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北海道下川町を踏破<日本全市町村踏破(制覇)>

10月9日、上川管内最北端、中川町を踏破後、内陸部を踏破済みの音威子府村、美深町、名寄市と南下し、さらに東進して、上川郡下川町へ。

下川町最大の見所と言えるのが、万里の長城。知らない人には何を言ってるんだお前はと言われそうであるが、下川町には確かに万里の長城があるのだ。それも、中華人民共和国札幌総領事館より、「万里長城」と称する事を認められているのである。

高さ3m、幅3m、長さ2kmのこの万里の長城、最大の特徴は、町民による手づくりという点にある。1986年より、基本的に人力で積み上げられたとか。また、月に一回の「石積みの日」を制定し、町外からもボランティアが参加して、2000年に完成したという。約15年間に、15万個以上の石が積まれ、13万人以上が石積み参加したとか。2011年には、長城のある桜ヶ丘公園が拡張された為、石積みが再開された。

以上、Wikipediaにある情報を抜粋したものだが、築造経緯などを見ると、町内にあった鉱山が閉山し、円高による林業不振などで町が疲弊する中、さしたる観光資源もなかったので、新たに手作りの観光資源を作ろうとして始められたもののようだ。Wikipediaでは、1981年に、町職員が中国を訪問し、万里の長城を見て感銘を受けたところから、長城の歴史が始まっているので、「我が町にもあの長城を築こう」という話になったのだろう。

ここまでは、バブル期の日本によくあるような話であるが、この話をそれだけで片付ける事は出来ない。そもそも、町おこしに当たって、万里の長城を築くという発想自体、他の町の町おこしとは一線を画している。元々古代中国で北方異民族の侵入を防ぐ為に築かれた万里の長城(現在のような主としてレンガを積んだ姿になったのは明朝時代)を、現代日本の国内に築くというのは意味不明なのだが、その不可解な「跳躍」こそが、注目すべき点である。これがハワイをイメージしたリゾート施設を作るとか何とかであれば、バブル崩壊後に採算が取れず、今頃廃墟になっていたかもしれない。万里の長城という意味不明さが重要なのだ。

さらに、この長城が、日本中で土木工事ラッシュであったバブル期に築かれ始めたにも関わらず、重機で突貫工事をして築くという事をせず、地道に気長に人力で築いたという点が重要であることは、言うまでもない。その為、バブルが崩壊しても粛々と続けられた。中華人民共和国札幌総領事館が認証したというのも、この長期間に渡る人の営みに敬意を表してこその事だろう。バブル景気に事寄せて、金をかけて一気にに作り上げたのでは、やはり今頃負の遺産になっていたかもしれない。しかし、この長城にあっては、2011年に石積み再開すらしている。それは、この長城が町民に支持されており、真の意味で「成功」したプロジェクトであったということである。

そして、内外からのボランティアの参加により、13万人もの人々が参加したというのも着目すべき点である。この長城の観光資源としての真価は、モノではなく、参加という体験、コトにあるのである。であれば、長城という意味不明な選択肢も、意味を持って来るであろう。そして、これらを含めた物語あればこそ、私もこうしてここを訪れたのだ。バブル期に一気に作った物語性の乏しいモノであれば、わざわざ東京から訪ねて来たりはしなかっただろう。

手作り、低予算、長期的、継続的、体験型、物語。この長城をよくよく分析すると、とても先進的なものであることが浮かび上がって来る。もう一つ、一見意味不明で、狂気の沙汰にさえ見えるトンガリ方。それでいて、本家の認証すら得る達成力。下川町とは時代の先行く自治体のようだ。先見の目を持った賢人もいるのだろう。この長城から学ぶことは沢山ある。偉業を成し遂げた下川町に喝采を送りたい。

なお、桜ヶ丘公園の中には、上の写真のように、巨大な時計や、ふるさと交流館があり、その他、野球場、パークゴルフ場などもあって、町民のレクリエーションの場となっている。

北海道全179市町村のうち、178市町村踏破、残り1市町村、達成率99.4%。いよいよ北海道全市町村踏破まであと一つ。

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