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初めて自分の意思で選挙に行った

たしか小学生のころ一度だけ親に言われるがまま選挙に行った記憶がある。あれは一体誰の票だったのかわからないのだけどとにかくぼくが名前を書いて紙を箱に入れた。

あれから10数年、はじめて自分の意思で選挙に行った。

区役所には若者があふれかえっていた。こんな大学生ノリで選挙に興味なさそうな子たちもみんなちゃんと参加してるんだ。偉いなあ。と思っていたら何かの大会があっただけらしくひとしきり騒いだ後嵐のように帰って行った。

期日前投票というのもあり投票所はガラガラだった。


正直に言うと政治のことは全然わかっていない。参議院と衆議院の違いもわからないし、日本がどういう状態なのかもよくしらない。

今日だって投票用紙が2枚あって「1枚じゃないの!?」と5分ほどスマホとにらめっこになってしまった。さぞ真剣に推しが複数あってどこに入れようか悩んでいるまじめな人に見えていたであろう。

じつは困っていただけなのだ。


「選挙とか興味ない」と言っていたぼくが参加しようと思ったのはTwitterの影響だった。

いろんな人が「選挙に行きましょう」「自分の国のことです」と言うのだけど、興味がない側からすれば「宿題をやれと言ってくるおかん」のようなもので、言われれば言われるほど選挙なんか行くもんかという気持ちになってくる。

選挙は大事だという想いが強すぎるのか、選挙に行ってほしい人たちは逆効果なアプローチが多い気がする。

それよりも「このままだと消費税が上がってライブハウスのドリンク代が上がる」とか「安倍さんが共働きの世帯所得を基本月75万で計算してる」とか

単純にじぶんの生活や知っている場所とリンクする情報が何度も入ってきたおかげでやっと「自分のこと」として感じられるようになってきたのが大きかった。

ぼくが普段買い物をするときや、仕事をするときに社会とのつながりを感じるようになってきた時期だというのもある。

選挙に行かない人の中には「じぶんと社会のつながりを感じられない人」が少なくないと思うのだ。


わからないなりにマニフェストを調べてここがいいなと思うところに投票してきた。参加して見るとどれだけ知らないことだらけなのかを思い知った。

でもそれがスタートラインだったと思う。

「うわ、なんだこれ?」「どうしたらいいんだ?」実際に体験することで感じたことはちゃんとじぶんごとになる。「もしかして選ぶ人ミスってたかな?」と思えることで次はわかってから行こうと思えた。


選挙は戦争みたいだ。だって誰かの正しさをひとつ選ぶことだから。

ぼくはぼく、きみはきみでやっていこうよ。が通用しない。決まればみんながそれに従うことになる。守るりたいもののためどうしても戦いになってしまう。

あいつに入れるべきだとか、どこそこがダメだとか、そういう話はしたくない。

政治の話をするなら「ここはこうみたいだね」「ここに決まるとアレがそうなるね」と中身だけを話したいなと思う。


何はともあれすこしだけ社会とのつながりが強くなった気がする。

遅すぎるスタートかもしれないけど、とりえずスタートに立ったことはいいことなんじゃないだろうか。じぶんなりにもうちょっとこの世界の一員として暮らしてみよう。


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