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風日記⑧ 舞踏とサステナビリティ  -言葉、身体、境界-


4月から舞踏(Butoh)を始めた。平日の夜、月に3回ほど、即興で踊っている。GPSSには、アルゼンチンタンゴを踊る人が代表のまーさん含め大勢いるが、まだ彼らの踊りを生で観たことはない。彼らも私の踊りを観たことはない。まーさんがタンゴの話を引用するのは、自己と他者の意識の境界線について話をしている時だ。「自分が自分に満足しているから、他者への幸せに興味が向く」「『この身体しかない』と思うことは、生きるという選択を受け入れ、折り合いをつけることに等しい」。まーさんとの面談(通称:魂セッション)で、そんなことを彼は言っていた。

タンゴがある種のセッションだとしたら、舞踏もそうかもしれない。しかし、タンゴはペアを組むパートナーの身体・意識と共に踊るが、舞踏は独舞でも成立する。強いて言うなら、自分の身体・意識との生々しいセッション。一人だけど二人のような気もする。

仕事終わりに稽古場に向かう。広い畳の部屋には、レッスンを受ける人達が数名と、先生がいる。先生はアーティストとして今も作品を創り発表をしている。舞踏の創生期より活動している笠井叡氏に師事していた。

各々ストレッチをする。世界で起こっている色んな事について雑談する。暫くして先生が朗読したり、音楽をかけたりする。それと共に、皆ひとりで自由に踊る。先生は見ている。指導はない。

ここでやっている舞踏は踊りの原点といえる。リズムや振付があるのではなく、自身の内面や身体と丁寧に向き合いながら、想像力を信じて動いてみる。できるだけゆっくり、捉えてみる。空間の雰囲気や匂い。遠くからの音。近くからの音。言葉。骨と肉。呼吸。温度。湿度。色彩。明暗。全部がヒントになって、身体の中で別の何かになる。踊りは句読点なく、続く。先生の朗読の内容は様々で、エッセイ、週刊誌の記事、詩、怪談、戯曲、物語のあとがき等。流す音も、いつも何が出てくるかわからない。バッハの無伴奏チェロ組曲、サティのグノシエンヌ、ジャパニーズラップ、ビートルズ、ビヨンセ、知らない音楽。そこでの体験は最高に面白いお土産で、帰ってからそれを使って頭の中で遊ぶ。日記に書く。

舞踏の良いなあと思うところは、一畳あればひとりで踊れるところ。踊りながら考えられるところ。即興で踊りながら出てくる動きはいつも違う気がする。心が違うから当たり前なのだけれど。均質であることは重要でない。自分の身体や考え方の癖やムラに気がつき、それを面白がってみる。変化を楽しめる自分がいる。

仕事の世界では、「変化」なんて簡単に口にできないなと思うことばかりだけれど、自分が思う自分の変化で、かつ誰かを説得させるものでない、「自分のため」とするならば、変化したい/しよう/できたという純粋な感情を喜べる気がする。

舞踏に関する本を何冊か読んでいる。舞踏とは何か、腹落ちするには時間がかかると思う。舞踏のパイオニアである土方巽氏が、舞踏とは「命がけで突っ立った死体」であると定義したらしいが、難しい。でも私の中でその言葉が体験と少しだけ結びついたのは、ある日の稽古で先生と受講者と一緒に、ジョン・ケージの音楽、アウシュビッツの収容所にあった髪、疫病、安楽死や売春の権利について、そして白骨観について話をしていた時だ。人の屍が腐敗し、野で鳥獣に食べられ、骨になり、焼かれて灰になる。その過程を観想することだという。「私の死体を観察してくださいって誰かに頼まれて、それを受け入れたら罪になるのかな」。受講者のひとりの口から出た素朴な質問がとても印象的だった。

免疫というシステムが腐敗から私たちを遠ざけてくれる。細胞が微生物によって破壊され分解されることもない。身体が自分か自分でないかを識別する。免疫とは、自己と他者の境界線のことなのかもしれない。

土方氏の言葉に戻る。突っ立っているのだから、生きている。しかし死体なので、自分のようで自分でなく、他者や世界との境界線が曖昧で、免疫がなく腐っていく様子である。加えて命がけとのことなので、死を覚悟して生を保つ、そんなギリギリな状態なのだ。

私もいつか、命がけで突っ立った死体として、誰かに観られるのだろうか。いや、踊っていなくてもすでに日常でもそんな状態なのだろうか。曖昧さを受け入れ、自分や世界を俯瞰して、仕事をする。とりあえず腐らず生きている。誰かが見ていなくても自分が見ている。並べられた句読点にあわせず、記号や偶像として踊るのではなく、自分の、生。

感染症、戦争、Reproductive health/rights、ボディポジティブムーブメント。その他様々な要素が私のもとに集まり、舞踏という新しいきっかけに出逢わせてくれた。今の私に必要なのだ。

今日もできれば、舞踏的に生きていたい。

つづく

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