒ってました。

令和4年2月26日(土)

残り2部 ひきとり送付 心つもる 雪が重くて 掘ってもつきぬ
(オットさんの追悼集は、有志の皆さまのご厚意で作られたもの)

ウクライナ情勢が、ニュースの冒頭に放送されるようになった。「幕間」(バージニアウルフ著)状態だ。

令和4年3月31日~4月2日

実家に逃げる。・・
実家は、家は家で、母の老いという重い現実が待ち受けていて・・。

令和4年4月4日(月曜日)
今日から新年度、物価上がり、色々物事が変化する。

池の水 入れ替えたりて 透明に 泥の底にて 泳ぐ魚よ

母の目の 回復いのり 池の水 入れ替えたりて 魚に託す

夢の声 オヤジとオジの 姿見て、びっくりしたが 温かいな

父の声 怒っていたが いつもの音 しだれ桜に 思い伝わる


4月8日
ピカピカの 一年生は 帰り道 ママのオンブで ランドセル背負う

4月9日
打たないと 決意ゆらいで 母の老い 見て現実を知り ワクチンへ

4月19日
ゴミ箱の あらき縫い目の 袋止め 母らしからぬ 目の具合知る

旧き友 今は有名 人になりて 白紙の日程に サインいれたり

令和5年3月
昨日の反省。母が、久方ぶりに姉家族の計らいで近場の温泉旅館泊まりをしたらしい。その時に買ったであろうお土産を、袋ごと「はい!お土産!」って差し出されるのとちがい、「これ、食べんやろう!」と、差し出されれば、オウム返しで、「一人やし・・」となってしまうようです。

それが、悲しかった。温泉旅館泊まりは、楽しかったようです。だから、母が意気揚々で、選んでくれたお土産をうけとらなかったこと、他人の気持ちを考えるゆとりがなかった。体力が落ちていたので、駅からの徒歩も、実のところすこししんどかったのが一因だった。

草取り、草かきをしただけなのに、筋肉痛、心痛がします。

午前中に、アネモネを地植えのため、私が、味付け海苔に入っている、石灰の乾燥材をため込んでいたものを、洗面器に一つずつ、封を開けてばらしていれた。母が、花壇の場所を選んで、左足を引きずりながら、クワで地面をすき、「ここに石灰をいれて・・」と。言われるがままに、石灰をばらまいた。また、すきこんで、「水を汲んできて・・」と。二つの穴に汲んできた洗面器の水をいれて、ポットの苗を移植ゴテを使い、地植えした。

その時のことは、一生わすれないだろう。

空の洗面器に、花壇の草取りをした草がいっぱいになったので、竹藪に捨てにいく。そのときに、フキノトウをみつけた。

折しも、今日は、3.11。13年前のことをふと思い出す。
そして、上の姪がよちよち歩きの頃、春の日差しをあびて、庭でお散歩する姿も。可愛かったなあ。乳母車にのせて、「小鳥さんが鳴いてるね・・」
と。


根っこからみた、フキノトウ





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