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竹林整備14・・鰹節削り器の刃を替えたら・・

今日も、オババは歯医者の日だったが、それを承知で、9時ちょい前につくようにと、でかけた。

が、8時の連続テレビ小説がやっていたので、8時過ぎについたことになる。

早速、オババ、「洗濯機が壊れた・・新しいの買わないかん、もう古いでなあ。。」

ザックをおろして、作業用ヤッケに着替え、「どれどれ・・」と。

洗濯機のドラムの底のネジが緩んでいただけなので、オヤジのドライバーをもって、ネジ閉め。完了。試しに動かしてみる。オババに操作させる。

脱水のところを押してみて、動くので、大丈夫だと思う。

ドラムの底が取れて、クルクル回っていたら、どんな賑やかな音になるだろうかと、想像しただけで、他人事ではなくなった。

次は、前回持ち込んだ鰹節削り器のカンナの刃を取り出し、替え刃と交換の作業。自分の+ドライバーを持ち込んだけど、オヤジのマグネット式ドライバーの方が、使い易かったので、それを使う。

カンナの使い方、刃の出し方は未経験。物置きに行って、適当な金づちをみつけて、カンナに張りつけてある取説シールを読みながら。コンと叩いて、コンコン、で、刃がでた。刃に装着されている、削る刃の交換。ドライバーでネジを緩め、外した。やはり10数年前のままだから、錆びていた。

新しい替え刃とネジで、カンナ刃に丁寧に装着。錆びた刃は、外水道が使える季節になったら、刃研ぎでもしよう。

カンナ刃を、装着。向きを間違えないように取説をみながら。
出過ぎもよくない、半紙1枚ぐらいが目安の厚さに。

次は、鰹節削り。取説をもう一度ゆっくり読み直して、濡らすより、「コンロで、温めると削りやすくなります。」と。オール電化なので、仕方がないから、ストーブの前かやかんの置いてある上のあたりで、炙っては、削る。

前回は、半分は粉だらけだったが、今回は、削り節らしくなった。オババも見とれて、早速、入れ物を用意。

すると、姉ちゃんがお迎えにやってくる。二人を送り出して・・。削り節をオババ用の入れ物に入れてひと段落。

聖域、裏庭のビワの木の芽摘み。動画をみて、予習しておいた。芽を3枝ぐらい残して、ハサミで切る。どうやろ、今年のビワは・・。おいしいものが実りますようにと。

シャクナゲの芽摘み。これも、シャクナゲのブログかなにかで、予習。芽がつきすぎても、立派な花は咲かなくて、かえって木に負担をかけるから、3個あったら、1個丈夫そうな枝をえらんで、残すとか。これも、ほどほどにしておいた。見つかると、怒られるからだ。

ビワの木にかかるように、用水路をはさんで、椿の大木が枝を垂らしている。枝が邪魔だなと思っても、手がとどかない。

ジブリの倉庫って、いったことないけど、納屋へ行くと、色んなものがおいてあって、大きい脚立を見つけた。脚立をよっこらしょと取り出して、一人作業だから、イスでもよかったけど、脚立の一段ぐらいにあがって、椿の枝をぎこぎこし始めた。さすがに、大木を伐り倒すことは、椿さまがお怒りになるようなので、それはやめておいた。でも、これもやりだしたら、キリががないから、すこしやってやめといた。

オババに見つかる前に、脚立撤収。見つかったら、「また、余計なことを・・」(危険)と言われるだけ。

姉ちゃんたちが帰ってきた。オババ、前下歯をいれてもらったらしい。
入れ歯の新しい容器も洗浄剤も、サービスでもらったようだ。まるで、子供のようだった。「歯」やで・・「サービス品」やで・・と。

今日は、オババか姉ちゃんの大奮発で、Tやさんのカツ丼をお持ち帰り用に頼んであげるといっていた。ソースかつ丼と、味噌カツ丼の中間の味のようで、でないというか、デミグラっぽく、ハヤシっぽいソースがカツ丼にかかって下に千切りキャベツにご飯という体裁。これが、唯一食べられるカツ丼だった。とじのカツ丼は、最後の脂っこさが苦手で、完食できない。

姉ちゃんと鰹節の話をしていて、自分は、鰹節文化砲弾をヘタな鉄砲、数うちゃあたるで、鰹節文化圏でないところもあるって、初めてしる。砲弾は、ハズレまくっていた。

まあ、知ることだけでも、勉強になった。

差し入れのカツ丼の御礼に、また鰹節を削る。

引き出しいっぱいになったところで、手を止め、タッパーにいれる。

それから、また、外仕事だったか、お掃除だったか。短時間で、色々なことをするようにしている。

「激落ちくん」の泡スプレーを持参し、オババ専用洗面台の壁が湿気で汚れていたので、お掃除。雨漏りの湿気で汚れていた壁もお掃除。新聞紙で、床を養生して、3Mのなんとかブラシというものが優れものか、激落ちくんが優れものか、よくわからないけど、今までとれなかった、カビよごれが、とれてきた。いらないタオルを借りて、拭きとる。

最後に外仕事。草かきを目につくところ、ごそごそかいた。チューリップの花壇とか、クワのような草かきで、草の根っこをゴリゴリと。丁寧さにかけるけど、採った草は、拾い集めるとか、今回はしなかった。

が、究極の最後。用水路に、折れた樋が3本と、瓦が一枚落ち込んで、落ち葉がダムのようにたまっていたので、オババに「次来たときに掃除するわ」、「古い長靴でもできるよ」の言葉におされ、長靴で、水路に入り、ダムを壊す作業。樋と瓦を拾いあげ、落ち葉をかきあげる。6分で、おしまい。

帰り仕度。オババに「交通費かかるようやけど、あっち帰るとほとんど引きこもり状態やし、買い出しも週一程度になったで、・・」「コロナ禍の真っ最中は、なんか毎日買い物に出かけてたわ・・ストレスかなあ・・どこへも行けないという・・」
「温かくなったら、お泊りでもええよ」

日帰り、直帰のほうが、沼にはまりこむと、見えるものが見えなくなってしまう危険性があるため、直行直帰を繰り返すことにする。

オババは、私が剪定した椿の花を見つけて、一輪差しに飾っていた。
(後日、やたらと、都はるみさんの「あんこ~ツバキは🎶」のメロディが頭に流れる。あんこツバキよりも、「好きになった人」をよく、くちずさんでたなあ・・そういう時代もあった。)

帰りの電車で、アサリの味噌汁作りは、蘊蓄を沢山言われても難しいものだと、また丸元淑生のシステム料理学の本を読んで帰る。「水から煮る、煮立て過ぎない、加熱しても開かない貝は、捨てる・・。透明で、プリプリのアサリこそと・・。」

追記:お持ち帰りカツ丼をレンチンして夕飯に食べる。食べたときは、昔はケチャップ味が濃かったようだけど、デミグラっぽくなっている。
本当に、何年ぶりかのトンカツ一枚が・・・。
普段は、大根の水煮したもの、その水煮のお汁まで、大根茶(ほとんど白湯だが、大根の風味がする)を湯呑みにいれて、おいしいといっている人間である。

その次の日の夜明け頃に、過去に傷めた痔が急に痛みだし、トイレでもがき苦しみ、トイレの横で、しばらく横になって、それからもそもそと、寝床にはいずりこむ。湯たんぽを温め直して眠る。

下痢ではない。腸が上に込み上がってくるような感じがして、吐くかな?いや、そうでもなかった。

翌日は、カツ丼効果が表れ、今までの疲れがどっと出ている感じがした。大根汁を食べてばかりでは、気づかない疲れが蓄積するばかりだったような気がする。あの痔の痛みが二度と起きてほしくないので、食べることが、実は怖くなったので、絶食。

正直、カツ丼のことは、夢話として受け止めてくれるだけでよかった。でも、おいしかった。オヤジさんがいて、ばあちゃんがいて、オットさんがいてのカツ丼だったから。

腹ならしとして、スーパーの深川めしぐらいが妥当であろう。いやいや、まだそんな状態でない。御粥さんで十分。
大根汁かな、やはり。と、今日も大根の縦割りをイチョウ切りにして、大根スープ(水煮)と、大根茶(水煮の残ったスープ)をすすりながら、うまいなあと。

更に翌々日、口内の皮がペロリとはがれ、舌が痛い。やはり、鬱のようだ。抗うつ剤は、通常通り服用しているので、舌の痛みもすぐ治まる。

姉ちゃんとの反省メールのやりとりで、気が付いたのだけど、「ビワの木の芽摘み」が、女性の結婚、出産、子育てのことを彷彿したようだ。理想は、子供は、3人いたほうがいいなあとか。自分には、子供がいないことで、負の感情が沸き起こり、特に、これからは下降線。そんな自分には、「カツ丼」は、向いてないような。欝々として、寝ながら、過去の恥ずかし体験や、これからどうなるんだろうという漠然とした将来への不安がおそい、生き恥症候群にかられる。

もともと、この「生き恥」とやらを、紛らわすためにオババの家に行っては、ちょこまか、仕事をみつけてやっていたことに気がつく。
やはり、無理がたったとしかいえない。

だから、「生き恥」を隠すかのように、「鰹節削り」だとか、派手なパーフォーマンスをして、「よい子」にみせようと、体にムチ打っていた部分もある。ADHDの症状かもしれない。場あたり的な器用で、その場逃れ、本人気づかないだけで、かなり無理をしている。その限度がわからないのだ。元いた職場で、いじめにあい、泣かされ、おかしくなった、あんときと何にも変わってない。そう言うことに、気づけるようになっただけでも「進歩」かな。

「生き恥症候群」といかにうまく付き合っていくか、今後の課題のような気がした。





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