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謝ってくれたら許す。

許されることが不足している気がする。


僕らにはできないことや知らないことの方が多い。
なのにできないことを責められたり知らないことを馬鹿にされたりする。


普通、常識、人として当たり前。
この言葉が嫌いなのは前提に「できる」があるからだ。


僕は自分の普通で生きていたら
周りから間違っていると言われることが多かった。
その度にどんどんモヤモヤとした違和感が増えていった。


それは「俺が嫌」と言われたのではなくて「一般的には」と言われたからだ。


でも嫌われるのが怖くて何も言えずに笑っていた。
その行く先はひとつ、自分を責め続けることだけだった。

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そんな背景もありこういう言葉には過剰に反応してしまうのだけど
それを差し引いても普通や常識という枠に縛られすぎじゃないだろうか。

生きているだけで周りの声は入ってくる。
時に優しいが多くはノイズだ。

そんな時に重要なスキルが自分を許す力。
落ち込むことのあとにしっかり前を向くには切り替えること。
そのために足枷は取り払わなきゃいけないのである。

普通や常識に許してもらえない人たちの中で判断基準が自分以外にあると
自分で自分のことを許してあげられなくなってしまう。


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同じ人なんていないから もめたり ぶつかったり することもある。
そんな時心から「ごめん」って言ってくれたら僕は許したい。
引きずらずそこで終わりにしてその先にものに目を向けるほうが楽しいから。

逆に僕自身が許され下手だから
素直に「ごめん」と言えるようにもなりたい。

足枷を増やしすぎて鎖もからまってなかなか解けないけど
ゆっくりでも外していく。


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許して「あげる」じゃない。
ただ「許す」のである。

どれだけ原因が相手にあろうと上からにならないのは意識している。

人と人はいつも対等がいい。
年齢も性別もキャリアも関係ない。

いつでも「自分がどうあるか」がそこにあるだけなのだ。


時間がかかることもあるだろう。
それでも人を恨む先に幸せなんてない。


それでもどうしても合わない人はいる。
そんな時はちゃんと許して距離はおく。


許されること不足の世の中なんか気にせずに笑い合っていたい。


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