大人になったら夢なんかで暮らしていけない?

初めて付き合った人のことを永遠に好きでいると思っていた。

他の人を好きになったり別れてボロ雑巾のようになるなんてこれっぽっちも思っていなかった。

中学生、高校生の僕は何も知らなくて、何も知らないから信じていられることがたくさんあった。青い時代は全てが新しく輝かしい。根拠もなく毎日が楽しかった。

「一緒にいても迷惑かけるから…」そう言って別れた恋人だった人はしっかりと浮気をしていて、もはや僕がキープと化していたことをのちに友人から知らされることになる。

女性が綺麗な言葉で別れようとするときは他に男がいるとき。

新たなトリビア…いや、僕の持論が生まれた瞬間であった。それ以降僕は1曲通して幸せな恋愛の曲が書けなくなった。

生き方に関してもそうだ。学生の頃に信じきっていたものが実は思ったよりもくすんでいたり、あの頃輝いていたものが上手に生きていくには足かせになる現実を突きつけられた。

僕が描く光には必ず影が描かれるようになった。

あの頃大好きだった歌に今は共感できない。それは生きてきたということだろうか。少し悲しいような気もするけれど悪い気はしない。

もうあの頃のようにキャンバス全てを光で埋め尽くすことはできないけど、それは光を描けないということではない。

むしろ影があるから光の存在を信じることができる。

見せつけられていた「現実」はその影のことだったのだ。それじゃダメだ、あきらめろと言っていた人たちは俯いて視野も狭くなって影しか見ていなかった。

顔を上げて見渡して見ればその周りにたくさんの光が溢れている。

あの頃見ていた理想は影のない光のようなもの。現実にはあり得ないもの。今僕が見ている理想はちゃんと現実に存在させられるもの。

大人になったら夢なんかで暮らしていけない?

僕は逆だと思う。大人になってからが夢見る本番なんだ。

「永遠なんてない」それを知ってしまった今感じられる永遠はなんだろうか。

それは1日1日をつないでいくことだと思う。終わりがくる時まで大切に。終わった瞬間に過ごして来た時間は永遠に変わる。

あの頃見ていたものとは全く違う形で、だけど途切れずに夢や理想は続いていく。

決してなくなったりはしないのだ。


[この記事の元になったツイート]


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