バンドはいつまであるか分からないから
不安や憂鬱で仕方なかったけどやってみると割と何でもなかったということは珍しくない。お風呂に入ると光の屈折で身体が手前に見えるみたいに想像と現実にはズレがある。
「米を炊く=億劫」のイメージが膨らみに膨らんでグズグズしているうちに食べること自体をやめてしまうけど、実際米を研ぎ水をメモリに合わせ炊飯器を作動させることなど3分で済む。
「面倒くさいは生活を殺す」と自分の曲でも歌っているのは理解していても打ち勝つことができないからなのだ。
お恥ずかしい話だが今後ろに切ったままのこんにゃくが放置されている。書いてる暇があるならさっさと冷蔵庫に入れろよという声が聞こえる。我が心から。あとでしまうと思う。たぶん。しまわないかもしれない。
面倒くさいの化身である僕が今更「すぐにやるマン」にはなれない。このままでも動くことが苦じゃなくなる環境や思考の経路を作っていく方向性を考えている。
この性格はそのままだと堕落の道具にしかならないけど、だからこそできるようになることもある。
当時毎日ツイキャス配信で歌うためにスタジオや近くの公園に行っていた。電車に10分乗るのもストレスなほど移動が嫌いな僕はどうしても外に出たくない気持ちと日々戦う羽目になった。
「ああ、行くの面倒だし毎日お金もかかるしどうにかならな…そうだ防音室を作ろう。」
気づけばつくり方を調べ、設計図を描き、コーナンやモノタロウで資材を集め作業に取り掛かっていた。そっちの方が面倒くさいだろうと突っ込まれもしたが「作るしかない環境と思考」がバッチリ揃っていたのだ。
今見ても酷い光景である。
これは極端な話だけど「嫌なことを何とかしたい気持ち」が想像力になり発想になる。車だって電話だって便利な発明はだらしないから生まれているのではないか。
新しい仕事を始めると「ここもっとこうしたらいいのに」がポンポン浮かんでくる。知らないからこそ感じる違和感がある。
だけど馴染んでしまうとピンとくる瞬間が減っていく。その視点で考えが固定されてしまうからだ。プロになる程クオリティーは上がるけど素人の方が面白いものを作るなんてこともある。
「バンドはいつまであるか分からないから見れる時にライブを見に行こう」はプレイヤー視点に慣れすぎてしまった考えなのかもしれない。
バンドを追いかけている人は共感してくれたりするけど、パッと見た人にとってはそんなこと知ったこっちゃないのである。
そしてプレイヤー側こそ「知ったこっちゃない」を前提に考えなければと思う。
面倒くさがりだから便利を生み出せるように、お客さんに喜んでもらう発想はやる側からしたらちょっと毒に感じるようなところから出てくる。
「いつまであるか分からないから」じゃなくて「その日の感動はその日しかないから見逃したくない」と思ってもらえるものを作り、宣伝できるようにやっていきたい。
もう少し時間はかかるだろうけどそんな気持ちだけでも持っておくのだ。
[この記事の元になったツイート☺︎]
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